あれ?
なんでお前、泣いてんだよ
そんなに嬉しかったのかよ
いや、別に
玉ねぎが、なんか目に直で入って
直で入んないだろ、玉ねぎは
リンガーハットかよ
と、わかるようでわからない例えツッコミを披露すると、一瞬の間を挟んで二人で笑った
なんか泣いてる様に見えたけど
気のせいだったのかもしれない
ちょうど一週間前
記念すべき日が訪れる
ついに俺に彼女ができた
バレー部の宮田さん
いや、かおりちゃん
ぶっちゃけ、心の中ではかおりと呼んでいる
下校の時、待ち合わせて
すでに二回も一緒に帰った
周りにバレない様に
カモフラージュしたりして
緊張して
あまり会話のラリーは続かなかったけど
きちんと家まで送り届けた
誰にも言ってなかったけど
幼なじみで何でも話せるお前にだけは教えてあげよう
浮かれてしまってたんだと思う
あ、そういえば
俺さ、ついに
何?なんでニヤニヤしてんのよ、気色悪い
実は、
じゃじゃーん
ついに、俺に彼女ができました
あ?、、彼女?
誰よ、か、え?なんで
なんで、って事ないやろ
バレー部のかおりちゃん
告白したらなんとOKですわ
ハッハッハ
あ、、そうなんだ
好きだったんだ、宮田さんのこと
まあ、あんな可愛い子と付き合えるぐらい
良い男に成長したってことよ、俺も
すでに二回も一緒に帰っちゃったわ
へえ、そうなんだね
良かったね、おめでとう
あれ?
なんでお前、泣いてんだよ
そんなに嬉しかったのかよ
いや、別に
玉ねぎが、なんか目に直で入って
『涙の理由』
目覚めるとすぐコンロに火をつける
お気に入りのインスタントコーヒーをドリップしてカップに注ぐ
ベランダに出ると湯気立つカップを片手に煙草に火をつける
見下ろした朝露の街は
昨晩の喧噪が幻だったかの様に昇る陽をただ静かに待っていた
煙草の煙は深く澄んだ空気とは相まみえず
お互いに拒絶しながらも
仕方なく物理法則に従うと風が攪拌して混じり、いつの間にか見えなくなった
毎朝のこの時間、
朝日が昇るまでの束の間の休息
何にも縛られず
誰にも咎められない
この景色を
毎日眺めている
さすがにもういい加減に働かなくちゃ、とは思うのだけど
本当に毎日、本気で思ってるけど
自由を感じているんだから
仕方ないだろ
束の間の休息を感じながら
もう五年になる
この景色を眺めていると
明日からはきっと
頑張れる
ような
そんな気がする
『束の間の休息』
近くの定食屋でお昼を取っていたら、伊藤から
部長がハマりました
すぐ戻れますか?
とLINEがきた
意味はわからなかったがどうやら緊急の案件らしい
親子丼をかき込み急いで会社へ戻る、と
確かに部長がハマっていた
自社ビルと隣のビルとの狭い隙間にスッポリと
伊藤が汗だくで部長を引っ張っている
部長は怪訝そうな声で、伊藤、もう少しなんとかならんのか、と怒っている
これは手伝った方が良さそうだ
なんで部長がハマっているのかはわからないけど、とりあえず一緒に引っ張ってみる
部長は痛がるばかりでビクともしない
部長、大丈夫ですか?
と、声をかけると
いいから早く抜け!
と首をあっちに向けたまま怒鳴られる
自分でハマっといて何をカッカしてんだよこのハゲは、と呆れてたら
思い出した
そういや、部長、午後から大口の商談が控えてるんだった、と
商談は部長が不在では成り立たないし、
社内的にも商談中に部長がハマってたなんて社長の耳に入ったら大事になる
なるべく事は荒立てない方が良いが、人手がいる
この時間、営業部は全員出払っているし、どうするのがベストか、逡巡し伊藤に指示を出す
総務の前田さん呼んできて、社内にいるはず
伊藤に呼ばれた前田さんは最後方から屈強な体躯で僕を引っ張る
引っ張られた僕が全力で伊藤を引っ張り、
伊藤は顔を真っ赤にして部長を引っ張る
ダメだ、抜けない
三人とも息も切れ切れにもう諦めようか、と思ったその時、
経理の山下さんがお昼を終えて戻って来たのが見えた
前田さんの後ろに山下さんを配置し、全員でもう一度引っ張る
山下さんはハイヒールを折りながらも懸命に引っ張った、が
やはり、ダメだ、部長はピクリとも抜けない
時刻は間もなく13時
もう取引先が見えてもおかしくない
今度こそはもうダメか、と諦めかけたその時
花壇の水やりにきた庶務課の美幸ちゃんと
午後の集配に来た黒猫宅配の担当が通りがかる
これが最後のチャンス
やるぞ、と披露困憊の伊藤に声をかけ
全員で配置につく
黒猫さんが全力で美幸ちゃんを引っ張り、美幸ちゃんが山下さんを、山下さんが前田さんを、前田さんが僕を、僕が伊藤を
そして伊藤が部長を
うんとこしょおおおお!!
どっこいしょおおおおおお!!
全員で
部長を引っ張る
全力で
力を込めて
せえええええーのっ!!!
『力を込めて』
え?
二人のマグカップは指から零れて床に触れると
中の液体を飛び散らしながら真っ二つに割れた
あれ?なにが?
テレビを見つめる
彼と初めて出会った時、私は確信した
私はこの人と結婚するんだ、と
鳴かず飛ばずが続いたけど
私が頑張って、と声をかけると
いつもありがとう、と笑顔で応えてくれる
彼と過ごした日々が頭の中に流れ込んで来る
少しずつ有名になる彼と一緒に全国を駆け回る
どこにでも行った、生活を多少犠牲にしても彼となら苦しくない
誕生日は冬にかかるから
風邪を引かないように毎年編み物を贈ってた
始めは下手くそだったけど段々上手になったよね
彼に関連する物は全て揃えたし
出ている雑誌も全て買い揃え
テレビへの露出が増えると全て録画しラベリング
そしていよいよ大舞台
四万人の観客を前にウィンクされた時は周りに気づかれないかドキドキしたわ
あの歌は実は私のために歌っている、とかバレたら殺されちゃうじゃない
長い年月の
思い出一つ一つが愛おしい
私の最愛の人
誰もが羨む彼ともうすぐ結ばれるのは私なのに
誰?
テレビが伝える
この女
割れた破片を踏みにじりながらテレビに近づく
意味がわからない
テロップには電撃結婚の文字
ほら、マグカップにはきちんと私と彼が印刷されてるじゃない
間にはハートマークだって書かれてるし
誰なの、この女
わかったわ
騙されてるのよ、みんな
私と彼の間を邪魔したくて
テレビを使って
嫌がらせをしているのね
私から幸せを奪おうとして
この女
きっと頭がおかしいのね
彼と私の幸せを邪魔する
悪い女は懲らしめなきゃ
ね、そうでしょ?
『過ぎた日を想う』
田中くんは?と尋ねられて
か、、と半分出かかって慌てて飲み込む
獅子座だよ、とすり替えた
危ないところだった
イメージを刷新する必要があった
中学時代、根暗で友達が出来なかった僕はあえて地元から離れた高校を選ぶ
高校からはクラスの中心で空高く舞い上がるために
そして、念願の彼女を作るために
今までの僕を切り離して、闇に葬り去さったのだ
髪型を変え、筆箱を変え、一人称も僕から俺に変え、星座、さらには血液型も変えた
そうした努力の甲斐があってこうしてクラスの女子と星座占いを勤しむまでに成長することができた
めっちゃくちゃ当たると評判のその占いで吉田さんから星座を尋ねられる
か、、獅子座だよ
危ない、なんとか誤魔化せたはず
すぐさま
血液型は?と尋ねられて
おぉ、、AB型
慌てて答える
OAB型?なにそれ全部じゃん、ウケる
はは、噛んじゃったわ、AB型、獅子座のAB型だよ
なんとか切り抜けた
孤高で尖った新しい僕のイメージとしては獅子座のAB型がベスト
これを崩すわけにはいかない
獅子座のAB型は、ね、吉田さんがページをめくる
あったわ、読むね
偽りなく生きなさい
欺瞞で満ちた生活を続けると
いつか地獄に落ちるわよ、だって
僕は心臓が飛び出るかと思った
なんか急に辛辣ね、この占い師も
でも確かに、正直者が一番よね、田中くん
う、うん、そうだね
正直者が一番だね
私ね、正直者で優しくて
髪型とか筆箱とかに拘らない
素朴な蟹座のO型の男の子が好きかな
吉田さんは開いていた占いのページをパタンと閉じると、にこりと笑った
『星座』