ありがとう、ごめんね
お風呂でたまに思い出す、ひいばあちゃんのこと。私が小学5年生の時に転倒して足の骨を折り、寝たきりになってしまったひいばあちゃん。
転倒してしまったのは、風呂焚き場がある土間と台所と段差。本来ならば私がするべき風呂焚きをひいばあちゃんが代わりにしたのだ。
学校の宿泊学習でその夜は私が不在だった。ひいばあちゃんは誰に頼まれもせずに土間に降りた。
じいちゃんが亡くなってから1人で風呂焚きを担っていたひいばあちゃんにやってみたいから教えてほしいと頼んだのが小学3年生。それから1年間の修行期間を経て身に付けた自宅の風呂焚き。できる同級生は当時1人もいなかったので、私は鼻が高かった。
完全に私の仕事となっていたそれを、宿泊学習に行く前にひいばあちゃんに頼んだのか、違う誰かに頼んだのか、いや、すっかり忘れていたのだと思う。ひいばあちゃんが亡くなって15年近くになるが、まだ胸が締め付けられる。
そして、写真には残っていないけれど、ずっと心に残っている景色と経験。一緒に山に入って枯れた杉の葉っぱを拾ったこと、太い薪に絡み付いた火を見つめお互いの話をしたこと。ひいばあちゃんとでも、私1人きりでも、火と向き合う時間が大好きな時間であったこと。
ごめんね、だけど、ありがとう。
逆さま
出産後、自分の着ている服が上下逆さまだったり、裏表逆さまだったりすることがある。原因は何か?と思い返すと、最近姿見を見ていない。
最近服を断捨離して、5年前と比べて洋服の量はだいたい4分の1となり組み合わせを迷わなくなり、着替えた後に姿見を見るという習慣もなくなった。併せて大学卒業してから仕事がない日は化粧もお休みー!となってしまい、育休中の今は子育て支援センターでママ仲間や保育士さんと会う時や友人とお洒落なお店でランチする時くらいしか化粧をしない。だから、自分にかける美容代は月に千円行かないのではないだろうか…。
それと反比例するように子どもにかける洋服代は右肩上がりだ。サイズが小さいだけで可愛く見える乳幼児服。ついついネットショップを眺めてしまって気付くとカートの中には…。今しか親の思い通りに着せられないと割り切ってポチッと購入!届いたそれらを着せた我が子を愛でる幸せも毎日の子育てのご褒美ってことで。
自分の洋服代と子どもの洋服代が逆さまになるまで、もう暫くかかりそうだ。
眠れないほど楽しくて、大好きな時間
コロナ禍前→趣味の友達と居酒屋や旅館の客室で趣味トークしながらお酒を飲む
現在→趣味の友達とzoomで趣味トークしながらお酒を飲む
zoomはたくさんの人と一度に会えるけれど、物理的距離がない方が少人数でも盛り上がって楽しかったなぁ…
夢と現実
夢がなかった中学生時代。就きたい職業なんて考えられなかった。
今だに忘れられない。中学3年生秋、総合的な学習の授業中にパソコンで適正職業診断なるものをクラス全員受けさせられた。画面上の質問に直感答えていくと自分の適正職業が出てくる。
私の適職は「なし」。そんなことあり得る?あの時のショックをたまに思い出す。
そんな中学生時代に私は「25歳で結婚、30歳までに2人子どもを産む」と家のパソコンのWord文章に夢を書き込んだのを今思い出した。その頃からただ漠然と子どもを育ててみたかった。
現実では、年齢こそずれたが、2人の母親となり、出産後も子どもを育てる職業で給料をいただいている。
これが適正職業なのかはまだ分からない。
さよならは言わなかった。夫と結婚する前に付き合っていた人。
学部もサークルも違う、学年だけが共通点の彼に大学祭で一目惚れした私が猛アタックし、恋人同士になれた。私より15cm以上背が高い彼は、すごく優しかった。新興宗教にハマってしまった私を宗教抜きで受け入れ、マインドコントロールから覚めて落ち込む数ヶ月間はただ静かにそばにいてくれた。私が再び宗教にのめり込むことはなかったのは間違いなく彼がいたからだ。
大学2年生の終わりから大学卒業までの約2年間の付き合いだった。自宅から大学に通い大学院に進む彼と、地元での就職が決まっている私。優しい彼とは離れたくなかったが、私にとっては新社会人で遠距離恋愛は荷が重過ぎたし、お互いに結婚を意識する年齢でもなかった。
卒業式1週間前、デートの帰り道に「卒業後はもうずっと会わないよ」と彼に伝え、彼は「うん」と答えた。それから彼の声を聞くことも姿を見ることはなかった。
地元に帰ってから2年後に夫と出会い、5年後に結婚した。結婚してからもうすぐ5年、さよならは言わないでずっとこの人と生きていきたい。