「振り返るな、早く逃げろ」
目の前のフェリーンは一向に離れようとしてくれない。危険はすぐそこに迫っているのに。
「どうして聞いてくれないんだ」
握る力が強くなる。このまま体を出すわけにはいかず、俺は膝を付いて彼女に目線を合わせた。頭を撫でて、彼女をどうにか逃がす方法を考えている。
「私を置いて行かないで……ジルまでいなくなったら私は……」
彼女も俺も、両親を殺されている。
特に彼女の方は、最期まで苦しみ、看取ることすら許されなかった。
今でもその心の傷は癒えていない。癒えるまもなく傷は増え、とうとう命まで狙われることになってしまった。
「俺は、お前の家族に誓ったんだ。お前だけでも必ず守ると」
「ここに来るまで、色んな人が手を貸してくれた。命がけでな。お前ならこの意味をわかるはずだ」
震える手を握りながら、彼女にそう語りかける。冷静に、声を荒らげないように。彼女は静かに泣いていた。声を抑えるように、涙を拭いながら聞いていた。
「わかってくれてよかった。それに、俺は騎士で、お前との約束は絶対だ。俺が一度でもお前との約束を違えたことはあるか?」
そこまで言うと、彼女は首を横に振って、着けていたブレスレットを差し出してきた。
「信じてくれるのか……ありがとう。なら、俺からはこれを」
首にペンダントを掛ける。攻撃を受け止める術式を埋め込んだものだ。どうしても離れなければいけない。そんな中でも、彼女には無事でいてほしいから。
「ジル……また、私と一緒にいてくれる?」
「もちろんだ。その為にも逃げてくれ。何年かかっても、必ずお前を見つけ出して会いに行くから」
そう言って彼女を抱きしめる。
彼女の吐息が耳元にかかってくすぐったかった。名残惜しいけれども、彼女を送り出した。
「ジル……行ってくるね」
「行ってらっしゃい、ネイ」
彼女と一生を添い遂げるその日まで、俺はこの命を誰かに渡すつもりはない。
彼女の隣にいられるよう、まずは目の前のことを片付けようじゃないか。
『行ってきますなら、おかえりとも言えるだろう?』
お題
「さよならと言わないで」
いつか聞いた別れの歌を口ずさむ。
別れの一杯を交わすことなく、10年弱の決して短くはないはない過去を、紙切れ一つで終わらせてきた。
未遂とはいえ、恋敵──ドクターを殺そうとした。ロドスだけじゃない、カランドにもいられなくなった。
でも、不思議と後悔はしていない。
ドクターへの憎悪も、エンシオディスへの好意も、今はもう感じない。
誰も近寄らないであろう森の中、私は一人静かに腰を下ろす。酷い目眩がした。
手首からは絶えず生命が滴り落ちて、もうすぐで無くなる──罪人にふさわしい最期だ。
痛みも寒さも薄れてきた。
確か昔もこんなふうに迷い込んで……彼に助け出してもらったんだ。
血と傷だらけになりながら、剣を振るう彼の姿はまだ鮮明に思い出せる。
「会いに、行くよ……だから」
最後の力を振り絞り、手を伸ばし、顔を上げる。
「俺はここにいるよ」
懐かしい声。暖かな手の感触。
こちらを覗く青い眼と、流れる黒い髪は間違いなく彼のものだ。
「ごめんな、待たせてしまって……手当してするから、一緒に帰ろう」
思い出に浸りながら、彼の腕にこの身を委ねた。
『騎士は約束を違えたことがない』
お題
「光と闇の狭間で」
※更新前の↓
「俺はここにいる、だから生きてくれ」
懐かしい声がする。揺らいだ決意に傷つけられた私を、貴方はまた守ってくれるの?
将軍と聖女。騎士と女傑。
彼らは深く結ばれている。では、私と彼はどうなのだろうか。
友人とも恋人とも呼べない、なんとも不思議な関係。けれども、彼のそばにいると安心する。
「いい子だね」
彼の手が頬に伸びてきた。摺り寄ってみると、頭も撫でてくれて、耳と尻尾が動くのを感じる。
「いつも思うけどさ……コレ、そんなに面白い?」
「うん。気持ち良さそうにしてるの見ると嬉しくて」
「そうなんだ……いや、まぁ、ゼルに撫でられるのは嬉しいけども」
確かにサンクタには尻尾も耳もないし、輪や翼から感情は読み取れない。同族間では共鳴で言葉を交わさずとも感情を伝えられるらしいが。便利だとは思うけど、なりたいかと言われればそうでもない。
それに私は彼らが苦手だ。共鳴も一つの理由だが、行く度に珍しいものを見るような目で見られるから。
それでも、彼に会いたいという気持ちは止められず、ラテラーノへ行く理由を探し、彼のことを考える日々が続いていた。
「どうしたの、ナル」
唐突に呼ばれ、真っ直ぐな目で見つめられる。耐えられず目を逸らすが、彼は決して引かない。優しい声だ。でも、この声は他の誰かにも向けられている。私だけのものではない。ならなくていい、なってはいけないんだ。
「どうして逸らすの?嫌だった?」
「違う……違うけど、わかんない、とても苦しい」
彼とこの空間を、時間を共にしているのが嬉しい。知らないところで彼とと笑っている、そんな誰かが憎い。私の周りには誰もいない気がする。
感情が抑えきれない。気が狂う。自分の存在を消し去りたくなる。
「ナル、僕はここにいるよ」
差し出された手を握る。滲むように伝わる暖かさが、胸の中にある苦しみを和らげてくれる。
空いていた手を伸ばし、彼の背中に回す。どうするのかと考えていると、体が浮いた。
抱えられるままに力を抜いて、目を閉じる。彼の足音と鼓動を聞きながら、静かに息をしていた。半ば眠りに落ちていたところで、ドアが開いてベッドに降ろされた。
「ゼル……?」
「輪が眩しいかなって……ごめんね」
背後から抱きつかれたかと思うと、腕で視界を遮られ、彼の声だけが聞こえる。
「頑張っててえらいね」
彼は普通に喋ってるだけだ。それなのに、どうしてこんなに体が反応してしまうのだろう。
「……大好きだよ」
その言葉にどんな意味があるのだろう。彼は何を思ってそういったのか、私はどういう風に受け止めればいいのだろうか。
「ふふ、すごい揺れてる」
「そんな気はしてたけど、改めて言われると恥ずかしい……」
取り繕うことを放棄した尻尾は素直とも言える。彼は気を良くしたのか、髪の毛に隠れていたもう一つの耳を暴いて──
「ナル……愛してるよ」
体が大きく震える。胸の奥が少し苦しくなって、冷えた体は指先まで熱を持ち始めた。
たまに会いに行って、こうやって溶かしてもらう。体を重ねることはないが、言葉や行動の端々からを見れば、恋人だと言われてもおかしくはない。
傍から見たら奇妙な関係だと思うだろう。当事者でもある私ですらそう思っている。
「……私も、ゼルのことが大好きだよ。だから今は、独り占めさせてほしい」
いつもより蕩けた声が喉の奥から出る。返事はなかったが、腰に回されていた手が強くなった。
─
「満ち欠け、満ち引き、繰り返す揺らぎ」
お題
「距離感」
※地名や種族は明日方舟から。