数週間に一度の祝日。
カレンダー通りに勤労に従事する身としては喜ばしいものだ。
しかし休日が増えることにあまり意味は無い。
ほんの数百円の泡銭のように、結局は空費してしまうからだ。
それよりも勤労が減る事実の方が大きい。
“必要ではないが普段からやるべき事”
本人にとっては重要のはずだが足踏みしているもの。
きっと誰にでもあるだろう。私にもある。
だからこそ時間を有効活用するべきなのだが、
この取って付けたような休息にはどうも前向きになれない。
日常的に行わなければ殆ど効果がない行為を、
たまの余暇に行っても仕方がないと考えてしまうからだ。
既に継続しているならそれに従うべきだが、
僅かなプラスアルファに頼らなければならない状況は好ましくない。
それは先延ばし癖を助長することになりかねない。
有効活用するならば、
例えばイベントに出かけたり、部屋の整理をしたり、
低頻度で、普段はやらない事に時間を使うのがよいだろう。
積んでるゲームを遊んだり、溜まった録画番組を見るのもよい。
もちろん、惰眠を貪るのも素晴らしい。
数週間に一度の祝日。
この日だけは、全てのだらしない自分を許してあげたい。
~束の間の休息~
無邪気だった日々
無知を嘆いた日々
無気力に過ごした日々
諦め切れずに足掻いた日々
果てしない遠回りの日々
これからも続いていく日々
まだ旅は始まったばかり
~過ぎた日を想う~
『止まない雨はない』
古い言い伝えだ。
私が生まれてからというもの、
窓の景色からノイズが消えたことはない。
飽きもせずに形骸化した天気予報。
傘を差すことをやめた街人たち。
雨粒が降り続く原因を気にする者はいない。
漫然と、悪意もない、当たり前の光景。
「自然現象だから」
仕方のないことだと誰もが言う。
灰の上は澄んだ青色で、
綿飴のような雲が漂い、
煌々と太陽が鎮座する。
そして夜には月と星が漆黒を彩る。
私は写真やテレビでしか見たことがない。
この目で見たい、死ぬまでに。
濡れた縁側。
今日もてるてる坊主が笑ってる。
~明日、もし晴れたら~
本当は誰かと一緒に楽しさを共有したい。
本当は誰かと一緒に喜びを分かち合いたい。
本当は誰かと一緒に幸せになりたい。
幼い頃は当たり前にそうなると思っていた。
でもその当たり前はフィクションの話だった。
楽しさを共有できるほど雄弁ではないし、
喜びを分かち合えるほど純情ではないし、
誰かと幸せになる資格なんてありやしない。
誰かといられること。
幸せでいられること。
そんなもの、もういいよ。
私には私という最高の理解者がいるんだから。
~だから、一人でいたい。~
時間が余ったので寝る前に少しだけ。
どんなに簡単なことであっても、
習慣にするとなると途端に難しく感じるだろう。
実際、難しい。
代表的なのがダイエットやストレッチ。
健康番組でよく紹介されるほんの5分から10分の運動でも、
毎日欠かさず続けるのは至難である。
習慣化を難しくする理由一つ。
ホメオスタシスという脳機能が災いしているから。
それが「良くなる変化」かどうかに関係がなく、
脳が「変わりたくない」と拘泥するのだ。
残念ながら、その根本を変えるのは現実的ではない。
だが諦めるのはまだ早い。
立ち上がるより寝っ転がった方が楽なように、
新しく行動を増やすより減らす方が簡単だ。
習慣化を難しくする理由二つ。
既存の習慣に新しい習慣をねじ込もうとしてしまうから。
やる気が出ないのは基本的に、
「本当は別のことがしたい」という葛藤からくる。
そして大抵、天秤にかけられるのは悪習慣である。
端的に、まずはその悪習慣をやめるのがよい。
やめたことで行き場をなくしたリソースは、
次にやりたかったであろう新しい習慣に移しやすい。
なにかを増やすなら、先になにかを減らすこと。
単純な足し引きだ。
こんなことを真剣に考えていたら、
外が明るくなってしまったではないか。
習慣化を難しくする理由三つ。
悪習慣をやめるのも往々にして難しいから。
……とりあえずもう寝よう、おやすみ。
~終わりにしよう~