あなたが好きだった歌を歌うとき、踏み外す一音。
あの秋の水溜りに立って頬に感じた風の色。
空気を引っ掻くように掠れた笑いかた。
差し出されたフォークの先にあったケーキの味。
誰にも教えなかった恋。
一度も口にしなかった、とっておきの愛の言葉。
#どこにも書けないこと
さよならを刻んで、明日が来る。
おやすみを刻んで、夢を見る。
刻まれる一秒を見送って、見送って。
そうして胸の内側に刻まれたものを、思い出と呼ぶ。
わたしだけの傷跡を、生きていく。
#時計の針
溢れたら、溢れたぶんだけ失くしてしまうと思った。
わたしの外側に零れ落ちて、消えてしまうと思った。
どれだけ大事にしていても、そうなると信じていた。
ひと雫だって忘れたくなかった。
これはわたしのものだ。わたしだけのものだ。
そうして抱えて生きてきた。
ぴんと張り詰めた水面、美しく濁ったわたしの心。
そして、今。
そこに触れようとするあなたの指を、予感している。
初めて何かが壊れるだろうときを、待っている。
どうしてか。どうしてか。
#溢れる気持ち
あのひとのまなざしは、お祈りを捧げるようだった。
青い綺麗な花びらに、じっと何かを託すようだった。
わたしは何も聞かなかった。
乾いた白い頬と、軽く伏せられた睫毛を見ていた。
凛と引き結んだくちびるが震えていた。
言葉はなかった。
世界で一番美しくて悲しい、一枚の絵のようだった。
#勿忘草
わたしだけが知らなかった。
お別れがどれほど辛く悲しいものか、切ないものか。
わたしだけが知らなかった。
あなたの命に、ここまで、と線が引かれていたこと。
わたしだけが知らなかった。
あなたがその線を、ずっと見つめて生きていたこと。
わたしだけが知らなかった。
わたしだけが知らなかった。
わたしだけが知らなかった。
あなたがどれだけ、わたしを愛してくれていたのか。
#突然の別れ