月風穂

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【閉ざされた日記】

閉ざされた日記。
何ともお洒落な言い回しである。
ゲームであれば謎を解くキーアイテムとなるに違いない。
かくいう私の部屋にも閉ざされた日記がある。
普段日記を書かない私が日記を書く時期は2回訪れた。

1回目は小学5年生のときである。
宿題として毎日日記を書くというものであった。
「書く内容はなんでもいいぞ。」
という先生の言葉を真に受けた私は、その日の夜ご飯のからあげが人生で一番美味しかったことを綴った。一番である。二番ならば言うまい。一番である。二度は言うまい。
次の日の先生からのコメントには、
「学校では楽しいことはなかったのかな?」とあった。
何とも手厳しい言葉だ。短い言葉のなかに、鬼気迫る表情が浮かび上がる。
先生にとってからあげが美味しいことは、日記に書くほどでもない当たり前なことであったのだ。
先生の実家はからあげ屋に違いない。

翌週から「日記のお題を出すから、その内容で書いてきてね。学校であった楽しかったことは?」と、笑点の桂歌丸じみたことを言い出した。
先生は笑点が好きに違いない。
「うーん、何を書こうね?」
と友だちと談笑したことは今でも覚えている。
そんな日記も1年で終了となった。

今にして思えば、日記の内容を自由にさせたところ、あまりにも生徒たちの内容が酷かったため、苦肉の策として先生は題材を与えたのだろう。他の先生からこのことでいじめられはしなかっただろうか。心配である。
あくまでも気づかれぬように題材を与える先生の優しさが今になって染みてくる。


さて、2回目は大学4年の丁度就活の時期である。
人は苦しいときに自分の感情を吐き出す場所を望むのだろう。
最初のうちは就活でがんばる自分を励ます内容であったが、次第に落とされた企業に対する罵詈雑言が並べ立てられることとなる。
立川談志もびっくりである。
何度「世界よ滅びろ。人類なんかいなくなれ、」と書いたことか。望みとは裏腹に、世界や人類が滅びなかったことは感謝したい。
苦しかった就活がようやく終わり、ハッピーな毎日が訪れた。
その日から私の日記はその日のメモと化し、時折気味の悪いポエムが綴られている。
こんな歳で中二病のような日記を綴っていることに、この当時の私は気づいていない。


今でもこの日記は私の部屋にある。
捨てた先で誰かがこの日記を読むと想像するだけでも身の縮む思いだ。
人の名前を書くと死ぬという「デスノート」ではなくとも、私はこの日記を読まれた瞬間死ぬだろう。
つまり私にとってこの日記はデスノートなのだ。
私が死んだとき、この日記は私の死の謎を解くキーアイテムという大役に抜擢される。

接着剤で本当に閉ざされた日記にしてしまおうか。
いまだに捨てることも閉ざすこともできない私は、これから先もこの日記を大切に保管し、新たな日記を書くことはないだろう。

1/18/2024, 12:23:46 PM