友達は最悪いなくてもいい
でも仲間は欲しい
~友達~
あの人は本当に楽しそうに駆け上がって
惰性で続けていた私をあっという間に追い抜いていく
何がそんなに楽しいの?
私はこんなにつまらないのに
ずるいずるいずるい つらい
~やるせない気持ち~
夢を諦めることが大人になること?
必死に努力してやり切った経験もないのに
今の生活に納得もいっていないのに
夢を諦めることを推奨するの?
仕事が忙しいとか
もうこの歳だからとか
そうやって簡単に諦めて
悟ったように大人ぶって
それってすごくかっこ悪くない?
子どもっぽいと思われてもいい
結果が出なくても
かっこ良くなれなくても
夢を捨ててしまうよりはずっといい
~いつまでも捨てられないもの~
もう全部言われた。
お金も、自由も、才能も、そして寵愛も。
誰もが欲しいもので、勿論私も例外ではなくて。
けどあまりにも定番で、ありふれていて、面白みなんてなくて。
どうせ「みんなそうだよ」と返されるから、諦めて口をつぐむ。
だから、こういう場で吐露するしかない。
当たり前の願いを受け止めてくれる存在。
それがあなただったら嬉しい。
~今一番欲しいもの~
私の名前は有名な俳優から取ったものらしい。
映像がまだモノクロだった時代に活躍した人で、私はその俳優が出演している作品を一度も見たことがない。
まだキラキラネームも流行っていない世代だったが、子どもの頃から少し変わった名前という自覚はあった。
俳優以外にも歴史上に存在し、覚えやすく呼びやすい名前で同級生にも親しんでもらえたと思っている。
言わずもがな、俳優とは全く関係の無い人生を送っている。
その道に憧れたこともなければ、俳優を目指すように教育されたわけでもない。
働きに出れば苗字で呼ばれ、そもそも名前を知られる機会も殆どなく、知られたところで何か会話が弾むわけでもない。
名前しか個性のない私は鳴かず飛ばずで、社会人になってから同級生の活躍をまた聞きするようになり、私は初めて“名前負け”を意識するようになった。
“秀”の字を「優秀の秀」と例えることに抵抗感を覚えるようにもなった。
もはや名前以上の意義を持たなくなって、私はずっと手持ち無沙汰を感じながら生きていくのだろう。
名前を言うことがあっても、何も気にしていないフリをして愛想よく振る舞うのだろう。
俳優から取った名前というのは、皮肉にも言い得て妙に思えた。
~私の名前~