【百合、バッドエンド注意】
私は昔から、「運命の人に会いたい」と願っていたような気がする。
なのに、誰かを好きになるということが一度もなかった。
そのうち、好きになる相手が現れるだろう、運命の相手に出会っていないだけだと信じていた。
今日から私は、社会人になる。
結局、大人になっても運命の相手は現れないまま。
そもそも、恋愛小説などは好きではないので、運命の相手というものが何かさえおぼろげなのだが。
今日は簡単な業務についての説明のあと、会社の飲み会があるらしい。
きっと今夜は疲れて眠ってしまう。
今日も運命の出会いなどないのだろう。
暑い。
4月の夜なのに、暑い。
着慣れないスーツと履き慣れないヒールのせいだろうか。
あとは、たしかお酒を飲んだ。
そのせいもあるのだろうか。
涼しいところへ行きたいが、ここは一体どこなのだろう。
お酒を飲んだことは覚えているのだが、その後の記憶がない。
会社に指定された無駄におしゃれな店の前にいるのだから、もう飲み会は終わったのだろう。
時計を確認すると0時を回っていた。
家に帰らなければ。
就職する前に住んでいた田舎にはなかった、駅というものまで歩いて、乗る電車も……わかる。
よし、酔っ払ってはいるけれど、帰れるな。
まっすぐ歩けているかどうかは不安だけれど、とにかく駅まで歩いた。
とにかく駅に入ることができた。
改札まであと数歩。
が、そう思った次の瞬間、視界が斜めに傾いた。
倒れたのか、と気づくまでに、おそらくは十数秒を要した。
まずい、深夜故に人は少ないものの、駅員さんに迷惑だ。
「あの、大丈夫ですか?」
ドキリとした。
酔っぱらいが迷惑をかけて、申し訳ない。
しかも若い、綺麗な女の人だ。
酔っ払っているせいで歪んで見えるその顔は、なぜかきらきらと輝いて見えた。
「飲みすぎました……。ここまで来られたので、あとは大丈夫だと思います。ご迷惑おかけしてすみません……。」
「よかったら、家まで送りますよ。」
そんな迷惑をかける訳にはいかない。
そう言葉にしようとしたら、次の言葉が飛んできて酔いも醒めるような心地がした。
「私、帰る場所がないので代わりに泊めていただけると嬉しいです。介抱もしますので。」
帰る場所がない?
どういうことだろう。
そう思ったものの、聞く余裕はなかった。
私は諦めて、この若い女の人に着いていくことにした。
眩しい。
頭が痛い。
確か、飲みすぎて――
「おはようございます。泊めていただきありがとうございます。」
美人だなあ。
う、頭が。
「水だけでも飲んでください。家に薬などはありますか?」
「飲み過ぎるつもりではなかったのでありません……。」
「何か買って来ましょうか?お金はありませんが……。」
「今日は、オンラインで講習を受けるだけなので、休めば大丈夫です。ありがとうございます。」
ところで、この女性は帰る場所もお金もないと言うが、一体どういうことなのだろう。
事情を聞いてもいいのだろうか。
疑問には思うが、言葉はするりと出てきてしまった。
「あの、帰る場所がないとは、一体どういうことですか?」
「あ、すみません、事情も話さず。私、高校を卒業してすぐに嫁いだ身ですが、その、旦那の暴力が凄くて。あなたは酔っ払っていても殴って来ないので、安心しました。」
えぇ。
暴力って、警察に通報するべきなのではないか。
「警察に通報しても駄目なんです。旦那は、警察と繋がりがあるようで、私の虚言としか見てもらえなくて。」
えぇ。
掠れた声で語る彼女の言葉を聞くと、思った以上にまずい状況のようだ。
「これから、どうするつもりですか。」
衝撃は大きかったが、また、言葉はすぐに出た。
この人のために何かできないだろうかと思った。
「しばらく、匿っていただけませんか。」
「そのあとは、どうするつもりですか?外に出るのも危ないのでは?」
「……」
黙り込んでしまった。
私にできることはないのだろうか。
遠くへ引っ越す?
それが一番現実的だろうが、お金をどう工面するのかが問題になる。
それなのに、またも言葉は考えるより先に出てきた。
「遠くに引っ越すお金が溜まったら、貸します。」
「ごめんなさい……あなたに頼るしか今はないかもしれません……。」
なぜだか嬉しく感じた。
それも、あなたに頼るしか、という部分を聞いたときに。
「私も助けていただいた身ですし。あのとき、倒れたままだったらどうなっていたか。」
こうして、ちょうど2週間が経った。
彼女は家事を手伝ってくれて、このアパートにいる。
家事をしなくてよいというのは、本当に楽だ。
助けるというより、助けてもらってばかりだ。
会社に行こうと玄関に立つと、ちょうどインターホンが鳴った。
そのまま、チェーンロックを掛けてドアを開ける。
「妻を出せ。隠しているんだろう、あ?」
は?
「出せよ。」
「出せって言ってるだろ。」
大柄な一人の男だった。
私は固まってしまったが、男は同じ調子で怒鳴り続ける。
「出てこいよ、愛紬。」
「はい。」
部屋から、あの女の人が出てきた。
そういえば、愛紬は、彼女の名前だ。
私は気が動転しているようで気づかなかった。
「人に迷惑かけたんだろ。謝れよ。おい。」
男は彼女の髪を掴んで引っ張る。
「申し訳ございません……。」
そのまま、彼女は連れて行かれてしまった。
衝撃だった。
止めることもできなかった。
彼女は、これからどうするのだろう……。
私は、泣きながら会社を休む連絡を入れた。
私は今まで、誰も好きにならなかったのは、運命の人に出会っていないだけだと思っていた。
しかし、私の運命の人は、彼女だったのだ。
私が好きになる人も、運命の人も、女の人だったのだ。
だから、今までどんな男の人に出会っても好きになることがなかったのだ。
もしも願いが叶うならば、彼女が……どうか、これ以上不幸な目に遭わずに済みますように。
ただ祈るしかない。
私には、彼女を助けてあげられる力はなかったから……。
「苦しい」
そう叫ぶ君には、私の言葉も聞こえてはいない。
それほどの苦しみとは、一体どれだけのものだろう。
想像してわかるものではないと知りつつも、私は苦しむ君を想い、こう考えるのだろう。
「この苦しみの僅かでも、代わってあげることができたら」
と。
桜が咲いた。
溢れんばかりにいくつもの花が埋め尽くすように。
生命力に満ちた桜並木を眺めて、私は過去を思い出す。
私は、公立の学校に通い、親や先生から文句を言われない程度の成績を取り、高校も就職者向けの公立校に入って。
そんな庶民の豊かとはいえない生活に何の向上心もなく、ただ早く働いて家を出たいなとだけ思って……人生を楽観視していた。
当然、給料もよくはなく、好きなものを買うという訳にはいかなかった。
まぁ、これはどんな職業でも欲に終わりが来ない限りはついて回って来るのだろうが。
そして困ったのが、私が女性であったという点である。
給料が安い。
仕事をもらえない。
そもそも就職も、男性募集の求人が多かったのを見てこんなにも日本の社会は女性に厳しいものなのかと思った。
まぁ、早く結婚しろということなのだろう。
成人してからは、田舎だけに周囲から見合いの話を勧められることも多かった。
が、私は結婚生活というものに何の魅力も感じなかった。
恋愛をしたこともないし、恋愛小説や少女漫画を読んでも、回りくどくてもどかしいだけでどんな感情もわかなかったのだ。
結婚のイメージがわかなかったので、見合いの話は持ちかけられればすぐに断るような生活を続けた。
じきに周囲のおせっかいなおばさんおじさんも諦めたらしい。
陰口を叩かれることはあっても、お見合いの話はいつの間にやら聞かなくなった。
そんな生活が変わり、私は今東北にいる。
私が高卒で禄に仕事をこなせなかったからか転勤を命じられ、再就職を乗り越える気力もなかったので一人暮らしである。
大学にでも通っていれば機会があったかもしれないが、一人暮らしはこれが初めてだ。
万全の準備をして挑もうと気を張っていたら、妙に疲れた。
あと一週間は休みがあるので、新生活の支度は後にして気を休めることにした。
この辺りの地理を知りたかったこともあり散歩に出た私は、今年二度目の桜を見ている。
向こうでは咲き始めたばかりの桜をゆっくり見る暇などなかったので、今年はいいかと思っていたが、なるほど実際に見てみると、東北はこれほどに気温が低く、桜の開花も遅いのか。
ーーばたり。
車通りもなく、静かだった桜の下に、何かが落ちた。
そちらを見れば、鮮やかな赤と黄色。
随分派手な色の服に金髪かあと思い、一拍置いて我に帰る。
人が、おそらくはまだ若いであろう少女が倒れていた。
慌てて近寄り、反応がないことを確認すると、携帯で救急車を呼んだ。
思ったよりもずっと冷静に、淡々と状況を伝えることができたのに驚く。
心臓がばくばく鳴っている。
3分もしないうちに救急隊が来た。
まあ実際はもう少し時間が経っているのだろうが。
救急隊に連絡先を伝え、身分証明に免許証を見せたが、他に何を聞かれたか、何か聞かれたかは覚えていない。
家に帰ると翌日、その少女からであるらしい電話がかかってきた。
連絡先などいつ渡したかなと思うも、記憶が確かでなかったため、渡しているのだろうと電話を取り、挨拶を返した。
が。
「突然すみません、連絡先を渡していないはずの相手からいきなり電話を貰えば驚きますよね。」
そういう訳ではなかったようだ。
「私は、先日桜の木の下で倒れた者です。紫音といいます。電話番号は、お姉さんが救急隊の人に話していたところでちょうど目覚めたので、覚えていたんです。」
「体調が大丈夫そうでよかったです。若いんですから、体を大事にしてください。」
ああ、あの時か。
とりあえず社交辞令を口にし、彼女の身を案ずるも、本当に体は大丈夫なのかなと思い直し、どきりとする。
「すみません、私は医学生で……勉強のためには、倒れても休む訳にはいかないんです。心配おかけしてすみません。寝不足で寝てしまっただけで、もう気を失って十分に寝たので大丈夫です。本当に、ご迷惑おかけして申し訳ありません……。」
なんと、謝罪のための電話であったのか。
若いのに体を犠牲にしてまで勉強して、資格を取ってからも休みなく働かなければならないとは、医者になるというのは、私の浅はかな想像よりも何十倍と大変なものであるらしい。
後ろめたい気持ちが浮かび、ちくりと胸に何かが走る。
「大変ですね。それでも医者を目指すなんて、相当な覚悟が必要でしょう。」
「いえ、私は両親が医者をしていて……。医者以外の職業は認めないと言われて、ずっと塾通いで勉強しただけなんです。なので、頭がいい訳でも、人間として優れている訳でもないんです。医者なんて、しょせんいくらもある職業の一つですし。」
余計に苦労人ではないか。
心臓の動きが先程より増して、さらに早くなる。
もう、この私の何倍も人生を味わった少女には余計なことは言わないようにしよう。
私は決意した。
「それで、私、お友達がほしくて。突然ですが、恩人ということならば、何度も会いに行っても父から文句を言われることもないですし。ですから、その。これからも、定期的に連絡しても大丈夫でしょうか。」
……おお。
彼女の父親は、かなり干渉してくる人柄のようだ。
私など、嫁ぎ遅れと言われる年齢になろうと、結局は諦められて何も言われなくなったのに。
この子の場合は、先に折れて諦めなければならなかったらしい。
衝撃に早くなった鼓動が戻っていないが、この子が人生を諦めなければならないというのが、どうにも許せなかったので衝動的に了承した。
彼女はかなりのお嬢様であるようで、毎回会食を奢られていた。
また、小学校から私立の女子校……いわゆるお嬢様学校だったために男性が苦手だなどという悩みも話してもらえるようになった。
私も、彼女がこれほどまでに人生を決められてしまっているのに、人生を選べるはずの自分は何もできない、していないというのが嫌で、海外に行くことが夢だったなと思い、必死にお金を集めながら英語の勉強をした。
そして、私は一人になる度に、思うようになったのだ。
彼女の人生を決めているのが私ではないという事実が、なんとも気に食わないと。
彼女を私だけのものにしてしまいたい、連れ去ってしまいたいと。
彼女は国家試験に合格した。
そこで私は、一緒に海外へ逃げようと誘った。
彼女の瞳から溢れる涙は、満開の桜を映して、頬を桃色に染め上げていた。
私と話しているうちに、随分と砕けたものになった口調で、彼女は答えた。
「桜と行く!!絶対について行ってみせる!!」