〈ひなまつり〉
桃の節句。女の子の幸福を、願うんだって。
でもわたし、しあわせと呼べるものの大半は、
あなたにあげるの!そう、決めてるんだよ。
今だって、変わってないの。
ひなあられの桃色のとこだけ、あなたの大きい
手のひらに乗せてあげた、あの日から。
だから、大人ぶるのはやめて、こっち向いて。
つやめく桃の花は、あなたに首ったけだもの。
〈遠くの街へ〉
歩く、歩く。
ある時は駆け足に、また、ある時はゆっくりと。
少しずつ、帰路に逆らって、夜道を行く。
帰ろう。いや、もう少し。あと、少し。
伸びきった影が月に惚れて、地面に揺らめく。
このまま行けば、どこへ辿り着くのだろう。
あるいは、どこに着けるのだろう。
どこになら、わたしの安寧はあるのだろう。
ひとしきり、馬鹿げたことを考えて、百八十度。
足跡で逆立てた道を均すように、帰路につく。
今度は月ではなく、仄めく人の灯りを目印に。
けれど、遠くの街なんかに、行けたらば。
わたしは愛する希望に、出逢えるのでしょうか。
〈同情〉
ぬるい瞳。下がるまなじり。
閉じきった部屋で、俯くあなたの背を撫でる。
同病相憐れむ、なんて、とんでもない。
ただ、これは同情だ。傷を知るあなたに、この身が
手渡すことのできる、唯一のシグナル。
けれど、輪郭のない病を温めているからこそ分かる、
隔絶もある。
あなたはわたしと、同じ病ではない。
もっと高尚で、純然たる、うつくしい悩みだ。
その玻璃を、にごり淀んだ唇で、穢すことなどゆる
されない。
だからこそ、たったひとつの同じもの。
揃いの、三十六度の体温のみで、あなたを慰める。
どうか、こんなぬるさでは、孵らないで。
あなたのたっとい胚を眠らす、三十五度の祈り。
〈枯葉〉
普段なら、目にも留めない。
今まで何枚踏んだか、それすらも覚えていない。
とある、雨の日。
屋根の付いたベンチに掛ける。靴底からやけに水の跳ねた音がしたので、靴をこちらに向けると、葉が何枚か付いていた。
べったりと、踏まれて離れないであろう、枯葉。
少し、不快になった。
いつの間に、自分はこんなものを踏んだのか。あるいは今まで、何枚踏んできたのだろうか。ほんの小さな、浅薄さ。虫食いの跡に似て、心にも穴が空く。
そういえば、あの人とも、何日会えていないだろう。
歩くたび、靴底の形に歪められたのであろう、そのひしゃげた枯葉と見つめ合う。
あなたもわたしを、恨んでいるのかもしれない。
冬もそう遠くない、肌を包む空気の冷たさに、より色付いた孤独を突きつけられる。雨のとばりは、人と人との隔たりを、大きくさせる。
通りすがった誰かが、何の気なしに、枯葉を踏み付けていった。また、傷付く。跳ねる水の音すら、今は、遠くのだれかの叫びみたい。
気が付けば、無意識に葉を取ろうと、靴を地面に擦り付けていた。靴の底では、ちぎれた枯葉がわらっていた。
〈今日にさよなら〉
夜半。曇って淀んだ、真っ黒な空。
星が好きだ。かの命を燃やした足跡が、ただの光となってこちらに届く。けれど、今日は曇天。星のひとつも見えない空模様に、恋はできない。
煌めきのない天と、晴れない胸懐が交わって、部屋の明かりを落とした。じわりと、静かに失せていく天井の星を仰いで、瞼を閉ざす。
明日は、あの一等星に、恋ができますように。