寝転べば、ちょうど月が、見える位置。
みんなで寝転び、今日の現実に、今日の絶望に
夢じゃない、夢じゃないのだ、と念を押す。
現実を見つめるために。
絶望に立ち向かうために。
寝転べば、ちょうど月が、見える位置。
薄明るくほのめく、夏の満月。
心の羅針盤?儂が「心の羅針盤」だと?
お前は、他人や羅針盤みたいな道具に頼らなければ、自分が進みたい方向すら、分からないというのか。この痴れ者め。
どうやら、しばらく見ぬうちに、あの頃まで精神が退化したようだな。
そんな意志薄弱なものに育てた覚えはない。
もっと励め。精進しろ。
独り立ちして久しく数十年。
久しぶりに師匠へ出した手紙の返事には、そんなことが書いてあった。
師匠は、私が弟子入りした頃から、頑固で、昔気質で、意志の強い、面倒な人だった。
自分で進む道は自分で決めろ、己の決断は己でしろ、他人の言葉をそのまま使うな。
小さい頃から、自らの手で人生を切り開いてきたという師匠は、いつでも一貫して、自己決定の大切さを訴えていた。
そんな、パワフルで力強い、自立心の高い師匠の背中は、私の心の羅針盤だった。
師匠と出会ったことで、それまで他人の言葉の受け売りで生きてきた私は、初めて己で世の中と向き合わなくてはならなかった。
師匠に叱責されるから、私は自分の言葉で、自分の決意を表さなくてはならなかった。
師匠と将来を話すときには、私は親に敷かれたレールをもう一度、己の脳と目で見直す機会を与えられた。
師匠の言葉と修行のおかげで、私は初めて私の人生を私の目で見直し、私の頭で考え、私の言動で主導するようになった。
私は他の誰のものでもない、私の人生を歩むことができた。
師匠の言葉が心の羅針盤になって、今に至るのだ。
しかし、師匠の持論にしてみれば、それも、私の甘えに見えるのだろう。
他ならぬ師匠の言葉を、深く考えずに、そのまま自分に適応しているのだから。
師匠の教えに反している。
師匠がこのような返事をするのも当たり前である。
だからこそ、これでよかったのだ。
今月で、師匠は米寿を迎えられる。
だが、まだ変わらずお元気のようだ。
自らの信念も、もう何十年も前の弟子の課題も、変わらずまだ覚えていらっしゃるのだから。
師匠はまだお元気で、あの時の師匠のままでいらっしゃるようだ。
少なくとも、呆けたり、弱気になられたりは、なさっていないようだ。
私としては、今回の返事の叱咤激励が非常に嬉しい。
私の心の羅針盤が、今でもお元気である、ということが。
夕方の シオカラトンボに 呟いた
またね、明日ね、さようなら
きっと君 またね、と言った はずなのに
つまんだ骨の 重さは後悔
またね、など 信じはしない 同じ日は
私たちには 二度とないから
またね、って 進んだきり針 戻らない
8月6日 8時15分
ヴィーナスは泡から生まれる。
だから私は、泡になりたかったのだ。
海は荒れ、泡立っていた。
どろどろと透き通ったミズクラゲが、海辺に打ち上げられていた。
かつて、彼は美しいあの人に向かって、口説き文句で言った。
あなたは私のヴィーナスだ、と。
私に向けてではなかったけど、確かに。
彼はモチーフを求めていた。
彼は切望していたのだ。
神でさえ魅了する美しさを。
だから私は、泡になりたい。
あなたが神に愛されるために。
あなたを神に愛させるために。
波が荒々しく打ちつけている。
海は泡立ち、白波を立てながら、クラゲを運んでくる。
高い波を眺めながら、泡になれないものかと考える。
人魚姫でもあるまいし、こんな海の中に飛び込んでも、私は泡になれないに違いない。
波が泡立っている。
私は、泡になりたい。
ようやくこの日がやってきた。
私は馬に跨り、完全に水平線の向こうに落ちようとしない夏の太陽の薄闇の中、あの細い煙を目指して、手綱を握る。
蝉はもう、ヒグラシに切り替わっている。
それにしても、この数年で、この季節はずいぶん暑くなったものだ。
もう必要のないはずの汗が、だらり、と頬をつたう。
なんで、私たちがここへ帰って来れる季節は、こんなにも暑い時期なのか。
昔から暑がりで、汗かきな私には、とても理解できない。
今年だって、この夏は、暑い、暑いと騒ぐ人々を、尻目に、私はのんびりと涼しいところで引きこもっていたというのに。
「さて、みなさん、待ちに待ちましたお盆です。今日から私どもも、お盆休みをいただきます。さあさ、みなみなさま、年に一度の機会です。ぜひご帰省なさってください」
私たちは、毎年の如くそう言われて、馬に乗り、ここへやってきた。
…いや、帰省できるのは嬉しいのだ。私は、家族とも関係が良好だったし、親戚の子や兄妹の子、かつてのご近所の子どもたちが、どのくらい大きくなったかを見守るのも、楽しみだったりする。
しかし、しかしだ。
時期が悪すぎる。
なんで、一年に一度、家に帰れるその時は、こんな夏真っ盛りのお出かけに向いていない日なのだろうか。
汗っかきで、暑がりの、夏嫌いな私にはどうしても納得できない。
もはや姿も匂いも誰にも気づかれないようになったと言っても、気になるのだ。
三つ子の魂百まで。
生前の習慣や好き嫌いは、死後何年経っても、治らないものなのだ。
文句を言いつつも、私は家族に会いたい。
だからその一心で、いつもこの暑い中、季節のない年中快適な天国をわざわざ出て、家へ向かう。
お盆は夏だから。
しょうがないのだ。
日がある程度落ちたというのに、外はまだ暑く蒸している。
毎年のことだ。
毎年のことだが、暑さは年々、酷くなっている気がする。
ただいま、夏。
私は僅かな恨みも込めて、毎年のように呟く。
今年も、夏に帰ってきた。