【君に会いたくて】
「ただいま。カブトムシもらってきたぞ!」
カブトムシが父と共に帰ってきた。
「わぁ~すごい!かっこいいねぇ。」
小学2年生のわたしは飛ぶように喜んだ。
当時のわたしは虫が好きでも嫌いでもなかったが、カブトムシはかっこよくて好きだったのだ。
「よかったね!大切に育てないとね。」
嬉しそうに語りかける母であるが、母は今も昔も虫が苦手だ。
おそらく家にいる間世話をみるのは彼女である。その笑顔は苦笑いであった。
田舎であったため、カブトムシは採ろうと思えば採れた時代だ。
そういえば当時ムシキングというものがあった。
流行ってはいなかった。あったのである。
田舎でよくみる虫を、誰が好んで2次元の写真だけで喜ぶのであろう。
都会であれば需要があったかもしれないが、田舎の子どもたちには本物が身近にいたため、興味をひかれることはなかった。
ムシキングのなかでも弱い扱いを受けている虫たちは、どんな気持ちで生きているのだろうか。
彼らはその事実を知らないまま生きている。
私もヒトキングというものがあったら弱い扱いであろう。他人事ではない。
私は小学2年生当時のわたしに会いたい。
今ひとりで静寂の中の部屋にいる。
どこからかがさがさと聞こえる不気味な音に、不安を抱えている。
あれから時が経ち、私はどうやら母に似たようだ。
虫が苦手になったのだ。
この部屋にいるであろう虫を好意的に受け入れられる私はもうこの世にはいない。
あの当時のわたしがいてくれさえすれば、不気味な音を立てている存在に立ち向かえるだろう。
無惨にもそんな奇跡は訪れないのだ。
私は今から恐怖の一夜を迎える。
【閉ざされた日記】
閉ざされた日記。
何ともお洒落な言い回しである。
ゲームであれば謎を解くキーアイテムとなるに違いない。
かくいう私の部屋にも閉ざされた日記がある。
普段日記を書かない私が日記を書く時期は2回訪れた。
1回目は小学5年生のときである。
宿題として毎日日記を書くというものであった。
「書く内容はなんでもいいぞ。」
という先生の言葉を真に受けた私は、その日の夜ご飯のからあげが人生で一番美味しかったことを綴った。一番である。二番ならば言うまい。一番である。二度は言うまい。
次の日の先生からのコメントには、
「学校では楽しいことはなかったのかな?」とあった。
何とも手厳しい言葉だ。短い言葉のなかに、鬼気迫る表情が浮かび上がる。
先生にとってからあげが美味しいことは、日記に書くほどでもない当たり前なことであったのだ。
先生の実家はからあげ屋に違いない。
翌週から「日記のお題を出すから、その内容で書いてきてね。学校であった楽しかったことは?」と、笑点の桂歌丸じみたことを言い出した。
先生は笑点が好きに違いない。
「うーん、何を書こうね?」
と友だちと談笑したことは今でも覚えている。
そんな日記も1年で終了となった。
今にして思えば、日記の内容を自由にさせたところ、あまりにも生徒たちの内容が酷かったため、苦肉の策として先生は題材を与えたのだろう。他の先生からこのことでいじめられはしなかっただろうか。心配である。
あくまでも気づかれぬように題材を与える先生の優しさが今になって染みてくる。
さて、2回目は大学4年の丁度就活の時期である。
人は苦しいときに自分の感情を吐き出す場所を望むのだろう。
最初のうちは就活でがんばる自分を励ます内容であったが、次第に落とされた企業に対する罵詈雑言が並べ立てられることとなる。
立川談志もびっくりである。
何度「世界よ滅びろ。人類なんかいなくなれ、」と書いたことか。望みとは裏腹に、世界や人類が滅びなかったことは感謝したい。
苦しかった就活がようやく終わり、ハッピーな毎日が訪れた。
その日から私の日記はその日のメモと化し、時折気味の悪いポエムが綴られている。
こんな歳で中二病のような日記を綴っていることに、この当時の私は気づいていない。
今でもこの日記は私の部屋にある。
捨てた先で誰かがこの日記を読むと想像するだけでも身の縮む思いだ。
人の名前を書くと死ぬという「デスノート」ではなくとも、私はこの日記を読まれた瞬間死ぬだろう。
つまり私にとってこの日記はデスノートなのだ。
私が死んだとき、この日記は私の死の謎を解くキーアイテムという大役に抜擢される。
接着剤で本当に閉ざされた日記にしてしまおうか。
いまだに捨てることも閉ざすこともできない私は、これから先もこの日記を大切に保管し、新たな日記を書くことはないだろう。
【木枯らし】
「木枯らしってどういう意味?」
「あぁ秋から冬に吹く風だよ。」
辞書よりも面白味のない回答だ。金田一秀穂も真っ青である。
もっと洒落た返答を期待したいものである。
「なんで木枯らしって言うんだろうね。」
深く純粋な眼差しを向けられた私には、その好奇心を埋められるほどの知性はなかった。
言われてみればそうだ。
なぜたかが冬への移行時期に吹く風に「木枯らし」という称号が与えられているのか。
なぜ「木枯らし」というのだろう。
そこで私は「木枯らし」という名前が付けられた理由を考えてみる。
冬が好きと豪語している私には、理由を考える権利というものがあるだろう。
さて、「木枯らし」くんと真正面に話し合おうではないか。
木を枯らすと書いて「木枯らし」
なんと恐ろしい言葉の並びだろうか。
これを命名した人が、「木枯らし」という行為にどれほど憤りを感じていたのかがうかがえる。
「秋の末から冬の初めにかけて吹く強く冷たい風。」
というのが正式な意味らしい。
秋から冬に移行するなかで、木々も寒さから葉を落とす。
強い風が吹き、まるで風が木を枯らしたかのように見える様から名付けられたにちがいない。
殺伐とした冬の寒気がもうすぐやってくるぞ!人間よりも先に木葉がやられたぞ!とでも言いたいのだろう。
「木枯らし」では人を枯らすことはできないのだ。
「人枯らし」はむしろ夏だよなぁと思うと、木と人間は反対の性質を持っているようで、木を讃えたくなる。
ということで「木枯らし」は「人を枯らすことはできないが、人よりも強靭な木から葉を落とすことができる、これから訪れる冬を感じさせる力強い風。」という説明がまっとうではないだろうか。
…。
木を枯らすのは風ではなく火じゃないか…?
【美しい】
「美しい」という言葉を発したことがない。
文章では何度も使用したことはあるが、確かに今までの人生の中で、「美しい」という言葉を口に出したことがないのだ。
何も私が美しいと感じたことがない無知覚人間という訳ではない。
雄大な自然を前にしたり、真っ青に透き通った海を目にしたり、よくわからない美術品を見たときに、いずれも「おぉ~すごい。きれいだな、美しいな。」と心の中では雄弁な語り口を見せるのだが、口から吐き出す言葉には「すごかったよ。」という万能な言葉で収まりよく相手に伝えてしまう。
これこそ効率的社会による弊害であろう。
短い言葉の中にも私の熱量が体よく伝えられている。
だがよくよく振り返ってみると、私の周りでも「美しい」と口にする人はあまり見ない。
もはや映画やドラマの世界である。
例えば、天才数学者が頭を捻らせながら数式を解き、出来上がった答えをみて「美しい…。」と恍惚の表情を浮かべる様など容易に想像できる。
私は天才でもなければ数学者でもない。
並べ立てられた数字を美しいと思えることは一生ないであろう。
例えば、ガイドさんが世界の絶景を紹介するなかで、「これが◯◯でも紹介されるほどの美しい景色でーす。」と1日に何度も「美しい」という言葉を発している。
私が一生かかっても追い付けないスピードで、ガイドさんは「美しい」を連呼している。そんなに急いでどこに行く。
まさにその姿勢が美しいと誉めてやりたい。
問題はやはり「美しい」という言葉そのものの使いづらさにあると思う。
「美しい」よりも「きれい」という言葉の方が使いやすいし、なんならこの私ですら「きれい」を駆使している。
「美しい」はなんとなく高貴な印象を与え、低俗な私ごときでは「美しい」を使うレベルに到達していないのだ。
その点「きれい」は、その昔口裂け女が「私きれい?」と使用するほど、庶民にまで浸透しているのだ。
何が言いたいかというと、私が一生かかっても、意識しなければ発言しない言葉があるということである。
他にも色々あるだろう。
…
……。
ここで嘘でもいいのに何も出てこないところこそが、私の私たるゆえんである。
【この世界】
この世界は複雑だ。
僕たちは時代の途中から参加している。
それまでに数えきれないほどの出来事があっても、後から知ることしかできない。
世界レベルで見るならば、国同士でどことどこが仲が悪いとか。
身近なレベルで見るならば、誰と誰とが仲が悪いとか。
あぁ悪いことばかり考えている。
もっと明るいことを考えてみよう。
今こうして文章を電子機器で打っており、容易に複製して多くの人たちに読んでもらえる。
昔は人が手で書き、複製することは容易ではなかった。
誰かに自分の書いたものを見てもらうことは、死んでもなお叶うことはなかったのだろう。
そう考えると今は恵まれている。
あぁいいじゃないか。
明るいことを書けているぞ。
複雑になっているのは、僕たちが作り上げた世界であり、元々存在していた自然や摂理は環境に適応しながら変わっている。
そう考えると僕ら人間のちっぽけさは明白だ。
ただ明るく今日を生きられることは、長い歴史を見てもものすごいことなのかもしれない。
世界は思ったよりシンプルなのかもしれないな。