動物たちが、顔を突き合わせて、話し込んでいた。
大きな二本足で歩いてみせる動物たちは、人間のように服と靴を着こなして、紳士淑女のように、議論に夢中になっていた。
素足のまま出てきた私の足の裏に、地面の砂利や小石が容赦なくめりこむ。
身じろぎで、ざらざらとした足の痛みを誤魔化す。
獣たちは相変わらず話し込んでいる。
丸い背中の豚が、向かいの山羊に言葉をかける。
山羊の、角張った角の横の、柔らかそうな白い片耳がぴくりと動く。
くるくるとボリュームたっぷりの立派な頭髪を持つ羊が黒い蹄で何かをなだめ、それを聞いた鶏が、白い翼を握りしめる。
牛が、尾でしきりに自分の服を叩きながら、何かを捲し立てる。
一番幼いのであろう、比較的小さなむちむちの白い幼虫が、引き取るように話をまとめ、それで一度、獣たちは、冷静さを取り戻す。
軽い沈黙の後、ふたたび沸き始めたお湯のように、ふつふつと会話が始まる。
私はそれを、息を潜めてじっと見つめた。
家畜を狙う野犬のように、藪の中でじっと、素足のまま、しゃがみ込んで、奴らを観察し続けた。
手の中に隠した、牙製のナイフを握り込む。
これは唯一、私が持っている、私の主人である垂れ耳のボーダーコリーからいただいたものだ。
私は今日の夕刻に、主人の敵派閥にいる、まだ幼い子犬を刺す手筈だった。
しかし、どういうわけか、私は今、主人の命令に背き、逃げ出した。
心だけが、なぜだか野良になることを決めていた。
主人が、私を拾ってくれた時に、私にくれたものは、この牙のナイフ以外に全て置いてきた。
私は素足のまま、自分の身体一つで、ここまでやってきたのだった。
獣たちは夢中で話し込んでいた。
私はお腹が空いていた。
私の素足のままの足には、石や砂利が食い込んでいた。
私は肉が食べたかったし、せめて、足を柔らかく包んでくれる何かが欲しかった。
私は藪の中で、じっと息を潜めて、獣たちを伺った。
かつて、私たち人類の持ち物であり、資源であった獣たちは、夢中で何やらを話し合っていた。
「もう一歩、もう一歩だけ、さあ前に」
腕をからめて
横顔に口を近づけて囁くの。
目も唇もうるませて。
断崖絶壁、崖の端。
靴の爪先をちょっとずらせば、
ぱらぱらと崖の石片が転がり落ちていく。
私はそれを尻目に、
あの人のこわばり固まった顔に
できるだけ、甘く、優しく囁くの。
「もう一歩、あともう一歩だけ、勇気を出して」
もしも神話や民話に出てくる、悪魔が本当にこの世界に実在するというのなら、
きっと、今の私のような顔をしている。
「もう一歩、もう一歩だけ、前へ出て」
いかにも親しそうに腕を絡ませ、近づいて、
甘美な悪夢のように、囁くの。
ある日 おとこが 夢に 現れた
見知らぬ街の 見知らぬおとこ
おとこ 陽気に 笛を 吹く
ひょろり 手足を 振り回しながら
見知らぬ街の 見知らぬおとこ
街の 様子が 変わり ばえる
おとこの 笛に 合わせる ように
おとこの 不恰好な ダンスに 合わせて
見知らぬ街の 見知らぬおとこ
陽気に 街が 踊り 回る
ネズミが くるくる 走り 回る
道という 道が 人で あふれる
私を おきざり 街は 楽しそう
見知らぬ街の 見知らぬおとこ
私は ひとり 立ち 尽くす
踊り 狂い 歌い ふける
見知らぬ街の 見知らぬ場所で
おとこは 笛を 吹き 踊る
街は 踊り ネズミは 走る
人は 歌い 踊り はしゃぐ
見知らぬ街の 見知らぬおとこ
間一髪、物陰に身体を引きずりこむ。
激しい物音が吹き荒れて、盾にした金属製の何かにぶつかり、甲高い悲鳴をあげさせる。
遠くで、黒い雲が地に横たわっている。
荒くなった息を整え、自分が今身に纏っているであろう、見窄らしさという現実を確認する。
埃にまみれた身体のいたるところが、渦巻くような疼痛をはらんでいる。
息を一つ吸う。
私はまだ生きている。
顔も上げられないほどの突風と衝撃が、一瞬で駆け巡っていく。
乾いた重たい空気は、死と恐怖の匂いを運んでくる。
こうなったのは何故か、誰のせいなのか、それはもはやどうでも良く、知ったところでどうしようもないことだった。
ここが、今、朝あるのか夜であるのかすらも分からなかった。
ただ、こうして戦場に引き立てられてきた平凡な村民の私に分かっているのは、
とうとう私たち人間は、今まで共存してきた山向こうの種族の有り余るほどの畏怖すべき戦力を向けられる矛先となったことと、
いよいよ、竜族と人族の種族の命運を賭けた全面戦争が始まったということの2つだけだった。
物陰に隠れて、目を閉じてみる。
瞼のない耳が、剣呑な音と死と恐怖の悲鳴を拾い上げる。
それが、何度も何度も私に「逃れられない」という現実を改めて突きつけた。
息を一つ吸う。
動く気力を失っている身体を引きずって、上体を起こし、立ちあがろうと足を踏み出す。
その刹那、あれだけやかましかった、辺りの物音が消えた。
澄んだ一瞬の沈黙の中に、遠雷が響いた。
深い紺。
深い深い紺色の、黒に近い奥の奥に、手をひたす。
Midnight Buleに染まる指先と布。
深く青い藍によって。