「大空」
あなたが下ばかりを見ているから、
あなたは空に気付かない。
ついつい目の前のことにめいいっぱいになって、
今日も疲れてうなだれてしまう
私は知っている。
朝焼けや夕焼けの心を焦がす美しさも、
青空のすっきりと澄んだ清らかさも、
満月の夜の煌々とする煌びやかさも、
新月の闇夜に息づく星のきらめきも。
全部、あなたが昔の私に教えてくれたから。
雨のあとには虹が見える、
と無邪気な笑顔であなたは教えてくれた。
今度は、私の番。私が、あなたに教える番。
「空を見てごらん。」
あなたが恐る恐る見上げた空。
あなたの目に、光が射す。
「ベルの音」
もう、あのベルの音はならない。
そう、思っていた時だった。
ちりん、とあのベルの音が聞こえて。
すぐさまベルの音に駆け寄る僕。
身体に染み付いた習慣。
だけど、心臓がうるさい。
ベルが鳴った部屋を開ける。
僕の目に映ったのは、まだ赤ん坊の女の子だ。
歳に不似合いなぐらい高級で優美なドレス。
だけど、着こなす彼女の顔は彼女の両親に似て高貴だ。
その手には、あのベルが握られている。
「お嬢様、起きていらっしゃったのですね」
僕は彼女に歩み寄り、彼女を抱き抱える。
蝶よりも、花よりも、丁重に。
抱き抱えられた彼女は、僕の目を大きな瞳で見つめた。
「お嬢様…」
僕が執事として仕えていた彼女の両親は事故で亡くなった。
彼女は、それをまだ知らない。
彼女の瞳を見つめ返す。
…知っても理解出来る年齢ではないだろう。
僕以外の召使いはみんな、事故を知って辞めていった。
僕と、彼女の、ふたりぼっち。
でも確かに、ベルを奏でるひとは僕の主人だ。
「お嬢様。僭越ながら私が、今日よりお嬢様の執事を務めます。以後、お見知り置きを。」
彼女は少し視線をさまよわせ、言った。
「よろしくね。」
鈴のような玲瓏な声が、僕の鼓膜を揺らした。
「寂しさ」
僕の寂しさは君のカタチ
君を喪ってしまったあの日から、
ずっと。
だから、
おかしいでしょ、って
そう言って笑ってよ
「冬は一緒に」
君は冬に眠る。
水も食べ物も取らずに冬の間ずっと眠る君は、
さながら「冬眠」のようだった。
今は冬。朝起きた僕の隣には、君の寝顔。
冬の間起きることの無い君は、雪を見ることが出来ない。
眠るだけの君に見とれて外出をしない僕もまた、
雪を見ることはない。
少しだけご飯とかを済ませた僕は、
また布団にもぐりこんで、君の肌を触る。
温かい。
目を閉じる。
君と一緒に冬に眠る。
雪のように、丁寧にこの冬の日々が積もっていく。
「とりとめもない話」
ガラス越しに、僕は彼女の顔を見た。
「いつも通り」に彼女の目が僕に留まり、微笑む。
それは、僕と彼女が話せる、という合図だった。
僕は毎日、彼女のもとに通ってとりとめもない話をする。
今日あった出来事。
昨日驚いたり、発見したりしたこと。
近所の公園で子どもがどんな遊びをしてたか、とか。
彼女は僕の話を、うん、うん、と頷き、
ときには、まだ少女らしさの残る笑顔で花の咲くように笑った。
彼女は自分の話をしなかった。
だけど、時々とても遠くを見るような目をしていた。
彼女には部屋が与えられていたけれど、
逆に言うと、その部屋が彼女の見える世界の全てだった。
だからだろうか、彼女は外の世界の話をすると
微笑む回数が多い気がした。
ときどき彼女のもとへ行っても、彼女は眠っていた。
せめてと、僕は来た事の証としてバラを置いて行った。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ。
彼女と話せる日は、それに反比例するように減っていった。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ…
バラはいつしか、99本になって。
その日をはかったように、彼女は起きていた。
少女のように輝いた目をする白髪混じりの女性。
今日も僕は彼女にとりとめもない話をする。
彼女は黙って僕の話を聴き、
ときには、しわくちゃの顔で嬉しそうに笑った。
彼女は、僕の話を聞き終わるまで起きてくれる。
だから僕は、とりとめのない話を永遠にしていたいんだ。