誰かのためにつく嘘を、私は知らない。
私は、私のために嘘をつくし、
あの人も、この人も、自分を守ることに嘘という道具を使う。
そういうものだと、然るべきものだと、思っていた。
けれど今。
ここ、真っ昼間だというのに閑散という言葉を抱きしめる小さな公園の、
薄汚いベンチに座ってただぼんやりとしている私の隣に躊躇なく座った、年端も行かない子供が、
なぜ1人なのか、思わず物騒なことを考えてしまいそうになる、幼気な子供が、
私が持てば片手で収まりそうなボールを両手で持ち、私を覗き込むようにして、言った。
「あのねあのね!ぼくね!
ヒーローになりたいの!
ヒーローになってね!たくさんのひとをたすけたいの!
せかいのへいわをまもるって、かっこいいでしょ??」
その、流れ星のかけらを瓶に集めたかのような瞳が、
なのにどこか懐かしい気持ちになるその瞳が、
心底、美しいと思った。
「世界を守るヒーローに、きっとなれるよ」
伝えたい思いは、
伝えようと思った時にはもう遅くて。
伝えようと思う前に出た言葉は、少しだけ思ったのと違う形だ。
けれど、あなたには伝えたい。
そう頭で思う前に、動いた身体は、きっと思ったのと違うようにあなたに映る。
それで、それが、いいのかもしれない。
この場所で、ほぼ毎日、だいたい同じ時刻に見かけるおじいさん。
本当にいつもいるから、
春はなんだか鼻をムズムズとさせているな
夏は麦わら帽子が良く似合っているな
秋は焼き芋の袋をよく抱えているな
冬はマフラーとダウンでモコモコしているな
なんて、おじいさんで季節感を味わうようにまでなっていた。
ある日の、冬。2月だった。
朝早いシフトの仕事を残業付きで終えて、あくびを噛み殺しながら、「バレンタインフェア」のポスターやらショーケースやらを通り過ぎて駅構内をフラフラと歩いて、あの場所に着いた。
その場所にいたいつものおじいさん。
…の横に、穏やかに笑う、おばあさんがいた。
おじいさんも、今まで見てきた中で一番幸せそうな顔をしている。
そうか。奥さんか。
なんだか、私まで嬉しくなって、疲れが少しだけ幸せの風に吹かれてどこかへ行った気がした。
次の日から、おじいさんを見ることは、一度も無かった。
職場の近くに連なる木々に施されたイルミネーション。
幼い頃、「星降る夜」とはこのことかと、感嘆というよりはもはや納得してしまうほどの夜を用意してくれるくらいの田舎に住んでいたからか、
単純に私が天邪鬼なだけなのか、どちらなのかは不確かだが、
とにかく、イルミネーションを見ても、「これは総電力何Wなんだろ…」などというなんとも可愛くないことばかりが頭に浮かぶ。
けれど、私は知っている。
この時期になると巷に溢れるこの「イルミネーション」というのは、
そのものが綺麗なのではなく、
隣を歩く誰かを、ロマンチックに、綺麗に、儚げに、愛おしいと思うほどに照らしてくれる、
そんな、「照明」なのだ。
それが、素敵、なのだ。
そんなことをキザに考えながら、私はコートの襟を掴んで首をすくめる。
遠いと、たどり着けなくて、嘆く。
近づけば、もっと近づきたくなって、やがて見えなくなる。
願望との適度な距離とは、果たしてどのくらいなのだろうか。