「今日が、君と最後に会った日だよ」
何の前触れもなく、彼女が言った。
「どういう意味?」
「どういう意味でしょう?」
「質問に質問で返してくる人って嫌な感じだな」
「少しは自分で考えようという気がないのかね、君は」
彼女はソファに腰掛け、偉そうにふんぞり返っている。
「その一、今日が君と僕の今生の別れになる。その二、前回会ったのが今日と同じ日付だった。その三、特に意味はなく、思い付きで言ってみた」
ぱっと思い浮かぶ事をひとまず並べてみた。
「僕的に一番有力なのは、今のところ三番目だと思うのだけど」
「この私がそんな意味のない事をすると思うのかね?」
彼女はまるで長い髭を撫でるかのような仕草で、顎の辺りを触っている。
「否定してあげたいところだけど、悲しいかな、君なら十分有り得ると思う」
僕の言葉に、今度はぷくーっと頬を膨らませ、眉間に皺を寄せこちらを睨む。
「はいはい、正解は?」
軽くあしらって答えを促す。
「その一が半分正解。今日が君と私の今生の別れになった」
その言葉に、思わず僕の眉がぴくりと反応する。
「君は一度死んでいるんだよ」
「小説を書いたんだ」
二人きりの教室に僕の声が響く。思ったより声は小さい。
「へぇ、君が書いたの?すごいね。なんてタイトル?」
「タイトルはまだない」
「何それ?夏目漱石?」
ふふっと笑った彼女の髪が揺れた。
「いや、まだ完成していないんだ」
「いつ完成予定?」
「わからない。一生終わらないかも」
「一生をかけて綴られる物語……なんか素敵!」
そんなにいいもんじゃないけどね、と思った。
「僕には長編を書く才能がないんだ」
「短編でもすごいと思うけどな」
「いや、短編とすら呼べない程短いんだ。場面毎のちょっとしたストーリーは思い浮かぶのだけど、それを繋げて一つの物語にする事が出来ないんだ」
彼女に伝わるか不安で、少しだけ早口になってしまった。
「なるほどね……。君、小説家になりたいの?」
想定していなかった質問が飛んできて、動揺してペンを落とした。
「なれるわけないだろ」
「可能か不可能か、じゃなくて、意思の話だよ」
「……そんなになりたいわけじゃない」
「そんなにって事は、少しはなりたいんだ」
否定できなかった。
「私にはよくわからないけどさ、ひたすら書くしかないんじゃない?」
「簡単に言うなよ」
「言うよ」
一瞬、沈黙の時間が流れる。
「簡単に、はっきり、言うよ。そうしないと君は何かと理由をつけて逃げる」
「ねぇ、1年後は何処にいると思う?」
「………。」
「私、北海道に行ってみたいんだよね。それも冬じゃなくて、夏に」
「なんで夏?」
「だって真冬の北海道なんてきっとすごい雪だよ。帰れなくなったら嫌じゃん」
それなら北海道じゃなくてもいいのでは、と思ったが言わなかった。そういえば、夏の北海道は比較的過ごしやすいと聞いた事がある。
「それでさ、青森、秋田、岩手……ってだんだん下がってきて、日本一周するの」
「それはまた壮大な夢だね」
「いいでしょ。冬は沖縄で過ごして、時間をかけてまたここに帰って来る」
移動手段は、とか、旅の資金は、とか、色々と問題はあるだろうが、まぁ案外悪くないなと思った。
「でも、今は明日の事さえどうなるかわからない」
僕の言葉に、少しだけ彼女の顔が曇った気がした。
「君は子供の頃どんな子だった?」
「何だよ、急に」
「そういえば君の事全然知らないなって思ってさ」
ふいに顔をのぞき込まれ、驚いて一瞬、足を止めかけた。
「…別に、普通の子供だったけど」
顔を背けて言う。
「普通って何?どんな?」
「帰り道に友達と一緒に帰ったり、気が付くとその友達の群れから遠く遅れてひとりで歩いていたりした」
「足が遅くて?それとも会話に入れなくて?」
「どっちもかな」
うーん、と少し唸ってから彼女が言う。
「それって友達なの?」
「どうかな。友達というより、ただ帰り道が同じクラスメイトくらいの感覚だったかも」
「なんか可哀想」
「………。」
哀れみの表情を向けられて少しイラッとしたが、言葉には出さなかった。