月風穂

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【美しい】

「美しい」という言葉を発したことがない。
文章では何度も使用したことはあるが、確かに今までの人生の中で、「美しい」という言葉を口に出したことがないのだ。
何も私が美しいと感じたことがない無知覚人間という訳ではない。

雄大な自然を前にしたり、真っ青に透き通った海を目にしたり、よくわからない美術品を見たときに、いずれも「おぉ~すごい。きれいだな、美しいな。」と心の中では雄弁な語り口を見せるのだが、口から吐き出す言葉には「すごかったよ。」という万能な言葉で収まりよく相手に伝えてしまう。
これこそ効率的社会による弊害であろう。
短い言葉の中にも私の熱量が体よく伝えられている。

だがよくよく振り返ってみると、私の周りでも「美しい」と口にする人はあまり見ない。
もはや映画やドラマの世界である。

例えば、天才数学者が頭を捻らせながら数式を解き、出来上がった答えをみて「美しい…。」と恍惚の表情を浮かべる様など容易に想像できる。
私は天才でもなければ数学者でもない。
並べ立てられた数字を美しいと思えることは一生ないであろう。

例えば、ガイドさんが世界の絶景を紹介するなかで、「これが◯◯でも紹介されるほどの美しい景色でーす。」と1日に何度も「美しい」という言葉を発している。
私が一生かかっても追い付けないスピードで、ガイドさんは「美しい」を連呼している。そんなに急いでどこに行く。
まさにその姿勢が美しいと誉めてやりたい。


問題はやはり「美しい」という言葉そのものの使いづらさにあると思う。
「美しい」よりも「きれい」という言葉の方が使いやすいし、なんならこの私ですら「きれい」を駆使している。
「美しい」はなんとなく高貴な印象を与え、低俗な私ごときでは「美しい」を使うレベルに到達していないのだ。
その点「きれい」は、その昔口裂け女が「私きれい?」と使用するほど、庶民にまで浸透しているのだ。


何が言いたいかというと、私が一生かかっても、意識しなければ発言しない言葉があるということである。
他にも色々あるだろう。

……。
ここで嘘でもいいのに何も出てこないところこそが、私の私たるゆえんである。

1/16/2024, 12:03:09 PM