所詮はね、対岸の火事。対岸の火事だ。
小さく聞こえる遠くの声をそう思い込みたくて、自分に言い聞かせる。
不快な、理不尽な、それでいて自分勝手な声は、遠くから、細波のように聞こえている。
目を閉じて、脚を折る。
細波がざわめき、少し大きくなって、騒がしくなる。
ニンゲンという種族は、とても遺伝子に忠実で、合理的な生物だ。
自分の種族を繁栄させ、生かすための合理的な進化を遂げている。
遠くの声の主、ニンゲンたちは、その進化の、自分たちの遺伝子が導き出した正解に忠実に従っている。
自分の種族だけで群れ、自分たちの種族を他の生物より優位である、という常識。
とりあえず、同胞たちの記録によるデータを信じて、頼れそう、利用できそうなものはとりあえず、なんでも一度利用してみる、という逞しさ。
他の生物を利用して繁栄を享受するには、これくらいの強かさが必要なのだろう。
だから、私はこんなところにいるのだ。
私たちクダンの予知は、あくまで敏感な感覚や蓄積した経験から導き出される予測予知であり、ニンゲン界でいうところの天気予報程度の意味しかないというのに。
それを知り得ないニンゲンは哀れなことに、
こうして私のように、若いクダンを捕まえて、もてなし、「予知をしてほしい」と、ちくばくに希ってしまうのだろう。
できることなら、精度の良い予知をしてやりたい。
しかし、私はまだ若い。
聡い感覚はまだ研ぎ澄まされていないし、賢い経験はまだそれほど積み重なっていない。
クダンは歳をとるほど、精度の良い予知ができるようになるのだ。
ニンゲンの言い伝えで「クダンは予知をすると死んでしまう」というのは、なんてことはない、当たるほど精度のある予知をできるクダンはみな年寄りで、余命幾ばくかであったということだけなのだ。
まだたった100年しか生きていない、若輩の私には、まだまだそのレベルの予知はできない。
未来予測のような予知をするには、少なくともあと1000年は…。
テキトウでも何か予知をすれば、ニンゲンは私を解放するだろう。
しかし、自分たちの村落の命運を握る予知を、勘違いのためにこんな私に頼ってしまっているこの哀れなニンゲンたちに、テキトウな予知を投げるなんてこと、と躊躇ってしまうのだ。
遠くの声。
哀れっぽく、必死なニンゲンたちの声。
理不尽で、逼迫した、哀れな状況に置かれたニンゲンたちの、悲しく、理不尽な声。
ニンゲン、他種族の置かれた状況なんて、対岸の火事だ。
彼らが無慈悲に他種族を利用するように、私だって彼らから逃れるためにテキトウな予知をしていいはずだ。
していいはずなのに…。
ニンゲンの声から、できるだけ心を遠ざける。
あれは遠くの声。
対岸の火事。
自分に言い聞かせる。
遠くの声、ニンゲンの希う声が聞こえる。
遠くのはずなのに、遠ざけたはずなのに。
だんだん、細波のように私の心に近づいてくる。
目を閉じたまま、耳を伏せる。
遠くの声は、まだ聞こえている。
聞こえている。
4/16/2025, 10:33:00 PM