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【ラブソング】


私の母の故郷は、結婚した町の隣町で
家の裏手には田んぼ、その奥に清流、そして山という
絵に描いたような田舎だった。

祖父はその時代にしては大男で、180くらいはあった。
気難しい人で、私の知らないところでは
荒々しく父に食ってかかったり、
怒りがおさまらぬと真夜中にチャイムを鳴らして困らせるようなひとだった。
祖母は素朴で意志の強い、美しいひとだった。
多くは語らないが気丈で、しっかり者。
マーケットに出かけるときはワンピースに白いパラソル、
籐のかごで、行く先々で知人から声をかけられていた。

ある年、祖母は脳梗塞を患い、右半身が不自由になった。
料理がすきで、縫い物も得意な器用な祖母が
絶望して頑なになっていくのはさびしかった。
病院から帰宅しようとしない祖母の姿に
いちばん絶望したのが祖父だった。
食事、洗濯、掃除、近所づきあい
祖母がいないと何もできなかった祖父は、
ひとりで絶望してひとりで首を吊った。
すべてを残してあっさり他界した祖父を私は今も許せない。
祖母は事実を知らぬまま、後を追うように他界した。

母はその頃には、更年期障害を発端にして
父との関わりかたに寂しさを募らせ、
鬱病とアルコール依存をくりかえして数年が経っていた。
祖母の病院、祖父の話し相手という仕事を
となりで一緒にやりくりしてきた私の保護対象は
母に変わった。
母はアルコールから自立できず、
入院した先には私が通って洗濯などを済ませた。
愛煙家だった母は、入退院をくりかえし
私の息子が生まれて半年後、入院先で肺がんで他界した。
見つけたのは看護師をしていた私の同級生だった。
辛い時期もながく、誰かをうらんだり反省したり
西を怖がったり、過去に囚われたり、
母の人生の半分は、かなしいこと多いかったから
旅立ったとき、これで休めるね、と話しかけた。
母がやっと安心しているようで、
演劇で観たことのある台詞が出てきたことにおどろいた。

思い出すのは、あの輝くような夏の田舎の景色。
器用だった祖父がつくってくれた木のうつわ、
夕飯の手伝いをするとよろこんでくれた祖母。
東京へ出てほとんど帰ってこなかった叔父が処分して、もうその家はない。
私の記憶の中だけにある。
土間のある玄関から見えた真っ赤な蘭の花。
その近くにあった汲み取り式の井戸。
鯉のいる池。
裏の田んぼではおたまじゃくしを捕まえた。

母の家族がとき、私はラブレターを書けなくなった。
生きていればそういうこともあるよ、と思う。
だけど、ないほうがよかったよね、とも思う。

5/6/2025, 10:41:56 AM