一昔前、「勝ち組」や「リア充」なんていう社会的に「上手くいってる」人達を指す言葉が流行ったけど、人の幸せは他人が決めつけるものではないから、自分で自分の幸せが何なのか、それさえ解っていれば世間の基準なんてどうでもいいんじゃないかな。
私が一人でいたいと思う理由は、心のエネルギーを回復するためだ。
人と過ごすことで消耗する内向的な性格の人間にとっては、至極在り来りな理由である。人間の外向性、内向性の説明は専門書に任せるとして、自分がどのように心のエネルギーを回復するのかについて書きたいと思う。
まず、私は自分と他人との境界線、ひいては自分(内界)と世界(外界)との境界線がハッキリしている。外界には素敵なもの、楽しいものがいっぱいあるが、中には刺激が強すぎるものや自分を傷つける危険もたくさんある。逆に人を傷つけてしまうこともあるかもしれない。それに対し、内界は言わばシェルターである。私が1人で過ごすことを「自分の中に籠もる」と表現するのはそのためである。
刺激が多い外界から切り離され、自分の内面世界に目を向ける。外界で得た情報を整理・分析し、自分はそれついてどう思うのか、自分の思想に耽る。内界には自分を傷つけるものはない。何を考えようと何を想像しようと、罪に問われることはない。時に自責や自嘲をすることがあっても、それは自分の想像の域を出ず、自分を傷つけるには取るに足らない。自分の影とのごっこ遊びのようなものである。
このように思案に耽っていると、次第に内界で起きたこと(考えたこと)を「誰かに話したい」と思ったり、「次はこういうことがしたい」と思うようになったりする。こうして外界で活動する行動力、即ち私にとっての心のエネルギーが生まれる。
しかし、思案に耽りすぎると今度は頭が疲れる。私は思考を止めることが苦手だ。常に何かしら考えてしまう。そういう時は、思考が入り込む余地がないくらい何かに没頭する。これが実に癒し効果が高い。私の趣味に1人でするものが多いのはこのためだと思う。
心のエネルギーが切れるとどうなるか。内界が外界に漏れ出す。人と居ても自分の心にしか目がいかなくなり、人を思い遣る気持ちがなくなってしまう。
私は、自分の周りの自分の好きな人達に優しくあるために、"一人でいたい"。
田畑の様子を見に行ってはいけないよ。約束だよ。
『親愛なるXXXXへ
こちらでは、一昨日からミンミンゼミが高らかに鳴くようになったよ。夏真っ盛りだね。僕は君がきっと毎日「暑いから出かけたくない」と尤もな理由を掲げて、出不精に拍車をかけているのではないかと憂慮しているよ。そこで、君の健康を心配するおせっかいな僕は、君が出かけたくなるような"おまじない"を掛けようと思い立ち、この手紙を認めるに至ったんだ。最後までちゃんと読んでね。来月の14日、隣町の〇〇町で夏祭りがあるのは知っているかい?想像してみてほしい。たこ焼きのソースのにおい、串焼きの芳ばしいにおい、ベビーカステラの甘いにおい…お腹が空いてこないかな?夏祭りと言えば屋台だよね。僕は夏祭りの屋台でつい買ってしまう食べ物があるんだ。それは丸くてつやつや、鮮やかな赤色が目を引く…そう、りんご飴。丸くてつるつるしてるからどこから歯を立てれば良いか迷うけど、思い切ってかぶりついてみると、コーティングされた飴のパリパリした歯ごたえ、姫りんごのホロホロとした食感が口の中に広がる。飴はとても甘く、りんごはジューシーとも言い難いし酸味も甘みも強くない。でも、パリパリした飴の甘さと姫りんごの食感と風味が合わさることで、普通のりんごとは違った美味しさのある不思議なお菓子になるんだ。…さて、君に「りんご飴が食べたくなるのろい」をかけたよ。"おまじない"じゃないのかって?"おまじない"も"のろい"も同じようなものさ。両方とも「呪」と書くからね。今年は夏祭りに行ってみてはどうかな。暑いのは確かだから、体調を崩さないように気をつけてね。
P.S. 人を呪わば穴二つ。手紙を書いていたら僕もりんご飴が食べたくなってしまった。一緒にりんご飴を食べに行かないかい?』
(差出人の名前は滲んでいて読めない)
献身?反吐が出るぜ。「あなたのために」っていうのは大体エゴだね。やるなら「自分がそうしたいから」だ。