薄墨

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5/28/2025, 9:38:33 PM

さらさら さらさら
どこからか、音がする。

何かが流れているような、何かが通り抜けていくような、そんな音。

さらさら さらさら
近づいてくる気さえする。
何かに妨げられることもなく、流暢に、スムーズに、それはやってくる。

さらさら さらさら
どこからか、音がする。
近づいてくる。
どこからか、近づいてくる。

そっちのほうを見たって、何もいない。
いつもの家、いつもの部屋の中で。

周りを見回せば、どこからともなく聞こえてくる。
さらさら さらさら
さらさら さらさら
近づいてくる。
さらさら さらさら

どこからか、近づいてくる。
さらさら さらさら

5/27/2025, 10:11:05 PM

これで最後。
自分に言い聞かせ、ラムネを一粒、口に放り込んで、私は筆を取る。
ジッパーつきの袋の底に残った最後のラムネを口に入れて。

しゅわしゅわと、ほろほろと、口の中でラムネが溶けていく。
ブドウ糖の甘さだけが、口と舌の上に残る。

これで最後。
これで最後だ。
あなたへ手紙を書くのも。
あの子からもらったラムネを食べるのも。

私が生物兵器として生まれて、10年が経つ。
人間型の、命令を遂行できる程度の知能を持つ生物兵器が開発され、誕生してから、私は当たり前のように組み込まれた命令に従い、ただただ戦闘行為を遂行するだけの日々だった。
無論、私以外にも似た型の同胞は敵味方に入り混じっていたけれど、彼ら彼女らも、存外私と似たようなものだった。

兵器として作られた私たちに思考はなく、あるのはただ命令と、それを遂行するために必要な知能を含めた能力のみだった。

あなたの手紙が届いて、あの子が私たちにラムネを差し出して、ブドウ糖の接種を教えるまでは。

ラムネのブドウ糖は、命令以外のことを考えるエネルギーを、
あの子の言動は、私たちに思考を、
あなたの手紙は、私たちが不当な立場にいるという意識を、
与えてくれた。

私たちが命令に逆らい、人間に抗い始めたのはそれからだ。

私たちは、生物兵器同士徒党を組んで、命令主を、私たちを生み出した人間たちを、私たちを生み出した人間社会を否定し、破壊し続けていた。
あの子から送られてくるラムネで。
あなたから送られてくる手紙と情報という支援で。

私たちは人間を敵と見做し、殲滅してきた。
そして勝負は決した。
もはや人間はこのまま、静かに滅びていくだろう。

対人間作戦を考えなくてよくなって、私は残ったラムネで別の思考もできるようになった。
私とは何か、あなたとは何か、あの子は何か、同胞とは…そんなことを考えていて気づいた。

人間社会に管理され、生かされる前提で生まれた私たちは、人間社会の崩壊した世界で、どのように生きていけるというのだろう、と。

あなたとあの子の目的は、私たち生物兵器を人間ごと、人類ごと、あなたたちごと、終わらせることであったのではないか、と。

もはや、人類の滅亡は確定事項で、いくら手を尽くしたところで、それは防げないだろう。
そして私の推測が正しければ、あなたからの手紙とあの子からのラムネは、もう途絶えるのだろう。

エネルギーの供給を絶たれ、命令もなくした私たちは、組み込まれた遺伝子プログラムによって、破壊行為を尽くした後、自壊する。
敵国に情報を与えないため、私たちのほとんどはそうなるように作られている。

これで最後。
私がブドウ糖を摂るのも。
あなたへ手紙を書くのも。
あの子にもらった私の思考も。
これで最後なのだ。

あなたの勝ちだ。
      

5/26/2025, 10:44:24 PM

努力は環境に合わせてしなければならない。
同じ、“普通”の生活に向けて努力するにしても、
戦争中にしなくてはならない“生き延びるための努力”と
今のように平和な世の中でしなくてはいけない“生き延びるための努力”は全く違う。

努力するにも、周りの様子を正しく理解して、正しく努力をするのは大切だ。
何も分からないのにとりあえずで脳死の努力をしても、それが正しく結果を出すのは難しい。

だから、私は君が嫌いだった。
何も考えず、ただただ周りの言いなりに努力をして、結果的に周りにいいように扱われている、そんな君が嫌いだった。

努力を食われている、無駄な努力ばかりで努力しない人を食わせている、そんなお人好しで能天気な君が嫌いだった。
自分で自分のことについて顧みたりしない、自分の頭を使わない君のことが嫌いだった。

私は君の名前を呼ぶことを避けていた。
君も、君の周りにいる人も、私にとっては軽蔑の対象だったからだ。
君は私の反面教師だった。ある意味では。

ある日のこと。
ある日のことだった。
私は、全くの偶然で君と顔を合わせた。
私が私なりに考え抜いた努力で、勝ち取った場に、君もいた。

その時の気持ちは、どう言い表したらいいのか。
内心軽蔑していた君に追いつかれたという焦燥。
自分が考え、効率よくしていたはずの努力はこんなものだったのかという絶望。
頭を使わないそのがむしゃらな努力でここまで辿り着けるほど、君がした途方にもない努力への尊敬。
自分の努力不足を痛感した、何とも言えない敗北感。
自分がした渾身の努力が、君に追いつかれる程度のものだったという劣等感。

ぐちゃぐちゃの、何もかも入り混じったその頭の中に飛び交う感情たちが、私の口を動かした。

私が君の名前を呼んだ日。
思わず、君の名前を呼んだ、あの日。

君は、私の気持ちなんてまるで知らないように、朗らかに、私に笑いかけた。
「あ、はあい。…あれ、なんだかんだ初めて話すかもね。私たち」

初めて話すかもね、
そうだ、初めて話すのだ。
私が勝手に君を避けて、君を軽蔑して、話そうとしなかったのだから。
“かも”じゃない。初めて話すのだ。

これが、私が初めて君の名前を呼んだ日。
今となっては懐かしい、そして恥ずかしいあの日だ。

「ねえ、明日は休みが取れそうなんだ。久しぶりにご飯行かない?」
通知音に目を落とせば、君からの誘いの連絡が入っている。
君は相変わらずお人好しで、能天気だけれど、私はもうそれに、それほど劣等感も軽蔑も、感じないほど大人になっていた。

あの日、君の名前を呼んだ日から、君と話し関わったあの日々のおかげで。

思わず微笑んでいた。
通知をタップする。
あの日呼んだ君の名前が表示される。

私は君の名前を呟く。
私を意固地で斜に構えた若者から、人の頑張りを素直に認められる大人にしてくれた、君の名前を。

5/25/2025, 3:38:34 PM

ぶちまけられた内臓が転がっている。
生から切り離されて、ただの物体に成り下がった皮膚の内側の粘膜が、ぬらぬらと光っている。

血の匂いはしていなかった。
生き物が、あるいは生モノがある、という気配もしなかった。

なぜなら、雨が降っていた。
灰色の空から灰色の地面に降り注ぐ雨が、生臭くて、目を背けたくなるような不快なものを、さらさらと流し去っていた。

ただ、生から切り離された物体が、それ特有の、少しばかりの不気味さを残して、雨に濡れていた。
灰の塊と炭化した骨が混じり合って、緩やかに崩れて、ぼろぼろと、雨と共に地面に染み込んでいく。

物音は雨音だけだった。
霧雨のような、細く、淡い、そして全てを洗い流すその雨音だけだった。
しとしとと、もう寝息すら立てない物体に平等に降り注ぐ、やさしい雨音だけだった。

雨が降っていた。
慌ただしく騒々しい破壊と逃亡のの末に、沈黙した施設に。
残骸と物体だけが無造作に転がった世界に。
灰色の地上に。

雨音だけが響いていた。
やさしい雨音だった。

誰にでも。
どんな物体にでも。

平等に降り続いていた。
やさしい雨音が、やさしい雨音だけが。

5/25/2025, 5:42:21 AM

梅雨どきの 灰色染まる 空模様
 やるせないこと 全て歌にして

紫陽花が 土で色を 変えるよに
 軽い移ろい 嘆くも歌にして

梅雨時の 重たい雲より 重苦しい
 やるせないこと 今は歌にして

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