hikari

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12/19/2024, 9:20:52 AM

冬は一緒に


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12/17/2024, 5:34:04 PM

とりとめもない話

今日、有名人が死んだと報道された。
よくある病気だった。
いく人もの芸能人が死んだその人を弔っている。
みんなが悲しんで泣いている。
後日、その人の人生を追った特番がやるらしい。

よく通る駅前の交番には、
1日の交通事故件数を示す看板がある。
今日、死亡欄に、「1」という数字カードがはめ込まれていた。私の街で、誰かが死んだ。
私は、その「1」の、名前も知らない。

歴史の教科書に記載された、複数の事件には、
黒く太文字で書かれていない人間の人生がある。

有名でも、英雄でもない。
だけど、きっと、私がいま生きているように、
この街で生きてきた人の人生。

私の人生も、きっと大衆にとっては取るに足らない人生。ただ無性に、とりとめのない誰かの話を、聞いておきたかったと思う。読み人知らずの喜びや悲しみを知りたいと思うのは、そこに無数の価値があるから。
自ら命を絶ってはいけない理由は、
本当はないのだと思っている。
だって、すべては自分の決断にある。
でも、
そうやって、自分では気づかないところに、人生の価値が潜んでいるということが、何よりの理由なんじゃないか。そしてそれは、自分が認めても良いところなんだと思う。

なんとなく、今日ずっと考えていた、これこそ、とりとめのない話。

12/16/2024, 3:00:32 PM

風邪

風邪を引くと、孤独を感じる。
1人で生きていけないような気がするから。
熱にうなされて、涙が出てくる。夢すら悪夢に変わる。

暗い部屋で1人、私は一体、誰を信用できるのだろうかと考えてしまう。あの人の、良いところと悪いところ。傷つけられたことと傷つけたこと。罪悪感と憎悪。

結局、全て一長一短だ。私も含めて。
そもそも、こんなこと考えたってくだらないのだ。
悲観的な絶望論という意味合いではなくて、
自分のためにリスクを負えるのは結局自分しかいない。
だからこそ人の優しさは感謝すべきことだと感じられるし、結局自分を助けられるのは自分だけと言うのは、一種の喜びだと思う。それは人生は自分の手元にあり、自分でどうにかなるという、この幸せ以上のものはないと思う。
現実問題、助け合わなければ生きていけないけど、決断はいつも自分にある。

そんな希望すら、薄っすら壊していく、風邪。
そして月曜日という最悪な曜日。

きっと今日を乗り越えれば、私は自分の希望を取り戻せるのに。その勇気すら今はない、38度5部の夜。

12/14/2024, 1:21:19 PM

イルミネーション

大学生のころ、初めてできた彼氏と渋谷の青の洞窟に行った。その時点ではまだ彼氏ではなかった。
なんやかんやあって別れて、一年ぐらいがたった。別れた直後は悲しゅうて悲しゅうてたまらなかったけど、今となっては、付き合ったことが人生の汚点とすら思うようになってきた。
青の洞窟で撮った、青ゆえに顔色の悪いツーショットも、綺麗さっぱり削除した。うーん、人生快適で、とても良い気持ち。

大学の頃は、1人の人とずっと付き合っていたいみたいなことが理想だったけど、いろんな人と出会っていくのもいいなと思ってきた。
47都道府県、それぞれ付き合って、47個イルミネーション見るぞー。

12/12/2024, 3:24:48 AM

なんでもないフリ

母の愛をもらえなかった私は、人から愛されるのだろうか。
描かれるような一般的な子供時代を送れなかった私は、うまく生きて行けるのだろうか。
よく、わからなかった。

ただ、SNSでなんの根拠もない一個人の人間がつぶやく「絶対論」に私はひたすら誑かされていた。生い立ちも違えば、性別も違うかもしれないのに、大きな主語に翻弄され、人が恐ろしく感じるほどに、私の精神は未熟していた。また、その基盤は非常に脆く、その脆さこそが、SNSで述べられた一部の大きな声を証明してしまうようだった。

そこには、こう書かれてあった。
「昔から、まともに育てられてない子供は、生きてゆくのが難しいのよ。」
ズドン、と心が重くなってゆくのを感じる。本当にそうだろうか?と反発する心の許容量がなければ、どんどん暗闇の中に落ちてゆく。書き手の一つの感情で変わるかもしれない浅はかな主張なのに、私の胸には嫌というほど刺さる。

それは現実でも起きた。
「大学までに、恋愛してないと、どこかおかしいのよ」
神楽坂の洒落た酒場で、セレクトショップの店員を意識したような同級生が言った。片耳のピアスは、その顔を避けようとして初めて認識した。
私は口に含んだビールを吐き出したくなった。

どちらも、根拠のない話だ。
ただの本人の主観であるのに、本人はそれが当然かのように言う。意見を述べることは問題ではないが、マイナスな要素を断定的に述べる人間は、果たして、何を目的にしているのだろうか。

しばらくしたある日、
YouTubeのショート動画が流れてきた。
かの有名な俳優の生い立ちだった。
過酷なわかりにくい両親からの愛情に耐え、兄弟を養いながら現在の地位までいたった生い立ちだった。
私は、彼のことをとても好きになった。
そこのコメントには、こう書かれてあった。
「やっぱり、こういう苦労をしてきた人は、不謹慎だけど魅力的よね」

私はこのコメントを見た時、どうしてそのように考えられなかった時に、この動画が表示されなかったのだろうかと思った。私は、私が考えていることが正しいと思いたいがために、その証拠集めをひたすら現実でおこなっているのではないかと思ってしまうほどだった。

何が正解か、わからない。
おそらく正解などない。
ただ、一つの事象からなる複数の問題によって積み上げられてきた過去が、これからの一生を全て決めるというのは間違っている。
もしそれが本当ならば、もっとわかりやすく証明されていて、もっとわかりやすく教育機関などで言われているはずだ。そんなAならばBであるような事象ならば、国が政策をとらなければならない。

だから、私は、自分の頭と心に優しさがひとつでも残っている時は、私はたった一つの負の事象からこれからのことを決めつけたくはない。人はなるようになる、それは良い方向に変わってゆくという微かな希望だけは、死ぬ間際も忘れたくない。変わっていけることを喜べるようになれる。そんな浅はかな理想論を言い続けていたい。その未来を作る一歩目は、恐怖に打ち勝つことでも勇気を振り絞ることでもなくて、今ある自分のまま平然と生きていくことのような気がしている。

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