高く高く (執筆途中)
どうして、こんなところで燻ってんだ。
私は胸より出た腹と、尻の肉、二の腕の重厚感を感じる自分の体を見ながらため息をついた。
私はまだ24歳なのに。
後ろから見たら中年、いや、前から見ても中年だ。
日頃の怠惰な精神が贅肉となって現実化しているのには頭を抱える。が、今の私にはこれを脱却するほどの日常もない。ストレスもなければ、アドレナリンもない。
久々のイベントといえば、たった今姉の結婚の顔合わせが終わった。
姉の結婚相手は由緒正しき良家の息子らしかった。
妹として姉の恥にならぬようにと、ドレスを新調しいざ鏡の前に立ったものの、付け焼き刃の取り繕いは決して許さないといわれているような肉肉しい自身の体に打ちひしがれた。新品のドレスが可哀想だとさえ思った。
いざ会場にいけば、学歴の話やら、御家柄の話やらと息が詰まるようなマウント合戦が続いた。その後同い年の新郎の妹が今度医者と結婚しますと発表したことで、私の心は白旗をあげた。首とられたり。そして、顔合わせの時に勝つか負けるかなんて考えてる自分に自己嫌悪した。劣等感は人一倍だった。
三時間にわたる顔合わせが終わって解散した後、
私は駅の化粧室の鏡の前にたった。
自分の体を見て、ため息をつく。
そして、冒頭の一言が思わず出た。
「どうして、こんなとこで燻ってんだ」
放課後 (執筆途中)
私が死んで、妖怪になるとしたら、おそらく放課後女とか放課後ばばあになるだろう。
そのくらい私の「放課後」に対する執着心は凄まじい。
「放課後」とは、すべての学生が手に入れられるものではない。この3文字には、あらゆる物事が詰まっている。大人がギラギラと煩悩とよだれをむき出しに欲している「青春」とは、言い換えれば「放課後」そのものではないのかと思ったりする。
放課後には、色んなことができる。
部活やら、文化祭の準備やら、勉強もできれば恋愛もできる。放課後には無限の可能性と価値があるのだ。
私がなぜこの放課後に執着しているのか。
それは、私はこの放課後を手にすることができなかったからだ。
涙の理由
放課後、教室の片隅で僕の好きな子が泣いていた。
テニス部が着るウィンドブレーカーを着たまま、
机に突っ伏して泣いている。
それを周りに数人の女子が囲んで話を聞こうとしていた。
彼女は無言のまま顔を埋めている。
どうして泣いてるんだろう。
何があったんだろう。
僕は聞けない。
聞きたいけど、聞けない。
ただのクラスメイトという
たったそれだけの繋がりしかない。
テスト期間ゆえ解放された夜遅い教室に、
彼女を心配してもいい手がかりもなかった。
10.11 涙の理由
ココロオドル
私は愛を感じたとき、心が躍る
誰かに共感したとき、されたとき
涙が出るとき
感情に従うとき
損得をはかったり、
正誤をみきわめたり、
そういったことを、
自分や周りのために勇気を出して言わなきゃいけないとき、発言できる人はとてもかっこいい
それと同じく、
すごく孤独な人に、私も同じだよ、と言える人も、
私はとても勇気があって
とてもかっこいいとおもう
自分が腐りそうなとき、
身近にそういう人が現れると、
私はココロオドル
※全然お題と関係ありません
※独り言です
アンジェラアキさんの拝啓十五の君へ
もう何十回も聞いてるのに泣ける。
15歳だった当時も涙が止まらなくなったけど、
大人になった今、余計に胸に刺さる。
在宅で適当な音楽流しながら仕事してたら
不意に流れてきてボロ泣きしてしまった。
なんて素晴らしい歌なんだろうな。
荒んで人に攻撃したいくらい荒れてても、
人に優しくしたい気持ちに変えてくれる。
作品から人の心が救われるものはたくさんあるなかで、
本当に癒しの力を感じずにはいられない歌。
こういう作品が作れるようになりたい。