怖がり
私は八方美人な性格だった。
誰にでも良い顔をする、薄っぺらい性格だった。
私は家の都合で、何度となく引越しをした。
その度に、私は新しい人間関係を作らなければならなかった。
小学生、中学生と学年が上がるたび、人間関係を構築するのは難しくなっていった。
その頃は、一人になるのが怖かった。
誰でもいいから友達が欲しかった。
その為には、八方美人でいるのが一番都合が良かったのだ。
子供を育てる中で、ママ友達も欲しかった。
ただ、ママという存在は、子供のこととなると
手のひらを返したように、急に攻撃してくるのだ。
友達が一人、ママ友達との人間関係に疲れて、うつ病になった。
その友達が言っていた。
「ママ友達なんて、狭く浅く付き合うのが一番なんだ」
「本当に必要な友達は、一人二人いればいい」
私も、目から鱗が落ちる思いがした。
私は、何を一生懸命になっていたのか。
どうして、たくさんの友達を作ろうとしていたのか。
友達がいなくても怖くないのではないか?
私は無理をしてまでママ友達と会うのをやめた。
私の方から誘うのをやめた。
始めは、「なぜ誘ってくれないのか?」とか、「冷たい」など、非難された。
そのうち、私の周りには、ほとんどのママ友達がいなくなった。
今、私の周りには、友達は少ない。
でも、今の私は怖くない。自由だ。
星が溢れる
あんなにたくさんの星が近くに見えたのは、初めての事だった。
小学生の頃から、親に連れられて何度も登山はしていた。
ハイキングのような低い山から、2000m、3000mの山も、車で途中まで行って登ったり、頂上まで行かず、途中でお弁当を食べて帰ってきたりと、日帰りの登山は何度か経験してきた。
その山は、初めてではなかったが、泊まるのは初めてだった。
1日目は山小屋までの登山。
家族と親戚で、楽しく登った。
山小屋は狭く、自分の寝る場所はたたみ一畳ほどしかない。
次の日は早朝に起きて、ご来光を見るために頂上を目指しての登山だ。
私は仲の良い従姉妹と体を寄せながら眠った。
何時間たったのだろうか。
体を揺さぶられて目が覚めた。
従姉妹が一人でトイレに行けないから、ついてきてほしいと言ってきた。
トイレは山小屋の外にある。
確かに1人で行くのは不安だ。
私は一緒について行った。
私はトイレの前にある大きな石に座り、従姉妹はトイレに入って行った。
あー、目が覚めちゃったなと、なにげに上を見た。
度肝を抜かれるとはこのことか。
今までで見たこともない、たくさんの星。
その星たちが、手が届くのではないかと思うほど近くに見えているのだ。
圧倒されて、寒さなど忘れてしまった。
私は星に手を伸ばした。
つかめるはずがないのに。
トイレから出てきた従姉妹に、興奮気味に伝える。
従姉妹も星たちを見て感動していた。
普段下界では見れない星もみえているのだろうか。
星ってこんなにたくさんあるんだと実感できた。
次から次へと流れ星も見える。
「たくさん流れるから、願い事し放題だね」
従姉妹と私はそう話しながら、眠気や寒さを忘れて願い事をした。
どんな願い事をしたのか、今はもう忘れてしまったが。
安らかな瞳
私の心は、迷いや不安ばかりだ。
ここ何年も、朝までぐっすり眠れたこともなく、穏やかで落ち着いた気持ちになどなれていない。
そんな私はどんな瞳をしているのだろう?
死を迎えた時、やっと安らかな瞳と言われるのだろうか。
ずっと隣で
一緒にいるのが辛い!
何の会話もなく、ただ黙々と隣で数字を入力してるだけの先輩。
後輩の私がどんなに仕事が忙しくても、隣で見て見ぬふり。
先輩はいかにも忙しいかのように振る舞っているけれど、私は知っているよ。
いつもの入力の仕事をしているだけだよね?
みんなは騙せても、私は騙せないよ。
ずっと隣なんだから。
もっと知りたい
この歳になって、こんなに夢中になるなんて。
少し恥ずかしい気持ちになる。
初めて、「推し」というものができた。
「推し」は作るものではなく、突然やってくるもの、とは聞いていたが、まさかこの歳でやってくるなんて。
以前は、推し活なるものをしている人達を見て、なぜあんなに夢中になるのか、私はわからなかった。
ただ、夢中になれるものがある人達を、羨ましくも思っていた。
「推し」とは、恐ろしいものだ。
この歳になって初めて、推しを見ていたいので、仕事を休もうかと思った。
そこは大人として人として、自分の感情を何とかコントロールしたが。
起きている時間、気がつけば推しの事を考えている。
時間を忘れて推しを見てしまう。
料理を作りながら、通勤時間、お風呂に入りながら、ご飯を食べながら。
良いこともある。
推し見たさに、効率良く家事をするようになった。
推しを見ていることで、自然と笑いが起きてストレス発散になっている。
まだまだ、推し活は続きそうだ。
もっと知りたい気持ちが強いから。