浜辺 渚

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僕の心は他の人とは構造が違う。普通はAという器官があるところに、僕の心はBの器官が入り込んでしまっている。逆に、僕にとってのAは普通の人のBの所に入っている。つまり、構成されてるパーツは同じだが、その組み立てが違うのだ。これは、一見何も変わらず正常に動いているかのように見えるが、長く動いていると徐々にその差異が大きくなり、判明してくる。僕の場合、それは高校1年生ぐらいの時期だった。厄介なのが、外面的には何も変わらず見えるというところだ。これによって、上手く生き抜くために自意識を強くするか、弱くするかの判断が遅くなってしまう。そしてこの遅れは、自分を特定するための、過去の自分という材料を雑多にさせ、一貫した基準というものを作りにくくさせる。結局、僕が自分の心の構造に気づいたのが高校生で、そこから自意識の調整と、自己の特定を完了させたのは大学3年生頃だった。それまでの時期は本当に大変だったが、大学3年生からは目の水晶体を入れ替えたかのように、世界が違って見えた。ある意味で、初めて世界に降り立ったのがこの時期だったのかもしれない。
ただ、こういう人は確かに少数ではあるものの、決して珍しい訳では無い。1クラスに2.3人はいるぐらいだと思う。だから、そういう子達には、待ってみるという選択を持って欲しいと思っている。人生というのは、自分が今見ている方向や事象、因果とは何の関係もなく進んでいく。つまり、今日は日付が奇数だから学校に行きたくないと思っても、次の日には偶数だから学校に行きたくなるとは限らないんだ。メジロがベランダに止まることで、高校を辞めることもあるし、消しゴムを3つ無くしたから教師を目指すということもある。そのぐらい、不確かなのが人生なのだ。だから、心の構造に困っても、とりあえずは待ってみるというのが良いと思ってる。既に遅れているからこそ、時間は僕たちを見守ってくれている。

2/11/2025, 3:53:04 PM