どんよりと雲が垂れ込めた泣き出しそうな空をただ眺めている
分かっている
泣きそうなのは空じゃないことぐらいは
紗がかかったように視界がにじむのは霧が出てきたからだというわけではないことも
「ひとりだなあ」
ぼそりとつぶやく
「ひとりだねえ」
返る声はない
空が泣いたら共に泣こう
傘も持たずに靴を履き、うすもやにけぷる世界に飛び出した
――結局、雨は、降りそうで降らず
結局、わたしも、泣きそうで泣かなかった
ただどんよりとした雲の下
ぼんやりぼんやり空を見上げてひたすら歩き、霧で濡れ、体を冷やし、風邪を引いた
そんななんでもない一日
メランコリックな日曜日
一人暮らしのアパートに帰ると、部屋いっぱいに、見慣れた顔をした子供と懐かしい猫がいた。
どれも同じ子供、同じ猫。子供の年齢と猫の大きさには差異がある。
これはみんな、ぼくと、ぼくの猫だ。
昨日は久しぶりに日記をひもといて思い出に浸っていたから、うっかり日記をしまっている箱に鍵をかけるのを忘れてしまったようで、思い出が勝手に出てきて遊んでいる。
「あーあ」
苦笑しながらもしばらくの間、懐かしく眺めて、それから。猫と子供の首根っこを掴んで一組ずつ箱に押し込むと、日記帳の一ページ程度の重量しかない彼らは、抵抗もなく箱の中に消えていく。
それを何度も繰り返し、部屋の中には泣きはらした顔で膝を抱えてうつむく少年と自分しかいなくなった。
その姿から、その仕草から。
彼の猫は、彼の心に穴を開けて空へとのぼったばかりだとわかる。
他の子供よりも年かさの彼の頭をそっとなで、顔も上げずに一点を見つめ続ける少年を、他の子らと同じように箱にしまって、最後に鍵をかけた。
箱を置いて、ぎゅっと胸を押さえる。
猫があけた穴は猫でしか埋まらないという。
僕の心にも彼とそっくり同じ形の穴がある。真新しい彼の穴とは違う、縁の固まった古い古い穴だ。
「新しい子をお迎えしようか?」という言葉に首を振り続けていたから、同じ形にずっと開いたままだった。
「……友達が、子猫を拾ったらしくてさ。すごくやんちゃなんだって。もらい手がどうしても見つからないって、いうから」
箱に貼られた写真に触れる。猫を抱えた子供が笑っている写真。思いでの中のぼくと、ぼくの猫。
「もやもやした染みみたいな模様があるから大きくなったらお前みたいなぶちになるかもなあ……」
机の上には真新しい日記帳。
これに明日からの子猫との日々を綴っていく。
窓の外には猫の爪のような細い月。
「あした、月が消える時にわたしも死ぬの」
彼女は病室のベッドの上で、そう言った。
オー・ヘンリーの『最後のひと葉』でもあるまいし、とぼくは小さく笑う。
昨日が朔の月だったから、いま空にあるのは繊月だ。
これから太っていく月。どんどん満ちていく月なのに。
大手術から目を覚ましたばかりだからか、手術前の一時の意識の混濁と麻酔のせいか、彼女は時間感覚が少し狂っているようだ。
「手術は成功したんだよ」
ぼくは彼女の柔らかな髪をそっと撫でる。「もう心配ないんだ」
明日、また一緒に月を見よう。言葉で言うよりもわかるだろう。
もしも雲が出て月が見えなければ、あの老人よろしくぼくが月を描いてみせてもいい。
病室を出てスマホで確認すると明日の降水確率は0%だった。
翌日。
月は出なかった。
雲に隠れたわけではない。
あの衛星は、何の前触れもなく、火球となって地球に体当たりしてきたのだ。
きたのかもしれない。
恐ろしいほどの大きさで迫ってきたあの火の玉は、本当に月だったのだろうか。
突然に全てが終わってしまって、どうなったのか本当のところはわからないのだった。
ぼくにも、誰にも。
――もしかしたら、彼女にだけはわかっていたのかもしれない。
「ね、言ったとおりでしょう?」
上も下もない暗闇の中、そんな声が聞こえた気がした。
この場所から見える色とりどりのまぶしい光
赤、青、黄、橙、桃
あなたたちが手にしているその光が
わたしに魔法をかける
わたしを笑顔にしてくれる
最高に輝かせて
もっと高いところに連れていってくれる
それがとてもうれしくて
大きく大きく手を振れば
光の渦でわたしに答えた
きみがここにいてくれるから
ぼくたちは頑張れる
きみがそこにいるかぎりここからみているよ
永遠じゃなくても
永遠は、なくても
輝くきみを手にした光で精一杯に明るく照らす
そこからいなくなる最後の時まで
ずっと
きっと
たぶん
ホコリが舞ってるみたいだね
都会の雪なんてこんなもんだよねえ
雪のかけらが宙を漂う
落ちてくる
落ちてゆく
ひらひらと
ふわふわと
積もらずに
積もれずに
地に落ちて
ただ消える