「ありがとう」
「急にどうしたのよ」
「いや、何となくそう言った方が良い気がしたんだ」
「何となくそう言った方が良い気がした」
「そう。これは僕の中で完結してる事だから、気にしなくていいさ」
「あのね、行為までの道筋があなたの中にあっても、結局それを外に出してしまったら、もうあなたの中では完結していないのよ。急にそんなこと言われたら、気になるじゃない」
「確かに、君の言う通りだ。すまないと思ってる。ただ、これは本当に説明が難しいことだし、僕の中でもそれを上手く抽出できないんだ。つまり、回路をつたって来たものの、その仕組みや全体像は分からないまま外に出てしまったんだ」
「そんな完璧に説明しろと言ってる訳では無いの。ただ、便宜的なものでも良いから、何かしらの説明が欲しいと思ったの」
「便宜的というのも難しいんだ、つまり」
「もういいわ、あなたが私に感謝したかったことは分かったわ。どういたしまして」
彼女は人より柔らかい肌を持っているから、あまり率直な言葉だと深い傷を負わせてしまう。あくまで、言葉全体の形は維持しつつ、その切先を丸くさせる。そうすれば、我々は今の関係を維持できる。
今日は僕の人生にとっては新しい経験なはずだ。直線上の時間軸の先を細くつき足している途中であるべきだ。
しかし、どこか何か見えないものの跡を追っているような感覚が拭えない。つまり、今考えていることも、行ったことも全て1度昔にやった事があるような気がするんだ。まるで、未来の記憶を頼りに、その道筋をせっせと進んでいるような閉塞感がある。
これは一体、どの時間軸の誰の記憶なんだろうか。そして、この記憶は一体僕をどこに連れて行ってしまうのか。
僕の心は他の人とは構造が違う。普通はAという器官があるところに、僕の心はBの器官が入り込んでしまっている。逆に、僕にとってのAは普通の人のBの所に入っている。つまり、構成されてるパーツは同じだが、その組み立てが違うのだ。これは、一見何も変わらず正常に動いているかのように見えるが、長く動いていると徐々にその差異が大きくなり、判明してくる。僕の場合、それは高校1年生ぐらいの時期だった。厄介なのが、外面的には何も変わらず見えるというところだ。これによって、上手く生き抜くために自意識を強くするか、弱くするかの判断が遅くなってしまう。そしてこの遅れは、自分を特定するための、過去の自分という材料を雑多にさせ、一貫した基準というものを作りにくくさせる。結局、僕が自分の心の構造に気づいたのが高校生で、そこから自意識の調整と、自己の特定を完了させたのは大学3年生頃だった。それまでの時期は本当に大変だったが、大学3年生からは目の水晶体を入れ替えたかのように、世界が違って見えた。ある意味で、初めて世界に降り立ったのがこの時期だったのかもしれない。
ただ、こういう人は確かに少数ではあるものの、決して珍しい訳では無い。1クラスに2.3人はいるぐらいだと思う。だから、そういう子達には、待ってみるという選択を持って欲しいと思っている。人生というのは、自分が今見ている方向や事象、因果とは何の関係もなく進んでいく。つまり、今日は日付が奇数だから学校に行きたくないと思っても、次の日には偶数だから学校に行きたくなるとは限らないんだ。メジロがベランダに止まることで、高校を辞めることもあるし、消しゴムを3つ無くしたから教師を目指すということもある。そのぐらい、不確かなのが人生なのだ。だから、心の構造に困っても、とりあえずは待ってみるというのが良いと思ってる。既に遅れているからこそ、時間は僕たちを見守ってくれている。
高校生の頃、僕は1日の半分を大学受験の合格を妄想することに使っていた。
ある夏の日の自習室の帰り、自転車に乗りながらいつものごとく、難関大学へ合格し周りに賞賛される妄想をしていた。夜空を見上げながら、お願いだから成功するようにと祈っていた。その時、流れ星が2.3個夜空を遮っていった。目のゴミとか、飛行物体との見間違えとかそういう疑いは無かった。それはあまりにも、クッキリとした光の尾を引いていたからだ。
家に帰ると、直ぐに流星群の日付を確認した。ちょうどペルセウス座流星群が極大になる時間帯だったのだ。
僕は確かに、流れ星の最中に願い事を唱えていた。それは、天上の力に頼ると言うよりは、もっと純粋な形での願いだった。これで合格しなかったら、今後の人生で超常的なものを信じることは無いだろうと思った。
そして月日は経ち、僕はくだらない結末を辿っていった。どんな象徴的な伏線だって、現実世界ではなんの意味もなさなかった。結局のところ、それらは我々の捉え方であり、感じ方なのだ。