「もう行ってしまうのかい?」
「ああ。特に長居する理由もないからな」
「淋しいけど、君が決めたことなら仕方ないな。そう言えば、行き先は聞いてないけど、目的地はあるの?」
「そうだな、今のところは無い。ただ、俺は昔から見切り発車で上手くいってきた奴なんだ。歩けばそこが道となるってやつだ」
「そうかい。でもまあ、君が言うんなら大丈夫なんだろう。君以外の人が言ってもただの戯言にしか聞こえないけど、君が言うとそこには一定の説得力がある。何故だろう」
「さあね。でも1つ言えることは、俺は誰よりも俺を信じてるってことだ。無論、随分と俺を買っているお前よりもな」
「そうだろうね。そうじゃなきゃ、こんな時期に1人で国を出るなんて無茶はしない」
「もちろん」
「少し長く話し過ぎたな。僕は僕で元気にやってくから、君もどうにか頑張ってくれよ」
「お互い死なねえ程度にな」
「またね」
「また」
4月というのはいつも僕に捉えようのない生きづらさを感じさせる。僕の周辺にある色んな物事がバレないように変わろうとしていて、僕だけがそれに気づけないでいる。とうとうその変化に気づけた時には既に次の年を跨いでる。そして、そんな変わっていく世界に当の僕は何も変われていない。七五三と成人式の写真を比べても、衣装と背景しか変わっていないような感じだ。
変化には気づけないのに、置いていかれてるという寂寥感は年々増大していく。毎年何かしらでまぎらわしていたけど、生憎と今年はちょうど4.5月が忙しくなっている。
現実から黒い手が伸びてきて、僕の首根っこを抑えつけてくるようだ。
こんな憂鬱な気持ちさえも、春風とともに流れてくれれば。
特に悲しい出来事が起こった訳では無かった。むしろ、不自由のない生活に、人間関係も良好で、健康にも恵まれていた。それでも、それは頬をつたって流れていた。
何だか、そうしてると悲しむべきといういわれのない義務を押し付けられてるみたいだった。私は剛毅な人間なんかではなく、ただの侘しい奴なんだと。
「不幸中の幸い」というのは良い言説だよ。不幸に不平をぶつけるのではなく、あくまで幸せを見つけようとしている姿勢が素晴らしい。そういう積み重ねが、より良い人生を作っていくんだろうね。
近くの公園を散歩すると、色々な花を見ることが出来る。重たい花弁を弛んでつけているモクレンやハクモクレン。恥ずかしげのない大胆な形をしたスイセン。そして、我先にとその姿を出し惜しみなく披露してくれるカンザクラや河津桜。立体的で艶やかな花を肩を揃えて咲かせる梅なんかも綺麗だった。
ほんの少し近所を歩くだけでも、豊富な色と特徴的な花弁を見ることが出来る。草薮に隠れていたウグイスも徐々にその姿を表し始め、より一層の春を感じさせる。