薄墨

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4/20/2025, 2:56:18 AM

影だけを 伸ばして触れる 蛸の足

影だけが 伸びて触れ合う 指と指

4/18/2025, 3:28:01 PM

小さな手を握る。
小さな手たちを握り、手を引いて、私たちは逃げる。

物語の始まりは来なくてもいい。

ドラマチックな悲劇も、
衝撃的なハプニングも、
理不尽な立ち向かうべき困難も、
誰もが羨む実績も、
正しさに裏打ちされた物語も、
幸せを願った英雄譚も、
何かを変革する悲願も、
起こらなくたっていい。
なくていい。

ただ、平和に晴れた空の下で、
平凡に一日が終わっていくのを、
のんびりと小さな幸せを享受できれば、
それだけで。

それだけで、満たされた人生を歩めることを。
物語にはならなくても、自身は幸せであることを。
物語の始まりに捕まって、主人公になったって、その責任をツケを保証をしてくれる人や神なんていないってことを。
物語は誰かを救うかもしれないが、物語を紡いだ登場人物自身を救ってくれるとは限らないということを。
社会がどうあろうと、個人の幸せは、どこまでいってもその個人自身の幸せだということを。
自分の幸せは、結局、自分で折り合いをつけ、自分で理解して、自分で守るしかないってことを。

そして、あなたたちを愛する人間はみんな、そうした物語の性質を理解した上で、自分の生き方を、幸せを見つけてほしいと、望んでいるということを。

私はそれを伝えたいと思っていた。
私よりも先の未来を抱えた、その小さな手の持ち主たちに、伝えて、逞しく幸せに生きてほしかった。

しかし、皮肉にもそうやって考え、大それたことなんてやろうとしないで生きてきた私たちの元に、物語の始まりはやってきた。
侵入者がやってきて、この地は物語の舞台と化した。

ドラマチックな悲劇が、
衝撃的なハプニングが、
理不尽な困難が、
成し遂げなくてはならない実績が、
正しさに裏打ちされた物語が、
誰かの英雄譚が、
誰かの変革が、
この地に流布され、溢れ出した。

華々しいそれらは、私たち個人の幸せなど、微塵も保証してくれないのに。

私たちは、物語の始まりに、悲劇に呑まれて、物語の俎上に載せられた。
小さな子どもたちの、胸や脳に、物語の始まりは今くっきりと始まってしまったのだろう。

しかし、私はそれでも、彼らを逃がしてやりたい。
他ならぬ、彼らの幸せのために。
彼らが、物語にこだわらずに、自分の人生を歩めるように。

私たちは逃げ惑う。
物語の始まりから。
逃れられない物語から。

それが、私たち個人の幸せとは限らないから。

私は小さな手たちを引く。
怒号と、剣呑な音と、無数の物語が、散らばっている中を。
私は、私たちは逃げ惑う。

4/17/2025, 2:32:34 PM

真っ黒な 右手の側面 春の宵

ふつふつと 静かな情熱 キーに込め
 自ら夜景に なる夜半の春

朧月 目にふやけるは 静かな情熱

4/16/2025, 10:33:00 PM

所詮はね、対岸の火事。対岸の火事だ。
小さく聞こえる遠くの声をそう思い込みたくて、自分に言い聞かせる。

不快な、理不尽な、それでいて自分勝手な声は、遠くから、細波のように聞こえている。

目を閉じて、脚を折る。
細波がざわめき、少し大きくなって、騒がしくなる。

ニンゲンという種族は、とても遺伝子に忠実で、合理的な生物だ。
自分の種族を繁栄させ、生かすための合理的な進化を遂げている。
遠くの声の主、ニンゲンたちは、その進化の、自分たちの遺伝子が導き出した正解に忠実に従っている。

自分の種族だけで群れ、自分たちの種族を他の生物より優位である、という常識。
とりあえず、同胞たちの記録によるデータを信じて、頼れそう、利用できそうなものはとりあえず、なんでも一度利用してみる、という逞しさ。
他の生物を利用して繁栄を享受するには、これくらいの強かさが必要なのだろう。

だから、私はこんなところにいるのだ。

私たちクダンの予知は、あくまで敏感な感覚や蓄積した経験から導き出される予測予知であり、ニンゲン界でいうところの天気予報程度の意味しかないというのに。

それを知り得ないニンゲンは哀れなことに、
こうして私のように、若いクダンを捕まえて、もてなし、「予知をしてほしい」と、ちくばくに希ってしまうのだろう。

できることなら、精度の良い予知をしてやりたい。
しかし、私はまだ若い。
聡い感覚はまだ研ぎ澄まされていないし、賢い経験はまだそれほど積み重なっていない。
クダンは歳をとるほど、精度の良い予知ができるようになるのだ。
ニンゲンの言い伝えで「クダンは予知をすると死んでしまう」というのは、なんてことはない、当たるほど精度のある予知をできるクダンはみな年寄りで、余命幾ばくかであったということだけなのだ。

まだたった100年しか生きていない、若輩の私には、まだまだそのレベルの予知はできない。
未来予測のような予知をするには、少なくともあと1000年は…。

テキトウでも何か予知をすれば、ニンゲンは私を解放するだろう。
しかし、自分たちの村落の命運を握る予知を、勘違いのためにこんな私に頼ってしまっているこの哀れなニンゲンたちに、テキトウな予知を投げるなんてこと、と躊躇ってしまうのだ。

遠くの声。
哀れっぽく、必死なニンゲンたちの声。
理不尽で、逼迫した、哀れな状況に置かれたニンゲンたちの、悲しく、理不尽な声。

ニンゲン、他種族の置かれた状況なんて、対岸の火事だ。
彼らが無慈悲に他種族を利用するように、私だって彼らから逃れるためにテキトウな予知をしていいはずだ。
していいはずなのに…。

ニンゲンの声から、できるだけ心を遠ざける。
あれは遠くの声。
対岸の火事。
自分に言い聞かせる。

遠くの声、ニンゲンの希う声が聞こえる。
遠くのはずなのに、遠ざけたはずなのに。
だんだん、細波のように私の心に近づいてくる。

目を閉じたまま、耳を伏せる。
遠くの声は、まだ聞こえている。
聞こえている。

4/15/2025, 2:14:13 PM

猫が発情している。
外は、煩いくらいに春だ。

いちごジャムで指を汚しながら、ジャムサンドをラップに包む。
不器用さの象徴のような、ベタベタとうっとおしいこの指も、あなたがいれば「そんなとこも好きだよ」なんて言われてドキッとしながら安心して、少し自分が好きになったりして…なんて。

そんなことを考えながら、人差し指を舐める。
甘くて、すっぱい。

恋には、安心感が大切なのか、緊張感が大切なのか、決めかねていた。
切り落としたパンの耳を前に油を出すべきか、と悩むように、なんとなく決めかねていた。

一緒にいる時の、穏やかな安心感も、ふとした時に感じる、衝撃のようなドギマギとした緊張感も、心地よくて芯の芯からざわざわとして、本当に、愛していた。

でも、そういう気持ちがどこからともなく込み上げて、訳もなく、自分の考えが幸せな子どものように戻ったり、多幸感でそわそわと浮き足だったり、そんな時には、自分が自分でなくなってしまったような不安感がある。

自分が、いつもの自分でないような感じがする。

だから、私は決めあぐねていたのだ。
恋に、安心感と緊張感はどちらが大切か。
私はこのまま、両方を感じ続けて、恋の最中で自分を見失ってばかりでいいのか。
なんとなく不安なのだ。

外で発情している野良猫のように。
あるいは、春にだけ乱れ飛ぶ蝶のカップルのように。
あるいは、むやみやたらに恋をしたがるスギ花粉のように。
そのほか、本能で、気の、感情の向くままに、春恋に溺れる全ての生物のように。
そんな中に。
春恋に取り込まれて、春恋に溺れていいものなのか。
こんなに暖かくて、天気が良くて、恋日和の小春日和には、ふと、不安になる。

だから、不安だから、ジャムサンドを作った。
あなたと食べるための。

なんとなく浮き足だって、せかせかして、暖かくて、幸せそうで、でも何か、何か日常とは違う。
そんな不安定で、不気味で、それでも幸せな、なんか春恋みたいな食べ物を、食べたくて。
他でもない、恋人のあなたと分け合ってみたくて。

いちごジャム、なんて、いかにもすぎて恥ずかしいジャムサンドイッチを、私は作ったのだ。

恥ずかしいくらいにいかにもなバスケットに、いちごジャムサンドをしまう。

モンシロチョウのカップルが、ちょっと目に余るくらいベタベタと戯れながら、窓の外を横切っていく。

恋は、殊に春恋は、浮かれすぎている。
だから不安なのだ。

自分が自分でなくなるような気がして。
私たちが私たちでなくなるような気がして。
勢いと、春の呑気な日和だけで、とんでもないことをしでかしてしまいそうな気がして。

春恋は危険。危険なのだ。
そんな気が、そんな不安が、するのだ。

いちごジャムサンドを入れたバスケットに、チェックの布をかける。
画面の向こうの北欧の景色に出てきそうな、いかにもって感じの、チェック柄の、テーブルクロスみたいな布。

出来上がった、春恋の塊みたいなバスケットを持つ。

春恋は怖い。怖いのだ。
浮つきすぎて。

安心したくて、春恋の塊みたいなバスケットの柄を握りしめる。
地に足ついた現実みたいに、強く握る。

そうして、私は出かける。
あなたの元へ。
春恋に飲み込まれないために。
安心するために。
不安になるために。

私は、出かける。

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