『紅の記憶』
赤い。目の前が、真っ赤になってしまった。明暗も濃淡もなく、ただひたすらに赤い。赤がこの世界を作っているような。見えている世界、ではなく、脳が、こころが真っ赤に染まってしまったような。そんな感覚だ。見えるものは赤いばかりなのに、他の感覚は鋭く鮮明だ。誰かの笑い声、肺を潰す圧迫感、誰かの笑い声、布が肌に擦れて熱になる、誰かの笑い声、狭く細い呼吸音、笑い声。
赤い感情、それは色々ある。その中でも僕は、殺意だと思う。初めて明確に殺意を感じたあの時、色をつけるとしたら、それは赤いだろう。
僕はずっと、嫌なことでも「殺したい」よりも「しにたい」が先に来る自責人間だった。何でも僕が悪い、ぼくが死ねば、と思っていた。そんな僕でも誰かに明確に殺意を持ったことがある。今思い返せば、それは拠り所が敵に転化した瞬間だ。僕は苦しいのに、笑っているなんて。友達だと思っていたのに、笑っているなんて。僕はその場にいる笑った奴ら全員に殺意を覚えた。きっと、その手に包丁があれば僕は殺人犯になっていただろう。いや、包丁じゃなくても、一撃で命を奪えるものが側にあれば、僕は死神と呼ばれる第一歩を歩んでいたかもしれない。
赤い記憶。それは殺意だ。血の色を連想するかもしれないが、この赤は、血というよりも絶望だ。
『記憶のランタン』
夜の空は綺麗だ。星が静かに輝いて、街を照らして、僕を照らして、とにかく夜というものは綺麗なのだ。
僕は4、5歳の時に父から貰った錆びれたランタンを持って、深夜の街を徘徊する。ランタンの金具をカラカラと鳴らしながら悠々と歩く。
そういえばこのランタンは、父の形見となってしまった。つい数ヶ月前に父は死んだ。案外あっけないと感じた。父が死んでから、昔の記憶をふと思い出すようになった。旅行先で、夜の町を探検するためにこのランタンを買ったこと。その時初めて、火傷をしたこと。探検中に寝てしまって、気づいた時には宿で朝日を浴びていたこと。
だめだだめだ、葬式中は泣けなかったのに、思い出すと泣けてくる。僕は暗く冷たい夜道を走った。夜風が顔面を撫でて涙が吹き飛ぶ。吹き飛んだ先から溢れ出す。目尻から涙が抜けていく。去っていく。叫びたかったけど夜中だから我慢した。
気づくと海岸に着いていた。スマホを取り出して時刻を見ると深夜の2時40分だった。スマホの明るすぎる画面に目が眩みそうになる。僕は砂浜に腰を落として夜空を眺めた。綺麗だ。自然と涙がおさまる。
そうだ。このランタンを海に投げよう。そうすれば、少しは楽になる。そのはずだ。
僕はランタンを握りしめて大きく振りかぶった。錆びついた取っ手はとげとげしていて強く握ると少し痛かった。
ガシャンッ
ランタンは足元の砂の上に落ちた。手が離せなかった。でも、強く打ち付けた衝撃のせいか、ランタンの硝子が割れ、灯は消えてしまっていた。
灯りのない帰路は真っ暗で、二十代後半になっても少し怖いなと感じた。
『冬へ』
私は、冬が好き。冬の空気は冷たくて、そっけないけど、でも、あなたを思い出す。
手を伸ばしても、冷たくてひっこめてしまった私の手を思い出す。あなたは、暖かくて、そばにいたら、溶けてしまう。私が、私でなくなりそうで。でも、それもまぁいいかな、なんて思って。でも近づけなくて、
そんな冬を、思い出すから
『君を照らす月』
「今夜は月が綺麗ですね」
ありふれた、言葉だね。というか、ありふれすぎて適当な相手に“月が綺麗”と伝えるとき、何と言えばいいのかわからないまである。まぁなんにせよ、そういう場面は生きてれば割と多くあって、心に置いておくときもあれば、「いや、マジで月綺麗!」と勢いに任せて言う時もある。そんなことばかりだと、本命の場でふざけそうで、ちょっと心配である。
ベランダの戸を開けて、夜空が侵入する。夜の空気って美味しいよね。そう、僕は言って、目を合わせずに君の隣でココアを飲む。熱々の甘いやつ。チラッと横を見れば、輪郭が神々しく、いや、案外それほどでもないかもしれないけど、黄色く縁取られている君がいる。月を見ようとして、君に魅せられる。君は月なのかもしれない。そうだ、きっと君はかぐや姫だ。どうりで毎日無理難題を押し付けてくるわけだ。それに可愛い。宇宙一かわいい。君がかぐや姫だとすれば、お母さんは竹になるのか。なんてまぁどうでもよくて。月光に縁取られた君は綺麗で。その月が、少し羨ましい。君をこんなにも、綺麗に彩れるなんて。
僕も、負けてられないな。
ひたひたの影
しゃぼん玉の
中の
虹みたいな
ゆらゆら揺れる
ふらふら触れる
小さくて弱い
あなたの形
光の帯が
すぅっと
めりこむ
心に侵入
あったかい
あなたの言葉