「別に解散までしなくてもいいんじゃないの?やれるときにゆるくやるっていうユニットだったじゃん」
いつも1日は返ってこない返信が、今日は数秒で来たものだから、少し驚いた。
「私も忙しくなっちゃったからさ。他にもやりたいことあるし。それにー」
"あの子と活動したいんでしょ?"
言いそうになったけど、その先は言うのをやめた。
広い広いネットの海で、同じような活動をしている人が五万といる中、奇跡のように出会う事ができた相方だった。
音楽の趣味、好きなアーティスト、憧れややりたいこと、色々なことを話していた出会った頃はすごく胸が高まったし、楽しかった。
それが今は、停滞中。
私のせいだ。思うように歌えないんだ。
音源をもらっても気が乗らなくて、ゆるくやっているのをいいことに放置して、動かさずにいる。
仕事の環境も、家庭の環境も最悪だ。
それらに私の精神力は奪われて、うまく自分を表現できないんだ。
何度も歌おうとした。レコーディングもしようとした。
だけど、歌えば歌うほど焦って涙が出て、やっと撮れた音源だってボツになって。
歌が大好きなのに。他の何よりも歌が、誰にも負けたく無いくらい好きで好きで仕方がないのに。
だからこそ思うように歌えない事が怖くて、辛くて、仕方なかったんだ。目を逸らしたんだ。
君は優しいから、私を責めないし急かすような事も絶対にしない。
だけど、本当はもっと活動したいんだろう。
ユニット以外のボーカリストと活動してはいけないなんてルールはどこにもない。
"あの子" あの女性ボーカリストと絡む回数がやけに多いこと。タイムラインに彼女を褒める言葉がよく上がってくること。
そして1日返ってこなくなる連絡。
「イラストを描いて欲しい」と頼まれて送られてきた音源のボーカルは大抵彼女の声だ。
例えるなら、妊娠中に身体をすごく優しく労られながら、堂々と公言されて浮気されているような感じなのだろうか。
辛かった。焦っていた。
だけど、どうしようもなかった。
動きたくても、すぐには動けない事情が私にもあったから。
その間にも刻々と彼女に奪われていく立場が、彼女がいるこの界隈から消えたくなった。
「私しばらく音楽から離れたいんだよね」
「え……」
こんな荷物な私を自分からふり解けるほど君は強くないし、私をそこまで嫌いでもないだろう。
彼女を追い抜くほど、振り払えるほど今の私も強くない。
こうするしかなかったんだ。
「戻ってくるまで、ずっと待ってます」
そう言うと思ったよ。
やめてよ。守れない約束なんかしないでよ。
そんなこと言われるくらいなら無理やりでも引き留められた方がマシだ。
その言葉が優しければ優しいほど、嘘になった時残酷になることを君は知らない。
人は常に動き続け、変わり続けるんだ。
ずっと待てるわけなんかないし、その必要もないんだから。
もしも未来が見えるなら、君が私ではない誰かと幸せでありますように。
これは私なりの精一杯のごめんねだ。
多機能すぎる電話の画面に指を滑らせる。
"がんばれ"
アカウント削除完了。
ふふ。
だから、なんだっていうんだろ。
ちっぽけな私が消えて、これで何が起こるっていうんだろう。
私だって本当は……
今日は、泥のように沈もう。
二度と上がって来れないくらい深く深く。
君の目を見つめると、君は裸になる。
君は自ら、心の服を脱ぐ。
良い人のふりも、上司の顔も辞めてしまう。
難しそうな顔でやってるふりの仕事も放り投げてしまう。
「出た、その目。その見透かしたような目が苦手なんだよ」
拗ねたような、何か諦めたような顔で、あなたはいつもそう言うけど、嘘ばっかり。
本当は私のこの目が、大好きなくせに。
見透かされて、自分に嘘をつけなくなるこの瞬間が、本当は好きでたまらないくせに。
私は嘘がつけない。男性経験もない。
ただただいつも真っ直ぐに全力で生きてきた。
そんなまっさらな私を汚すことが、最高の背徳感だったんだろう。
振られたことすら、騙されたことすらない私だけど、あなたがろくでなしの嘘つきだってことは見抜いてた。
プライベートを一切語ろうとしないこと。
写真を撮られるのを極度に嫌がること。
名前を名乗る時、いつも苗字しか言わないこと。
うまくやれてると思ってるかもしれないけど、まるでバレバレ。
それが、寧ろ可愛く見えてしまったのかもしれない。
うん、多分そうだ。きっと、そう。
私が遅くまで仕事しているとき、名指しでひどく叱られたとき、あなたはたった一人遅くまで残って、励ましてくれる。笑いかける。
いつも嘘つきな顔なのに。
それなのに。
そういう時のあなたは、本当に優しい目をしてる。
だから狡いんだ。
それに甘えてまんまと弱さを見せた私が悪い部下だったの?
いつからこうなったんだろう。
私の身体を弄ぶ彼は、私を苛めて昂っている。
強引に抱き寄せたくせに、あなたの方が鼓動が速い。
耳元で囁く言葉には、湿った吐息が混ざって隠せない。
頸に熱を感じて全身が甘く痺れる。
「ねぇ……」
その目を見れば、その昂りが、余裕のなさが演技ではないことが分かる。
私はその様を見て、最高に興奮するの。
サディストはどっち?
なんて、頭のどこかで考えるけど、そんなことどうでもいい。
自分が何番目の女かなんて考えたくもない。
愛だとか恋だとか、そんなことも考えたくない。
あなたに脱がされながら、
私はただ、あなたの心の服を脱がせる。
君の目を見つめると、君は裸になる。
「えらいものを見てしまった!」
部屋に逃げ帰った今も、心臓のバクバクが止まらない。
ーーー
遡ること数十分前。
岩肌に寝転がって夜空を見上げていた。
自分の家からは見たこともないような満点の星空だ。
人生で初めての『法事』というものに連れてこられた。
会ったことのない遠い親戚の家に来ている。
宇和島という田舎に来たのは記憶があるうち初めてだ。
親の実家は卯之町という、愛媛でも南の方なのだが、宇和島はさらにもっともっと南だ。
住んでいる伊予だって田舎だと思っていたけど、卯之町のほうはもっと田舎で、宇和島はもっともっと大自然だ。
海に沈む夕陽と山が隣り合っている。
道路は曲がりくねっていて、トトロでも出てきそうな鬱蒼とした森に繋がっている。
こんな景色見たことがない。
兄や弟はなんの興味も示さず、部屋の中で親に借りた携帯電話でゲームをしている。
私は周りを探索したくてたまらなくて、晩御飯を食べた後外に出てみた。
すると、真っ先に視界に広がったのは見たこともないくらいの星空だった。
卯之町や内子、久万高原町、山の高いところで星を見たことがある。
それでも比べ物にならないほど、小麦粉をひっくり返してしまった時のような星屑の一粒一粒が、きらきらと光の強弱をつけて揺れている。
「流れ星!」
あまりの綺麗さに口がぽかーんとあいたまま、星が流れていくのを見つける。
ひとつ、またひとつ。
来る前にニュースか何かで見たけど、確か流星群の時期ではなかったと思う。
それなのにこんなにも見えるものなのかと、面白くなって近くにある大きな岩にねそべってみた。
真夏の夜だが、空気はそこまで暑くなく、ぬるい空気に岩肌のひんやり感が心地良い。
寝そべってみる夜空には、遮るものが何もない。
親が好きでよく聴いていた「Amanogawa」という曲の歌詞が浮かんだ。
"夜空に落ちそうになる"とはこの事なのかもしれない。
どのくらいそうしていただろう。
心地よくてうとうとしてきた頃、眠気を吹っ飛ばす「それ」が突然視界に飛び込んだ。
「え…?」
ものすごい光を放ち、まるで打ち上げ花火のようなスピードで何かが夜空を滑っている。
肉眼でも見えるくらい、周辺の空に煙のようなものを放ちながらロケットのようにゆっくりと滑った後、遠くの山の向こうへ消えていった。
子供ながらに感じた。
あと2分くらいで死ぬ、と。
隕石、UFO、爆弾、ミサイル、いろいろな可能性が頭を駆け巡り、途端に1人でいるのが怖くなって家に逃げ帰った。
「えらいものを見てしまった!」
部屋に逃げ帰った今も、心臓のバクバクが止まらない。
動揺を隠しきれない私を横目に、兄や弟は何食わぬ顔で退屈そうにゲームをしている。
母や叔母も、何ひとつ顔色を変えず昔話に花を咲かせる。
その様子を見て私もなんだか気が抜けて、今見たものを話す気がすっかり失せてしまった。
腕がすごくかゆい。
暗闇では全く気が付かなかったが、明るい部屋で自分の体を見ると、数えきれないくらい蚊に刺されていた。
そうだった。忘れていた。
ここはど田舎だ。
かゆいかゆい。
気が抜けたら一気に痒くなってきた。
私が見た「えらいもの」が、生まれて初めて見た「火球」だと知るのは、携帯電話を手に入れる頃の話。
ー星空の下でー
「自分を支える柱は一本じゃなくていい。」
彼はそう言った。
彼とは、長時間一緒に居てもあまり目が合わない。
避けられているわけではない。
彼の思考は常に、色々な時空を巡っているのだ。
直感の鋭い私が不快感を覚えない。
私を避けるよう意図的に目を合わさない人もいる。だがそういう人は、さも言えぬ不快感を空気に混ぜてくる。
私はそれを敏感に察知してしまう。
特に、あの人と居る時は。
だが、彼からはそれを感じない。
見ようとしないから目が合わないんじゃなく、色々な世界を見ることに忙しくて目が合う隙間がないと言った方がおそらく正しい。
しかもその目は、何を捉えているでもなく、宙を彷徨っている。それにもかかわらず、どこか楽しそうなのだ。
その様子が私にとっては面白く、また心地良い。
同じ時間を過ごすほど、歪に凍りついた私の心は少しずつ、溶かされていった。
勝手に昇って、勝手に沈んでいく太陽のように、優しさとも少し違う名前の分からない温もりに。
今の私には、自分を支える柱の本数があまりに少ない。
一本ぐらつくだけで、たちまち崩れ落ちそうになる。
だからその一本しかない柱に両手でしがみついて、必死で支えていたんだ。
これと決めた柱一本でどうにか生きねばならないと、勝手に思っていた。
だけど、私は勇気を出して少し手を離してみた。
大きくぐらついたけど、崩れはしなかった。
そして彼と出会い、居場所をわけてもらい、柱がもう一本建った。
私はそれを悪いことだと思っていた。
だけど彼は、それでいいと言った。
人生の柱は一本じゃなくて、多い方がいいと。
どこかが崩れても、他の柱で支えられる。
その繰り返しだ、と。
彼の心にはきっと、丈夫な柱がいくつも建っているんだろう。
彼とあまり目が合わないのはきっと、その柱一本一本を見て回り、色やデザインなんかまで考えて夢中だからだろう。
だからこんなにも自由で、楽しそうに映るのだろう。
私がずっと守ってきた一本の腐った柱が、いまにも崩れる寸前なのだ。
だけど彼の言葉を聞いて、怖くなくなった。
これからまた柱をたくさん建てればいい。
そう、それでいいんだ。
溢れてしまった涙を、目が合わないうちににこっそり拭いた。
「じゃ、パワーの出るものでも食べますか。」
彼はそう言ってウーバーイーツを奢ってくれた。
よし、もうすぐ辞めよう。
私の居場所は、あそこだけじゃない。