【ただきみだけ】
公園がすこし赤く染まる時刻
あのグラウンドでボールを蹴っているはずの
君の汗と砂埃を思う
指示の声、ふざける笑い声、
リラックスした帰り道
笑っている君の足取りは、軽いだろうか
同級生と渡り廊下で
好きな男の子の話をした30年前の夕焼け
青から赤に変わる、でも決して混ざらない、
その美しいグラデーションを
今でもはっきりと思い出せる
君もいつか思い出すのだろうか
夕暮れのにおい、風、空の色
友だちの声、ひとりの帰り道、ブランコの軋む音
電車の音、僕を呼ぶ声
思い出すといいな
いつもこの広い空が、君の上に広がるといいな
【夢を描け】
夢なんて見るもんじゃない
語るもんじゃない
叶えるものだから
なんて歌詞に、
当時の私がどれだけ脅かされたことか
そう生きられる誰かがうらやましく
同時にそうじゃない自分がうしろめたく
苦笑いしてたっけ
夢を描け
誰も口にしたことのない価値観、
言ったもん勝ちのパワーワードに流されるな
たくさん夢を描け、山ほど描けばいい
山積みの夢を見上げて途方に暮れた時、
道が見えるのだから
【届かない】
体調がまだ万全ではないまま、急ぎの処理のために出勤したが、目論見の半分しか進まなかった。
その処理bのための前段階の処理aの担当者が突然退職するということで、後任への引き継ぎのために、処理aは来週まで延ばされているのだという。
私のつくるデータを使用しなければ次の処理cが進まないから鼻水をすすりながらあわてて出勤したのに。
先々週に申し出て今月末で退職する彼女は、隣の席から私の体調を心配してくれている。
彼女の2年間の在職中の様々な理由から退職慰留はなく、公に送別会もしてもらえないのだそうだ。
なんてことだ。
個性と信頼は、多くの企業では影響し合わないのだとふと我に帰る。そして信頼は安心と一体だ。
急ぎの処理が進まず、他にもやることは多々あれどなんとなく手持ち無沙汰である。
鼻水は洪水のように出続ける。
薬の効果だと内科医は言っていたけど本当だろうか。
それならと、普段お世話になっている皆さまが早く帰れ早く帰れ、帰って寝なさいとねぎらってくださる。
お言葉に甘えて、お手洗いでティッシュを大量に消費したあとそそくさと帰宅する。
帰り道、大通りから入った路地のアパートに1人の男性を見かけた。
ノーネクタイのスーツを着た若い男性。
アパートの2階を見上げて、困ったように笑っている。
アポイントの時間を間違えたのか、いるはずの恋人が不在なのか、自宅の鍵を無くしてどうにか入ろうとしているのか。
メジャーリーグで活躍しているヒーローのような顔立ちの長身の若者だった。
そういう日ってあるよね。わかるよ。
ただ、退職意思は3ヶ月前に伝えると迷惑にならないよ。一緒に仕事してるのは法律とか契約とかじゃなくて、心を持ったひとだからね。
次の会社でもがんばってね。
届くといいな。
処理aはひょっとして私の仕事になるのだろうか。
【木漏れ日】
きのうは一気に書きすぎたから
きょうは休憩
緑の葉っぱがきらきらするのが好きだ
そのなかで君がしゃがんでカタバミを集めてくる
澄んだ目で真剣に
驚きをもって手渡してくれる花束
なんて素敵
なんて愛しさ
【ラブソング】
私の母の故郷は、結婚した町の隣町で
家の裏手には田んぼ、その奥に清流、そして山という
絵に描いたような田舎だった。
祖父はその時代にしては大男で、180くらいはあった。
気難しい人で、私の知らないところでは
荒々しく父に食ってかかったり、
怒りがおさまらぬと真夜中にチャイムを鳴らして困らせるようなひとだった。
祖母は素朴で意志の強い、美しいひとだった。
多くは語らないが気丈で、しっかり者。
マーケットに出かけるときはワンピースに白いパラソル、
籐のかごで、行く先々で知人から声をかけられていた。
ある年、祖母は脳梗塞を患い、右半身が不自由になった。
料理がすきで、縫い物も得意な器用な祖母が
絶望して頑なになっていくのはさびしかった。
病院から帰宅しようとしない祖母の姿に
いちばん絶望したのが祖父だった。
食事、洗濯、掃除、近所づきあい
祖母がいないと何もできなかった祖父は、
ひとりで絶望してひとりで首を吊った。
すべてを残してあっさり他界した祖父を私は今も許せない。
祖母は事実を知らぬまま、後を追うように他界した。
母はその頃には、更年期障害を発端にして
父との関わりかたに寂しさを募らせ、
鬱病とアルコール依存をくりかえして数年が経っていた。
祖母の病院、祖父の話し相手という仕事を
となりで一緒にやりくりしてきた私の保護対象は
母に変わった。
母はアルコールから自立できず、
入院した先には私が通って洗濯などを済ませた。
愛煙家だった母は、入退院をくりかえし
私の息子が生まれて半年後、入院先で肺がんで他界した。
見つけたのは看護師をしていた私の同級生だった。
辛い時期もながく、誰かをうらんだり反省したり
西を怖がったり、過去に囚われたり、
母の人生の半分は、かなしいこと多いかったから
旅立ったとき、これで休めるね、と話しかけた。
母がやっと安心しているようで、
演劇で観たことのある台詞が出てきたことにおどろいた。
思い出すのは、あの輝くような夏の田舎の景色。
器用だった祖父がつくってくれた木のうつわ、
夕飯の手伝いをするとよろこんでくれた祖母。
東京へ出てほとんど帰ってこなかった叔父が処分して、もうその家はない。
私の記憶の中だけにある。
土間のある玄関から見えた真っ赤な蘭の花。
その近くにあった汲み取り式の井戸。
鯉のいる池。
裏の田んぼではおたまじゃくしを捕まえた。
母の家族がとき、私はラブレターを書けなくなった。
生きていればそういうこともあるよ、と思う。
だけど、ないほうがよかったよね、とも思う。