【微熱】
『なぁ、本当に大丈夫なのか?』
「大丈夫だってば。これくらい、大したことないし。」
そう言うこいつの顔は、いつもより赤い。
熱でもあるんじゃないかと思い、問い詰めてみても
"熱はない"、"大丈夫"の一点張りだ。
『大丈夫に見えねぇから言ってんだよ。
休んだ方が良いんじゃないか?』
「…大会も近いのに、休んでなんかいられないよ。」
『だからこそだろ。大人しく休んで、早く元気になれ。』
保健室に連れて行こうと、軽く背を押して誘導する。
一歩踏み出したそいつは、バランスを崩してもたれ掛かる。
「…ごめん。」
『ったく。これのどこが"大丈夫"なんだよ。』
力なく俯くこいつの顔は、数分前より赤い。
(…もっと早くに、無理矢理にでも
休ませてやるんだったな。)
そんなことを考えながら、ゆっくりと保健室へ向かう。
「ほら、もう少しで保健室だ。もう少しだ、頑張れ。」
『…ん…。』
保健室に着く頃には、声を出すのも辛そうだった。
『失礼します。』
「どうぞ…って、どうしたんだい?さぁ、ここに寝かせて。」
『こいつ、朝から熱っぽかったんです。口では大丈夫って
言ったんですけど、そうは見えなくて…。』
「そっか。よく連れて来てくれたね。」
ベッドに寝かせて、改めて顔色をうかがうと、
目元に涙が浮かんでいた。
『…俺が、もっと早く保健室に行かせていたら、
ここまで無理させることも、なかったのに。』
「君はよくやってくれたよ。
ちゃんと休めばすぐに元気になるから大丈夫だよ。」
『はい。…ありがとうございます。』
再び様子を見たとき、そいつがうっすらと目を開けた。
「……ごめん…。」
『大丈夫だ、気にするな。それより、今はゆっくり休め。』
「…ん……ありがと…。」
そう呟いたこいつの顔は、更に赤くなっていた。
――その赤面は微熱のせいか、それとも…。
【太陽の下で】
「楽器はこれで全部か?」
「はい。」
今日の部活動は野外コンサート。
カラッと晴れた空の下、街中の広場で演奏をする。
「よし。まずはスタンドを片っ端から組み立てるぞ。」
「『はい!』」
4月に入部してから、もう半年が経過した。
私が所属する打楽器パートの人数は、引退と退部で3人に減った。
先輩はこのパート唯一の2年生だけど、とても頼りになる。
目つきの鋭さから、最初の1カ月くらいは怖がってしまった。
言い逃れができない程度には、距離を取ってしまった自覚もある。
それでも先輩は、いつでも優しく声をかけてくれた。
さっぱりした気質の人なのかもしれない。
「鍵盤の高さ、こんなもんで大丈夫か?」
『はい、ありがとうございます。』
「どうした?緊張でもしているのか?」
『そりゃあもう…。』
「いつも通りやれば問題ない。大丈夫だ。」
野心を秘めたような瞳にも慣れた今、
いつも爽やかな先輩は憧れになっていた。
楽器を扱う所作からは、何処となく品を感じる。
曲と向き合う真っ直ぐな姿は、勇ましくさえ見える。
つい先程も、パートリーダーとして指示を飛ばしていた先輩。
『…先輩って太陽みたい。』
「なんだ急に。」
『ほら、運搬も組み立てもさ、先輩が中心になってるじゃん。』
「それはそうだけどよ。」
『太陽を中心に、太陽系の惑星は公転しているから。』
「あぁ、そうきたか。」
同級生と駄弁りながらも組み立てを進める。
楽器のセッティングが終わると、じきに本番を迎える。
先生の指揮棒が上がり、各々が楽器を構える。
屋内での演奏と違い、反響するものがない。
だから精一杯、楽器を鳴らそう。音を響かせよう。
果てしなく広がる空で輝く、あの太陽にも届くように。
遥か遠くに感じる先輩に、少しでも近づけるように。
【セーター】
『ところでよ。お前のセーター、袖がボロボロだな。』
「うん。あちこち引っ掛けちゃって。」
そうぼやいたこいつは、自分の袖口に目をやる。
打楽器にはボルトが出っ張っているから、
多少引っかかるのはわからなくもないが、ここまでなるか?
『やっぱ。先輩に似てるな。』
いつも活発に動き回っていた、2つ上の先輩が浮かんだ。
「え〜?この流れだと不名誉なんだけど。」
『だって先輩は大胆な人だったろ?』
「良く言えばね。」
『で、お前も案外大雑把だろ?』
「おい。」
『そっくりじゃねぇか。』
「似てるって話なら、
弦バスの方の『そりゃないな。』えぇ〜。」
件の先輩と同級の、冷静沈着で物静かな先輩を思い浮かべる。
絶対に似ていない。
『お前落ち着きないし「あるわ!」どこがだよ!』
「お前たち、その辺にしておけ。」
食い気味に言い合っていたところを、同級生に止められる。
…嫌な予感がする。
悪巧みしているのを隠そうともしない顔で言い放つ。
「 色違いセーターの仲良し同士ではないか。」
『「仲良くねぇ/ない!!」』
【落ちていく】
(最悪だ…。)
今日はすこぶる調子が悪い。1限目を終えた今もなお、
頭痛と寒気が止まらない。熱がないからと登校したことを
後悔し始めていた。
(…ダメだ。保健室で休ませてもらおう…。)
席を立つと、軽い目眩に見舞われる。
同級生たちの楽しげな話し声が頭に響く。
「どうした?ふらついているぞ。」
階段に差し掛かったところで、後方から声をかけられた。
振り返ると、他クラスでの授業を終えたところであろう
現代文担当の先生がいた。
『っ、すみません…。体調、悪くて…保健室に…。』
いやに息苦しい。声を出すことさえも辛い。
「そうか。保健係はどうした?1人で行けるのか?」
先生の問いかけに、ゆっくりと頷いて答える。
話をしていると、丁度2限目の数学担当教師が階段を登って来た。
『せんせ…すみませ…。…たいちょ…わるくて、…。』
まともに話すことすらも出来なくなってきた。
何でよりによって数学の担当がこの教師なんだ。
「あぁ?なに?」
…やっぱり、こいつ、きらい。
「この子、体調がすぐれないようなので、
これから保健室に連れて行きます。」
「それくらい自分で言えないのか。
先生も、生徒を甘やかさないでください。」
私のせいで、先生も怒られている。
私が弱いせいで…。
「甘やかすことと助けることは違うと考えています。
そして私は、生徒を甘やかしているつもりはありません。」
弱い私が悪いのに、先生は庇ってくれている。
その言葉に、目頭が熱くなる。
胸が、呼吸が苦しくなる。
視界が、揺れる。
「!…急ぎますので、そろそろ失礼します。」
息苦しさに耐えかねて、前のめりになったその時、
バランスを崩して階段から落ちそうになった。
痛いのは嫌だなんて考えていたけど、
身体を打ちつけるような痛みを感じることはなかった。
先生が、咄嗟に支えてくれていたのだ。
文系科目の担当とは思えないほど、先生の腕は安定していた。
2限目の授業はないからと、先生は保健室まで付き添ってくれた。
保健室に着く頃には、迷惑をかけてしまった罪悪感や情けなさ、
庇ってくれた嬉しさや安心感で、涙腺が緩みきっていた。
『グスッ…すみません…。』
「なぜ謝る?お前が気に病むことは何もない。」
『…ゥッ、ごめ、なさ…。』
「大丈夫だ。何も悪いことはしていないのだから。」
先生の声を聴いていると、何だか安心する。
低くて柔らかく、それでいて芯がある響き。
必要以上に張り上げられることのない、優しい声。
「深呼吸できるか?…そう。もう1度。」
穏やかな声を聴いているうちに、瞼が重くなってきた。
「落ち着いてきたな?…よし。
さあ、横になって。ゆっくり休みなさい。」
微睡んでいても、先生の声が、言葉が優しく響いてくる。
私はそのまま身を任せるように、眠りの世界へと落ちていった。
【夫婦】
『あぁ、"良い夫婦の日"か。』
「ん?…あぁ、そうだな。どうした、急に。」
『ラインきてた。』
「…アイツか?」
『多分当たり。』
「ったく、余計なお世話だっつの。」
『…。はい、送った!』
「ん?何をだ?」
『今の。』
「はぁ?」
『"余計なお世話だ"って言ってたよって。』
「バカタレ!余計なことをするんじゃねぇ!」
『はははっ。』
「笑うな!」
『まあまあ、そう怒んなって。』
「お前なぁ…。」
『私の方にラインしてきたのってさ、
こういう展開が起こるのを望んでたんだろうね。』
「だろうな。良いように遊ばれやがって。」
『それはお互い様でしょ。』