「ロマンに欠けるな」と、叔父さんは言った。
油紙で包まれた、分厚い、古い地図をガサガサと鳴らして広げながら。
新しい地図をたたみながら、僕は「やっぱりね」と心の中で呟く。
僕の叔父さんはちょっと変わった人。
いや、だいぶ変わった人。
だいぶ変な…エキゾチックな社会人。
探検家で、研究者でもある。
好奇心とチャレンジ精神と考古学知識の塊だ。
それ以外の、探検には邪魔な人間性とか、配慮とか、社会性とか、そんなものは、曰く、底なし沼に沈めてきたらしい。
そう。だいぶ変な大人だ。
僕のママの弟である、この叔父さんは。
そしてダメダメな人でもある。
小さい子みたいにお風呂が嫌いで、大人になってもなかなか入ろうとしないし。
おべっかとか、お世辞とか絶対言えなくて、人の気持ちなんて考えずに、言いたいことをそのまま言うし。
ものは古ければ古いほど大好きで、汚れたり壊れたりしたガラクタをありがたがって、まんまと買わされて、しまい込む。
しかし、片付けはできない上に仕事でよく家を留守にするので、もう家賃の恩恵を受けて、この家に住んでいる本当の主人は、もしかしてこのガラクタたちなんじゃないか、と思うくらい。
本当にダメな大人だ。
子どもの僕でも付き合いきれない、そう思う。
でも。
でも、だからこそ、ママは叔父さんが放っておけないみたいだ。
今日…というかいつだって、僕はママに頼まれて、叔父さんの様子を見に行ったり、物を渡しに行ったりする。
叔父さんは大人が嫌いだから。子どもの僕が行くんだ。
今日だって、ママが叔父さんの誕生日プレゼントに用意した、新しい地図を渡しに来たんだ。
叔父さんは、それを聞いた上で受け取らなかった。
そう、「ロマンに欠けるな」そう言って、鼻で笑って、受け取らなかった。
そりゃあ、叔父さんらしいけど、それはどうなの?って子どもの僕でも思うよね。
ママの気持ちをもうちょっと考えてあげればいいのに。
でもママだってズレている。
だって、叔父さんはいつも言ってるし、いつも態度で示してる。
新しいものより、古いものの方がいいんだ、好きなんだ、って。
ロマンが詰まってるんだって。
だから結局、お互い様なんだ。
ママも叔父さんも、何も分かってない。
分かってるのは、僕だけなんだ。
だから、この地図を、叔父さんのプレゼントとして、ママにおすすめしたんだ。
叔父さんは、もう新しいピカピカの、最新の地図には目もくれない。
だから僕は、新しい地図を折りたたんで、しまい込む。
帰ったら、なるべくしおらしい顔でママに事情を話して、新しい地図は、僕が引き取ろう。
「何笑ってんだ、呑気に楽しそうだな」
地図をしまい込む僕を不思議そうに見つめ、叔父さんがぶっきらぼうに言った。
「いつも同じこと言っても涼しげに聞いてるのに、こういう時は照れるの」
イタズラっぽくそう言って、唇の縁を撫でるあなたの顔が、あんまりにも勝ち誇っていたから。
「…そういうところが、“好きだよ”なんでしょ?」
微妙に目を逸らしながら、とびっきりの可愛らしさとちょっとの小憎らしさを精一杯装って、返す。
「…生意気」
掠れた声で、呟くあなたの目が言っている。
好きだよ。
…私も。だなんて素直に返せる私じゃないし、
私が好きなのは、そんな私を好きになってくれたあなただから。
素直になんて、なってあげない。
手を伸ばすと、柔らかい頬が触れた。
「言葉では言ってくれないの?」
ふわふわとした言葉で、あなたが笑う。
微妙に目を逸らす私に、あなたが微笑する。
「素直じゃないけど、好きだよ」
囁くように告げるあなたの声が、あまりに真っ直ぐで、嬉しくて、気恥ずかしくて、息の合間に「あっそ」と呟く。
あなたの笑顔が深くなる。
優しいあなたのその笑みの時に、目尻に出来る細かな皺が、私は好き。
笑みと一緒に、優しく、慎重になる滑らかなあなたの仕草も好き。
私の、逸らす目線に合わせようと、そっと私の頬に添えられる、あなたの人差し指と中指と薬指の優しい感覚も好き。
好きだよ
心の底から込み上げるその言葉を、うっかり口から漏らさないように内唇を噛んで、
私はあなたの「好きだよ」を聞く。
あなたの「好きだよ」を感じる。
一刻の 美を永遠に 留めたく
接木の桜も 君撮る我も
一刻の 美も永遠に 生かしたく
接木の桜も 文字を書く吾も
なっちゃった。
なっちゃったんだよ。怪物に。
君と。
君と。
君と。
君と。
骨はドロドロ溶け合って。
肉はくちゃくちゃ混じり合って。
組織はぐるぐる一緒になって。
なっちゃった。
なっちゃったんだよ。怪物に。
君と。
君と。
君と。
君と。
怪物になれって呪いが、
世界中の空気に囁いて、
身体を溶かして、
脳を混ぜて、
怪獣に
なっちゃうの。
なっちゃうんだよ。怪物に。
君も。
君も。
君も。
君も。
I will became
I will be monster
and you
and you
and you
and you
The bornes fuse together
The meeles mix together
The blood intertwine together
I has became
I has became monster
and you
and you
and you
and you
A curse to became monster
whisper to the world
It melt our bodyes
It mix our braines
Became a monster
I'll became
I'll became monster
and you
and you
and you
and you
空に向かって手を伸ばす。
今日の空は、青い。ぐにゃぐにゃの寒天みたいな空だ。
空の上から伸ばした手は、ぐにゃりと吸い込まれるように空に沈む。
引き込まれるように、身を乗り出す。
青い空がぐにゃりと蠢く。
私の職場は、確かに硬さのあるこの空を飛ぶ船だ。
国から国へ、港から港へ、商品を運ぶ輸送船。
障害物のない空の上、船腹につけられたオールが、ぐにゃぐにゃの空を掻き回しながら前に進む。
そんな空船の船員を、私はしている。
私はこの空船のデッキから、空を覗きこむのが好きだ。
オールでかけるほど確かに形がありながら、いつもどんな時もあってないような慎ましさの空が、不思議で、好きだから。
船から見る空は本当に遠くて、吸い込まれそうなくらいに美しく、好きだ。
そして、空に手をつけるのももっと好きだ。
空は永遠に深く続いていて、底がしれない。
そんな不思議な感触を、手で味わうのが好きなのだ。
だから、今日の休憩時間にもここに来た。
そうして、吸い込まれそうな空に向かって手を伸ばす。
底は見えない。
地上も遥か遠くだ。
青い空が、手を沈めていく。
美しい、なんとなくひんやりとした空に手を浸していると、なんだか体も浸したくなる。
それをなけなしの理性と現実で留めて、私はいつも目を輝かせながら、果てしない空の底を覗き込む。
いつもは空に飛び込んで、身体中を空に浸そうなんて、思わない。
空の底は見たいけど。
空に身体を浸せば、重力で、空の底のずっと前にある地上に叩きつけられるだけだと分かっていたから。
だから、私はデッキの上で、せいぜい空に向かって手を伸ばす、くらいのことしかしてこなかった。
今日もそのつもりだった。
私は空に手を浸しながら、休憩明けのことを考えていた。
その時、船内に続く船デッキのドアが、勢いよく開いた。
雪崩れ込むように、一人の商品が、船デッキに走り込んできた。
商品は、体に垢と傷をこびりつけた、見窄らしいその全身に、怯えと焦りと恐怖の感情を貼り付けて、青ざめた。
私の顔を見て、デッキの手すりを見て、空を見た。
そして、彼は、飛んだ。
空に向かって。
両手を広げて。
青い、深い、果てしない空が、彼をあっという間に呑み込んだ。
空は、彼が飛び込んだその一瞬、その一部だけざわめかせて、彼を包み込んだ。
…あとは静かな、元の凪いだ空が残っていた。
青い、青い。
逼迫した何かが込み上げた。
切ない空への憧れが、無責任にも私の背を押した。
私は。
私は。
私は、空に向かって手を伸ばした。
空に向かって肩を伸ばした。
空に向かって身を乗り出した。
空に向かって足を踏み出した。
まずは上半身を、続いて腰を、続いて足を、爪先を。
空に向かって投げ出して、空に向かって乗り出した。
きっと、飛び込み姿勢は美しくとれたとおもう。
細く伸びた私の全身は、するん、と、ほとんど抵抗なく、空に落ちた。
恐ろしいほど早い落下の中で、全身は空に浸っていた。
全身が、風を切って空の深みへ、真っ逆さまに沈んでいく。
私は幸せだった。
身体は、ゆっくり、でも十分な速さで、私を空の底へ、底へと沈めていった。