新しい年の始まりを迎えると、いろいろ妄想を並べる。
あれをしよう、これに挑戦しよう、中途半端に手をつけていたあれもいっそ片付けてしまおう。
妄想のなかの自分自身はそれはもう、羅列した事柄をすべて華麗に平らげていく。なんならおかわりまでしている。しかも何度も。
しかし、一年が経とうとする頃に、我に返るのだ。
――また、なにも達成できなかった。
――小さな山や谷がそれなりにあるだけの日々を過ごしていただけだった。
昔は有言実行とばかりに動くことが苦ではなかったのに、いつからこんなに腰が重くなってしまったんだろう。
無駄に気持ちが空回りするようになってしまったんだろう。
このループから早く抜け出したい。
そう願う「だけ」の日を、今日も過ごしている。
お題:一年後
「今日は風が強いわねぇ」
直帰の途中、ふと先輩がそんなことをつぶやいた。
「そうですね。午後になったら少しは収まるかなって思いましたけど」
春先によくある突風レベルの強さではないものの、髪の長さが肩ぐらいまである先輩はちょっと大変そうだった。こっちもこっちで前髪が崩れそうでハラハラしていたけれど。
「ねえ、もし風に乗ってどこかに気軽に行けるとしたら、どこに行ってみたい?」
そんな質問をしてきた先輩は、いつものしっかりした雰囲気とは違い、無邪気に映る。
「風に乗って、って鳥みたいに空飛んで、ってことっすか?」
「まあ、そんな感じ。マント広げて飛ぶでも、なんでも」
「自由に飛べたらいいなって思ったことありますけど、急に言われたらわかんないもんっすね……」
ベタに海外とか、あるいは国内でも結構遠い西日本のほうとか?
「私は、誰も追いかけてこれない場所かなぁ」
小さな声だった。
なんだか穏やかじゃない内容に思考を止めて隣を見つめると、先輩はわずかに目を見開いてこちらを見返した。
「え、どうしたの?」
「誰も追いかけてこれない場所って……」
たぶん、先輩は聞こえていないと思っていたのだろう。明らかに言葉に詰まっている。
「いや、ほら、最近忙しいじゃない。だから静かな場所にサクッと行けたらなってこと」
先輩は誤魔化せていると思っているようだったが、俺には効かない。
いつもエネルギッシュで情けない俺を鼓舞してもらうことも多くて、あっという間に憧れの存在になっていた先輩。
そんな彼女を一番近くで見てきたから、ある日から様子がおかしいことにもすぐ気づいてしまっていた。今日だって「いつもの姿」を懸命に保とうとしている様子に胸を痛めていたところだ。
「どこか遠くに逃げたいんですね」
ついに、先輩の足が止まった。少ししてから動き出したかと思うと、近くにあった木製のベンチに力なく座り込む。
「あー、うかつだったなぁ。なんで私、あんなこと言っちゃったんだろ」
無意識だったのだとしたら、相当追い詰められている証に違いない。
いつも以上に、先輩の身体が小さく見える。
「逃げたって、しょうがないのよ。結局は、私が解決しなくちゃいけないんだけど……」
「じゃあ、俺がその役目引き受けますよ」
ほとんど勢いだった。
顔を上げた先輩は驚いた顔をしていたが、俺自身も同じ気持ちだった。
でも、放っておけない。
「先輩が一人で逃げにくいなら、俺が先輩の手を引っ張って、無理やりでも連れていきますよ。立派な足になってみせます」
先輩が、力なく笑った。
「逃げたい理由も聞かないで、一緒に逃げてくれるんだ?」
「少なくとも、膨大な借金を作ったとかいう理由ではないと信じてます」
「借金! それは確かに違うかな」
今度は肩を震わせながら笑う。
「……ありがとね。いい後輩をもって、私、それだけでも、救われてるわ」
俯いている先輩がどういう表情なのかはわからない。
それでもたぶん、泣いている。
根拠のない確信を抱きながら、先輩の前に跪いた。
「遠慮しないでください。俺、本気ですから。いつも先輩に助けてもらってるし、恩返ししたいんです」
背後では、いつもの街の喧騒がBGMのように流れている。俺と先輩だけが切り取られて、宙にでも浮かんでいるみたいだ。
どれだけ、その感覚を味わっただろう。
先輩が、遠慮がちに俺の手を掴んだ。
お題:風に乗って
「君の存在が、僕の生きる意味なんだ。君がいてくれるから、僕はこうしていられるんだよ」
「……そう。それは嬉しいわね。だったら」
――私が死んだら、後を追ってくれるの?
――私が一緒に死んで欲しいって言ったら、うなずいてくれるの?
「も、もちろんだよ。いきなりな質問だからびっくりしたけどね」
言いよどんだのがその理由だと言いたげだけれど、いずれ私の前からいなくなるのは目に見えている。
私の見た目に惹かれて寄ってきた人間はみな、そうだ。
「……添い遂げる覚悟もないくせに」
軽々しく、私を生きる意味になんてしないでほしいわ。
お題:生きる意味
※BL要素がありますので、苦手な方はご注意ください。
「所長って流れ星に三回願い事唱えたら、ってやつ信じてなさそうですよね」
まとまった休みを、僕の家で一緒に過ごしているときだった。
前日まで友人と一泊二日の小旅行に出かけていた昇(のぼる)くんの土産話を聞いている途中、突然なにかを思い出したかと思えば、そんなことを言われた。
「突然だね。まあ、その通りだけども」
「やっぱり」
隣に座る昇くんは小さく笑った。年齢より幼く見えるその顔に、いつも密かに「萌え」ていたりする。
子どもの頃、助けてもらった祖父が憧れの人だったと目を輝かせながら、孫の僕が引き継いだ探偵事務所の門をくぐってやってきてから一年ほどが経った。
彼はすっかり馴染んだし、先輩の梓くんにもいい感じに可愛がられている。
なにより、僕の大事な大事な恋人にもなった。
「泊まったホテルの屋上で星空鑑賞会やってて、参加してみたら流れ星が見れたんですよ! でも一瞬過ぎて願い事なんて言うヒマないですねアレ」
「当たり前だよ。ていうか来るのがわかってたとしても、単なる迷信だから無駄無駄」
ちょっと言い過ぎたかな? でも理屈が通らない事柄ってどうにも気持ち悪くて納得できないんだよね。昇くんはこんな僕の性格は充分わかってくれているとは思うけれど。
「まあ、願い事がないわけじゃないよ」
「えっ、なんですか?」
瞳を輝かせた昇くんが覗き込んでくる。そんなに期待されるとちょっと恥ずかしい。
「絶対叶うなら、愛愛愛! って叫ぶかな」
「あい……?」
眉根を寄せている昇くんの頬に触れて、続ける。
「昇くんともっとラブラブになりたい、ってこと」
単なる悲鳴か反論だったのかはわからない。
唇を食むように何度か角度を変えたキスをし終わると、怒ればいいのか恥ずかしがればいいのかわからない昇くんの表情があった。
「所長っていきなり論理的じゃなくなりますよね」
「え、そう?」
「そうですよ! いきなりら、ラブラブとか言い出して!」
結構本気で願っているんだけどな。今でも充分幸せだけど、たとえば「僕なしじゃ生きられないです!」とか言われてみたい、なんて。本当にそうなったら、昇くんらしさが消えてしまうから本気で願っているわけでもないけど、一日くらいなら……。
「だ、大体今も結構そうじゃないですか。おれ、ほんとに所長のことす、好きですもん」
視線は逸らしつつ、こちらの服の裾を遠慮がちに掴んで、なんとも可愛らしいことを言ってくれる。なのに僕ったら、ちょっとだけ意地悪したくなってしまった。
「本当に?」
「だったらキスとかしません」
「じゃあそのキス、たまには昇くんからしてほしいな」
反射的に僕を見た昇くんの瞳がいっぱいに開かれている。昇くんは照れ屋さんだし、僕からするのは全然嫌いじゃないけど、たまにはされる側の立場に立ったっていいでしょ?
「願い事三回唱えれば叶うかな? あーい」
ずるい、と恋人の表情が訴えている。別に激しくなくても……いや、それはそれで嬉しいし、燃える。
「あーい」
一瞬視線を伏せた昇くんが、勢いよく距離を詰めてきた。背中にソファーの柔らかな感触が走る。
「あー……」
三回目の言葉は、押し倒した勢いとは裏腹に優しく、けれど深いキスに飲み込まれた。
お題:流れ星に願いを
俺が好きな人は、決して望む場所まで招き入れてくれない。
「あの、俺、もう少し一緒にいたいです」
「だめよ。ご両親が心配するでしょう?」
「今日はいないんです。明後日まで帰ってきません」
「うん、それでもだめ。あなたは未成年なんだから」
通っている塾の講師だ。初めて見たときから好きだった。彼女に褒められたくて、少しでも印象をよくしたくて、勉強もテストも頑張っているようなものだ。
もうすぐ、目標の大学入試がやってくる。つまり、塾に通う理由がなくなる。
彼女に会えなくなってしまう。
「……べつに、先生は、学校の先生じゃないじゃん」
ジュースの入ったままのグラスを握りしめながらこぼれた台詞は、しっかり彼女の耳に入ったらしい。眉間にはっきりと皺が刻まれる。
「関係ありません」
「未成年だから? だったらなんで俺とこうして会ってくれるの」
「君がわからないところがあると言うからよ」
「何回もやってたら、それが口実だって先生ならわかるでしょ?」
彼女の口が閉ざされた。違う、こんな言い合いみたいなのをしたいわけじゃない。けれど勢いが止まらない。
「先生ずるいよ。俺の気持ち知ってるくせに、誘ったら乗ってくれるんだもん。期待するなって言う方が無理じゃん」
頑張って声を抑えているこの努力を褒めて欲しい。俺だって下手な騒ぎにするのは本意じゃない。
「……そうね。それは、私が悪いわね」
本当にそう思っている口振りと表情だった。ずるい、そんなふうにされたら下手な反論ができない。
「私、付き合ってる人がいるの」
思わず立ち上がってしまった。なんとか今いる場所を思い出して、すぐに腰を下ろす。
「だから、悪いのは先生。君は優秀な生徒だし、気に入っていたのはうそじゃないから、本当に申し訳ないことをしたわ」
うそだ。今までそんなそぶり、一度も見せなかった。諦めさせようとして、下手な芝居を打っているだけだ。
でも、仮に本当だとしても――
「俺、諦めないよ」
テーブルの上にあった彼女の手を取る。一瞬震えはしたものの、振り払われはしなかった。場所のせいかもしれない。
「先生には悪いけど、未成年なんて関係ない。先生が誰かのものになるのを待ってるつもりなんてない」
たとえルールに反していたとしても、目的が永遠にかなわないとわかってしまったら、「いい子」のレッテルなんていらない。
「全力であなたを奪いにいくから、覚悟しててね」
お題:たとえ間違いだったとしても