「自分を支える柱は一本じゃなくていい。」
彼はそう言った。
彼とは、長時間一緒に居てもあまり目が合わない。
避けられているわけではない。
彼の思考は常に、色々な時空を巡っているのだ。
直感の鋭い私が不快感を覚えない。
私を避けるよう意図的に目を合わさない人もいる。だがそういう人は、さも言えぬ不快感を空気に混ぜてくる。
私はそれを敏感に察知してしまう。
特に、あの人と居る時は。
だが、彼からはそれを感じない。
見ようとしないから目が合わないんじゃなく、色々な世界を見ることに忙しくて目が合う隙間がないと言った方がおそらく正しい。
しかもその目は、何を捉えているでもなく、宙を彷徨っている。それにもかかわらず、どこか楽しそうなのだ。
その様子が私にとっては面白く、また心地良い。
同じ時間を過ごすほど、歪に凍りついた私の心は少しずつ、溶かされていった。
勝手に昇って、勝手に沈んでいく太陽のように、優しさとも少し違う名前の分からない温もりに。
今の私には、自分を支える柱の本数があまりに少ない。
一本ぐらつくだけで、たちまち崩れ落ちそうになる。
だからその一本しかない柱に両手でしがみついて、必死で支えていたんだ。
これと決めた柱一本でどうにか生きねばならないと、勝手に思っていた。
だけど、私は勇気を出して少し手を離してみた。
大きくぐらついたけど、崩れはしなかった。
そして彼と出会い、居場所をわけてもらい、柱がもう一本建った。
私はそれを悪いことだと思っていた。
だけど彼は、それでいいと言った。
人生の柱は一本じゃなくて、多い方がいいと。
どこかが崩れても、他の柱で支えられる。
その繰り返しだ、と。
彼の心にはきっと、丈夫な柱がいくつも建っているんだろう。
彼とあまり目が合わないのはきっと、その柱一本一本を見て回り、色やデザインなんかまで考えて夢中だからだろう。
だからこんなにも自由で、楽しそうに映るのだろう。
私がずっと守ってきた一本の腐った柱が、いまにも崩れる寸前なのだ。
だけど彼の言葉を聞いて、怖くなくなった。
これからまた柱をたくさん建てればいい。
そう、それでいいんだ。
溢れてしまった涙を、目が合わないうちににこっそり拭いた。
「じゃ、パワーの出るものでも食べますか。」
彼はそう言ってウーバーイーツを奢ってくれた。
よし、もうすぐ辞めよう。
私の居場所は、あそこだけじゃない。
4/4/2024, 5:28:06 PM