月風穂

Open App
2/1/2024, 12:29:01 PM

【ブランコ】

ブランコとの思い出は幼少の頃ばかりだ。
私にとってブランコは公園のヒーローであった。
前後に動くだけの構造だが、不思議なことにブランコのファンは全国にいる。
かくいう私もファンのひとりだ。

私の実家の隣には少し大きい神社がある。
公民館のような母屋と相撲がとれる土俵があり、周りを取り囲むように木々がそびえたつ。
遊具はほぼないのだが、なぜかブランコだけがひっそりと存在している。
神社にブランコなどあるのだろうか?
私は今までに見たことがない。
佇まいはひっそりとしているがそこは公園のヒーロー。存在感はピカイチである。
大概ブランコは横に2つ並んでいるが、ここはなんと3つである。3つ。
奇数人で遊ぶことを念頭に置いたブランコとはなんとも珍しい。

だが神社という場所柄、昼間でもなかなか暗くひとりでは恐ろしい。
いつだったかひとりでブランコに乗っていると、隣のブランコが風もないのに揺れだした。
「一緒に遊びたいの?」などと話していた気もするが、私と遊ぶとはよっぽど暇な神様であろう。
何百年もこの神社を守っている神様は、どれだけの子どもと一緒に遊んでいたのだろう。

ブランコが3つあるのは私と友だち、神様があとひとつに一緒に乗るためなのかもしれない。
夕食の際こんな話を家族にしていた。
当時中学生の姉は、
「偶然揺れたんだよ、神様なんていないよ。」
などと現実的な話をしていた。
姉が無宗教者だったのである。
私は中学生は大人なんだなぁと思った。
と同時に、じゃあなぜ姉は毎年初詣に行っているのだろうとも思った。
中学生は複雑であるのだなぁとも思った。

1/31/2024, 12:13:52 PM

【旅路の果てに】

旅は始まりが良い。
果ては大して面白味はない。
友人たちとの旅は大概こんな感じである。

行きは揚々。
あの場所に行こう、あれを食べよう、あれを買おうなど夢は無限である。
実際観光地へ行くと気持ちは晴れやかとなる。
ひとりも良いが、このようなときの友人との会話はまた格別である。
泊まる旅館やホテルは4人が集まれば遊び場となり、狭い部屋も賑やかとなる。
問題はその後の果てである。

皆疲れきり、車中は死へと向かうように沈黙である。
私はまだ生者であるのだが、皆に語りかけても返事はない。屍のようである。
旅は道連れというがこんな道連れは真っ平ごめんなのだ。
あとはお家に帰るだけなのだが、本当にこの時間はつまらないの一言である。
運転してもらっている友人には悪いが、心なしかこの車のテンションも低い。
吹かすエンジンも力が抜けており、ブレーキは眠る寸前である。カーナビの声も弱々しく、ぷんすかと車両は大きく揺れる。
旅の思い出を噛み締めるわけでもなく、眠っているわけでもない。
この不思議な時間はいつどの旅でも大なり小なり訪れる。
私はこの時間が嫌いなのだ。
お家に帰るまで私は旅の気持ちを持っていたいが、周りがこうなるとどうしようもない。
皆天下一武道会に出た後のように疲労困憊であるのだ。
自分の力では何ともできない無力さを知る。


私にとって旅の果ては虚無である。
私は思考を重ねるがいまだに解を提示できない。
体力の問題なのだろうか。
皆まだ20代のはずだが、本当は60代くらいなのかもしれない。
ならばしょうがないであろう。

1/30/2024, 12:55:12 PM

【あなたに届けたい】

いつもの調子で書こうと思ったが、このお題であなたが頭から離れないので記す。

私のいとこの兄へ。
いとこの兄は私が高校2年生のときに亡くなった。
大学で寮暮らしをしていたあなたは、うつ病で休学をしていた。
私もそこまでは聞いていたが、大学に復帰して突然亡くなったと親から聞いた。あれは夏の夜ことだった。
飛び降り自殺なのだと。

小さい頃はお互いの家も遠くはなく、年に何回か遊ぶことがあった。
私の虫採りを手伝ってくれたり、一緒にゲームをしたり、勉強を見てくれたりした。
我が儘な私の面倒を見てくれた。
とても優しかったね。
中学頃には引っ越してしまい、年に一回程度しか会うことはなくなった。
ゲームやマンガが好きで、バスケをしていた。国立大学を目指しているあなたをすごいと思った。
話す機会は少なくなったが、姉しかいない私にとって本当の兄のようであった。

希望の大学に無事合格し、寮生活となったあなたが学校に馴染めないと聞いた。
不登校でうつ病となり、一度実家に戻ったのだと。
優しすぎるあなたは自分のことを主張できず、友だちもあまりできなかったみたいだ。
別に大学を辞めてもいいよという親からの言葉に、真面目なあなたは休学して大学に復帰した。
本当にあなたはすごいよ。

私はあなたに何か与えられただろうか?
苦しんでいたであろうあなたに、私は何もできなかった。
話をする機会も大学からなかった。
ただのいとこだが、昔からの友人も同然だ。
何もできなくてごめん。
たかがいとこの私にはそこまでの期待はなかったと思うけど、何かできたのではないかと常々思ってしまう。


こんな話をすることが、どこにも誰にもできなかったから、ここなら別に良いのかなと思う。
こんな形で伝えてごめん。
優しいあなたなら許してくれるでしょ?

あなたの死で学んだことがある。
私が関わることができる範囲で、誰かを大切にしようと。
友だちも恋人も家族もできる限り関わって大切にしようと。
私も友だちが多い方じゃないからそこは似ている。
この遺伝子の宿命なのかもしれない。
もちろんできていないこともあるが、大切な人が生きているだけでも良いのかと思えるのなら、それでも良いのかもしれない。

最後にひとつだけ。
あなたが好きだったHUNTER×HUNTERはまだ完結していない。
私が生きているうちに完結するかも怪しいのだ。
人生そんなもんだよね。
あなたの分まで私は生きようと思う。

1/29/2024, 12:12:43 PM

【I LOVE...】

私はのんびりが好きだ。
いや、愛していると言っても過言ではない。
のんびりしているといえば牛。
闘牛ではなく乳牛あたりが妥当であろう。

私は丑年であり、山羊座なのだ。
計らずとも牧場との関連の深さがうかがえる。
とはいえ牧場で働くほど意欲もない私は、たまに行く名の知れない牧場へ行くのが好きだ。
公園の延長みたいな広場も好きだ。やけにリスとかがいるようなところである。

牛の何がいいか。
まずのんびりしているのである。
のんびりを愛している私からすれば、世間の荒波から逸脱した雄大さを感じさせる生物は希少だ。
命を削るほどの外敵もおらず籠の中の鳥も同然。いや、柵の中の牛であったか。
しっぽをぷらぷらしているところなども実に愛らしい。
彼らは人に好かれようとそのようなことをしているわけではない。
ここも素晴らしく、人に媚びない姿勢は自らの気高さを誇っているようである。
ぴょこんとした耳なども実にキュートである。
時に角を生やしたいかつい牛もいるが、本質は似ているようでのんびりとしている。

その点山羊などは飛び回り、ちょっと怖い。
馬は突如情緒不安定になり、やはり恐ろしい。
羊は目が怖い。
やっぱり牛がちょうど良くじーっといつまでも見ていられるのだ。


焼肉を食べている私からすれば、牛たちと会うのは少々気まずい。
牛乳やヨーグルトはまだしも肉である。ただ事ではない。
彼らと会うときは「ベジタリアンだぞ」と言いたげな雰囲気を醸し出し難を逃れる。
おそらく酪農家ですら焼肉を食しているであろう。
彼らはどんな気持ちで牛たちと関わっているのであろうか。

そう言いながらも、牛たちのおかげで私はここまで大きく育ったのだ。
ありがとう牛たちよ。
これからもよろしく。
のんびりしているあなたたちが好きだ。

1/28/2024, 12:29:51 PM

【街へ】

街にはランクがある。
小街、中街、大街、特大街である。

私は幼い頃から小街に住んでいた。
中街へは電車に揺られて20分ほどで到着する。
小学生の時に初めて目にした中街は、こんな世界があるのかと驚いたものだ。
岩倉使節団が目にした世界と同等である。
明治維新の改革は、大したこともないこの街にまで影響していたのだ。
この感動は後世まで語り継がれるであろう。

街へ出るとき恐れるのは目的地までたどり着けるかということである。
大街、特大街はやたらに複雑怪奇なのだ。
何度私の心を挫けさせたであろう。
だが私は諦めない。スマホという名のドラえもんがいるのだ。
スマホで検索し、目的地までちょちょいのちょいってな具合である。特大街も大したことはない。

街へ出るなら外見にも気を使う。
誰のためと言われれば解を窮するが、こんな洒落た場所にいるのなら洒落た姿でいたい。
私の遺伝子に刻まれた見栄という、ここでしか発揮できない柔軟性のない能力である。
颯爽と風に乗りスマートな佇まいを披露すれば、今日の私は満足する。
あとはしょうもない用事を済ませて完了である。


こんな街でも数多の人の思い出がある。
私のような田舎者からクールな都会人まで。
私が行く街はどこもきっと素敵な街なのだ。
次に行く街はどこにしようか。
にこやかに笑っている街に行きたいのだ。

Next