鋭い眼差しで睨み合い
視線を合わせたまま二人は
リングの中央を静かにぐるぐると回る
いよいよデスマッチの様相を呈してきた
時間無制限一本勝負
台所に今、ゴングが鳴り響く
端から見れば
そんなの些細な事だろ、と見えるのかもしれない
単独での罪の重さでは軽微だが
罪が重なるケースでは、時として重罪となる
発端はカレーであった
母は先に家に帰っていた父にLINEを送る
お米炊いといてねハート(スタンプ)
米は洗って仕込んでるから、スイッチポン(スタンプ)と
父は、OKでござる(スタンプ)と返信した、のだが、
仕事から帰った母が台所に立った瞬間
会場の照明が暗転した
米、炊けてないじゃない
リングにスポットライトが当てられ、母が呟く
マジでこれ、何度目だよ、と
察した父は慌ててマイクを持つとロープをくぐりリングに上がる
あー、ごめん
忙しくて忘れてたわ
スマンスマン
母は父からマイクを奪い取り
いやあ、さぞかし忙しかったんでしょうね、今夜はカレーなのに、
炊飯器のスイッチをポチッと入れるの忘れるくらいYouTubeのショート動画見るが忙しかったんですよね
ほんとご苦労様です、YouTuberは大変ですね
って、お前、宮迫かコラ
そもそもお前YouTuberじゃねえだろ
YouTuberなめとんかワレ、HIKAKINに謝れよ、バカヤロウ
米なしのカレーとか、なめやがって
と、ブチ切れた
これで勝負あり、と思われたが
あろうことか父はやめときゃいいのにモゴモゴと言い訳を始める
なんのプライドか充満した油にさらに熱々の火がくべられる
リング中央で
鋭い眼差しで睨み合う二人
カレーの香る台所は今宵
灼熱のリングへと変わり
いよいよデスマッチの様相を呈してきた
早くご飯が食べたいのに
『鋭い眼差し』
あまりにも馴染めないでいた
なんとなく軋轢が生まれる予感がして
間を取り持つ事にした
これもバイトリーダーの役割か
飲食店の店員というのは阿吽の呼吸である
ツーと言われればカーと返して
その店員同士の巧みなラリーが
商品の提供を早め、あるいはサービスの質を向上させる
結果的にその見えない部分で客を喜ばせているし、
店員同士でもその連携が上手いヤツほど地位が高まる
店員同士でコミュニケーションを取りながら
シフトに入ってきた相手の性質を知るのがまず第一歩で
場をほぐしながら、ゆくゆくはシフトに入って喜ばれる存在になる事が最終目標だと思っている
その精神を店長から認められ私もバイトリーダーの地位まで登り詰めた
気づいたら最上位、私より長い学生連中はとうに抜き去っていた
新人の田辺は学生だが
ラリーが苦手の様だった
覚えは悪くはないが
呼吸が読めない
例えば
ドリンクのヘルプに行って欲しい場面で
今やらなくても良い明日の仕込みを進めている、とか
業務を逸脱しているわけじゃあないし
ズレの範疇ではあるのだけど、古株連中からは、
いや、教えなくてもわかるやろ、空気読めよ、的な批判がチラホラ上がってきていた
こうなると田辺のシフト中はどうしても殺伐とした雰囲気になってしまう
この問題、バイトリーダーとしてはなんとかしなくては
田辺は口下手である
そこが根本の原因と考えた私は
他のメンバーがいる中であえて田辺の素性がわかる、わかりやすい質問を投げかけた
純朴に応える田辺の返事を
他のメンバーに聞こえる様に大きめの声で
へえ、三年なんだ、そろそろ就活か、とか
駅前に住んでるんだ、あの駅前のTSUTAYA行くの?とか、拡声する
だが効果は無かった
本人が悪いわけじゃないけど
あんまり面白いネタもでないし
気の利いた返事もなかった
やはり溶け込めない
孤立は益々深まっていく
そんな日々が続いたある日
田辺、もしさ、生まれ変わったら何になりたい?
忙しい時間だったけど、何の気なしに聞いてみた
いつものどうでもいい、大した答えも期待していない、
チャーハンを炒めながら暇つぶしで尋ねた様な質問だった
え?生まれ変わったら、ですか?
洗い物をしている田辺の表情は思いのほか神妙に変わり、力の籠もった声で
鳥
と答えた
鳥になって飛びたいです
できれば
空の限りを越えるほど
遠くまで羽ばたいて
誰も辿り着けないところまで
高く飛んでみたいです
思わぬ答えに鍋を振る手が止まっていた
チャーハンが鍋の熱に耐えきれず、油を溶かしながらくすぶって
黒く苦い煙が眼前を覆っていく
『高く高く』
もうこれは覗き、かもしれない
通勤電車から流れる車窓に映るピンクのカーテン
毎月、毎日、同じ時間
僕は同じ電車に乗る
季節は変われど電車は変わらない
そうこうしていると
飽きるのも通り越して
楽しみを見つける段階にまできた
当初は同じ時間に同じ顔で乗ってくる、恐らくは同じ様な境遇であろう同じ車両の常連にあだ名をつけたりして遊んでいた
僕は仲間達の格好や仕草、表情から昨日との違いを見つけては、
この電車を降りた後にこの人に起こるトラブルなんかを予言できるレベルにまで達する
その予言が当たっているかはわからないけど、ついにそのレベルにまで達する
そして、そんな毎日があまりにも続くもんだから
もうどうしても飽きてきた頃、あ、と気づいた
通勤電車から流れる車窓に映るピンクのカーテン
なんで今まで気づかなかったんだろう
自分の家のカーテンを選ぶ時、あんなピンクを選ぶだろうか
あんなピンクを選ぶとか、どう考えてもエロい
そして
なんでかわからないけど
カーテンは少し開いている
それで僕は確信した
車窓から見えるあの家には
きっとエロい女が住んでいるに違いない
それから僕は
毎日混み合う同じ顔をよそ目に
時速100㎞で流れるカーテンの僅かな隙間を
カーテンの中身を
見逃すまいと
日々努力している
『カーテン』
あれ?
なんでお前、泣いてんだよ
そんなに嬉しかったのかよ
いや、別に
玉ねぎが、なんか目に直で入って
直で入んないだろ、玉ねぎは
リンガーハットかよ
と、わかるようでわからない例えツッコミを披露すると、一瞬の間を挟んで二人で笑った
なんか泣いてる様に見えたけど
気のせいだったのかもしれない
ちょうど一週間前
記念すべき日が訪れる
ついに俺に彼女ができた
バレー部の宮田さん
いや、かおりちゃん
ぶっちゃけ、心の中ではかおりと呼んでいる
下校の時、待ち合わせて
すでに二回も一緒に帰った
周りにバレない様に
カモフラージュしたりして
緊張して
あまり会話のラリーは続かなかったけど
きちんと家まで送り届けた
誰にも言ってなかったけど
幼なじみで何でも話せるお前にだけは教えてあげよう
浮かれてしまってたんだと思う
あ、そういえば
俺さ、ついに
何?なんでニヤニヤしてんのよ、気色悪い
実は、
じゃじゃーん
ついに、俺に彼女ができました
あ?、、彼女?
誰よ、か、え?なんで
なんで、って事ないやろ
バレー部のかおりちゃん
告白したらなんとOKですわ
ハッハッハ
あ、、そうなんだ
好きだったんだ、宮田さんのこと
まあ、あんな可愛い子と付き合えるぐらい
良い男に成長したってことよ、俺も
すでに二回も一緒に帰っちゃったわ
へえ、そうなんだね
良かったね、おめでとう
あれ?
なんでお前、泣いてんだよ
そんなに嬉しかったのかよ
いや、別に
玉ねぎが、なんか目に直で入って
『涙の理由』
目覚めるとすぐコンロに火をつける
お気に入りのインスタントコーヒーをドリップしてカップに注ぐ
ベランダに出ると湯気立つカップを片手に煙草に火をつける
見下ろした朝露の街は
昨晩の喧噪が幻だったかの様に昇る陽をただ静かに待っていた
煙草の煙は深く澄んだ空気とは相まみえず
お互いに拒絶しながらも
仕方なく物理法則に従うと風が攪拌して混じり、いつの間にか見えなくなった
毎朝のこの時間、
朝日が昇るまでの束の間の休息
何にも縛られず
誰にも咎められない
この景色を
毎日眺めている
さすがにもういい加減に働かなくちゃ、とは思うのだけど
本当に毎日、本気で思ってるけど
自由を感じているんだから
仕方ないだろ
束の間の休息を感じながら
もう五年になる
この景色を眺めていると
明日からはきっと
頑張れる
ような
そんな気がする
『束の間の休息』