家具が一つもない殺風景な広い部屋。
唯一、外へと繋がっている窓は天井にある。
だが、鉄格子が取り付けられているから外へ出ることは不可能。
何度見ても、この部屋はおかしい。
天井に窓があるということは、ここは最上階だろう。
ここがマンションの中なのかビルの中なのかも分からない。
目隠しされて連れて来られたからな……。
天井の窓から太陽の光が射し込み、まるでスポットライトのように部屋の真ん中を照らす。
鉄格子の影付きで、見るたびにここから脱出出来ないという現実を突きつけられる。
トッ……トッ……トッ……。
何度聞いたか分からない足音。
最初は恐怖を感じていたが、もう今はそんな感情すら感じない。
ドアの前で足音が止まり、“ガチャッ“と鍵を開ける音。
ドアが開くと同時に、あいつの声が入ってくる。
「やっほー、健司。ご飯の時間よ」
皿を持って入ってきたのは、京子という女。
「た~くさん食べてねっ」
そう言いながら床に皿を置く京子。
皿の上には、握り拳ぐらいの大きさのパンだけが乗っている。
食事は一日一回、昼食だけ。
男の俺には全然足りず、おかげで体重と体力は落ちていく一方だ。
「ねぇ、健司。私のこと好き?」
京子は、いつものお決まりの質問をしてきた。
この質問に答えたのは何度目だろうか?
百を越えてから、もう数えていない。
「好きだよ」
俺もいつものようにお決まりの返事をする。
「で、結婚してくれる気になった?」
「全く、これっぽっちもない」
「私のこと好きなのに?」
「そう言わないと食事が出ないから言ってるだけだ」
「……そっか」
肩を落とし、がっかりする京子。
こうやって結婚を何度も申し込まれる毎日。
俺は、京子のことを何も知らない。
京子は俺のことをよく知っているらしいが……。
合コンで初めて京子と会い、途中ですごく眠くなって、起きたら俺はこの部屋にいた。
もちろん、脱出しようとしたさ。
天井から脱出するのは不可能だから、ドアから出るしかない。
唯一部屋から出られるタイミングがあるのは、トイレと風呂。
その時は手錠をかけられる。
一度、京子の隙をついて逃げたが、あちこちに二重の鉄格子があり、全て電車ロックが掛かっていて脱出出来なかった。
まるで極悪人を管理している刑務所だ。
俺が結婚をOKするまで、自由になれないらしい。
「いつか結婚してくれるって信じてるから。またねっ」
京子は部屋から出ていき、ドアに鍵をかけて去っていった、
あんな女と結婚するぐらいなら……。
パンを口に入れ、味わって食べる。
まさかこのパンが、最後の晩餐になるとはな。
空になった皿を持ち、振り上げる。
思いっきり床に皿を叩きつけ、皿を割った。
トッ!トッ!トッ!
いつもより早い足音が近づいてくる。
早くしないと、あいつが来てしまう。
割れた皿の中で一番鋭いのを選び、手首に当て、勢いよく一気に引いた。
手首からドクドクと血が溢れ、意識がだんだんと遠のいていく。
人間って、こんなに血が入っているんだな……。
床に倒れ、天井を見上げると、ちょうど窓の真下だった。
「これで……脱出出来るぞ……へへっ……ざまぁみろ」
あの窓から出て、やっと……俺は自由になるんだ。
俺は、どこへ行くのだろう?
部屋に籠りっきりだったから、色んな所へ行きたいな。
目が重くなり、自然に目が閉じ、目の前が真っ暗になる。
“ガチャッ“と鍵が開く音。
ドアが開く音と同時に、あいつの声も入ってくる。
「健司!?そ、そんな……健司……」
京子の悲しそうな声を聞いて、俺は心の中でガッツポーズをした。
お前が好きになった男は、お前のイカれた行動で男を追い詰めたせいで、男は自害したんだ。
これから一生、永遠に後悔しながら生きていくんだな。
「でも、これで結婚出来るし、これからはずーーっと一緒だね。健司♪腐らないようにちゃんと保存しなくちゃ♪」
最後に聞いた京子の声は、喜びに満ちていた。
風が吹くたび、ひらひらと舞うピンク色の花びら。
今年も、庭の桜の木が満開になった。
桜を見ると、春が来たって感じがする。
「今年も咲いたのですね」
お嬢様の声を聞いて、我に返る。
しまった。桜が美しくて、つい見とれてしまっていた。
お嬢様を放置するとは、なんたる失態。
「申し訳ございません、お嬢様。お連れせず放置してしまって……」
「ふふ、それほど夢中だったのですね。私も見てみたいです」
お嬢様は生まれつき目が不自由で、ずっと暗黒の世界で生きてきた。
お嬢様の目として支えているのが、私だ。
「桜は確かピンク色……でしたっけ?」
「ええ、桜はピンク色で、見とれてしまうほど美しくて……」
今日のお嬢様のお召し物は、ピンクの着物。
そう、桜はまるで……。
「お嬢様のようですね」
「ふふ、お世辞かしら?」
「いえ!決してそんなことは!ほんとのことです!」
なにをムキになっているんだ私は。
「そんなことを言われたのは初めてです。こういう時、なんて言えばいいのか分かりませんが……すごく嬉しいです」
お嬢様の頬は、桜のようにピンク色に染まっていた。
やはり、なにをするにも君と一緒がいい。
君と一緒に、楽しい時間を過ごしたい。
悲しいときや辛いときでも、君と一緒に共有したい。
どんなときも、君と一緒に居たい。
……これでよしっと。
俺は、“君“を求めて、数人の女性にメッセージを送った。
雲一つない、快晴の空。
俺の隣で、彼女は空に向かって手を伸ばし、何かを掴むように、ぎゅっと握る。
「こんな風に、空の物が掴めたらいいのにね」
「地上と空は距離がありすぎて無理だろ」
「ふふ、そうね」
空を見ている彼女の顔は、どこか、悲しげだった。
「……私ね、もう長くないの」
「なにが?」
「命が」
「えっ」
突然のことで、頭が真っ白になる。
だが、付き合う前、彼女から言われたことを思い出した。
「私ね、生まれつき身体が弱いの。だから、あなたより先に死ぬかもしれない」
彼女は体調を崩すことが多く、よく通院していた。
俺も付き添いで付いていったこともある。
まさか、そこまで体調が悪化しているとは思わなかった。
「ごめんね、隠してて」
「謝らなくていいさ。まぁ、びっくりしたけど」
出来るだけ気にしていないように接するが、動揺を隠せない。
でも、これだけは言える。
「思い出、もっと沢山作ろうな」
「うん……ありがと」
だが、その思いも叶わず、一ヶ月に彼女は亡くなった。
二人の思い出の場所で一人、空を見上げる。
雲一つない、快晴の空。
この空のどこかに、彼女はいるのだろうか?
この空のどこかから、俺を見守ってくれているのだろうか……。
俺は空に向かって手を伸ばし、空にいる彼女の手を掴むように、ぎゅっと握った。
「ハジメマシテ、ヨロシクネッ!」
エッ?モットシゼンニハナセッテ?
「はじめまして!よろしくねっ!」
えっ?もっと大人らしく話せって?
「はじめまして。これから、よろしくお願いいたします」
依頼者は、まだ不満そうな顔をしているが、これで満足してくれたようだ。
「では、いってきます」
依頼者に見送られ、今日から勤める会社へ向かう。
なぜ、我々アンドロイドが依頼者の……人間の会社へ代理で働かないといけないのだろうか?
人間の考えることは、よく分からない。
入社式に居た新入社員は、私を含め、全員代理で来たアンドロイドだった。