お題《些細なことでも》
お気に入りの海色のノートが無惨に引き裂かれている。
――こんなことされるのは慣れてる。
だって“日常”だから。でも――これはおばあちゃんと買い物に行って、お礼にってくれたものだ。花柄の刺繍が丁寧に織り込まれたハンカチ、パッチワークのポーチ、ブックカバー。
おばあちゃんの趣味はハンドメイド。ぜんぶ、心を織り込んで大切に作ってくれたもの。
周囲の誰かに相談?
誰が、助けてくれるの?
私がいくら訴えても、何もしてくれなかったのに。挙句の果てに、私を見るとバツの悪そうな顔をする大人たち。
もう、誰にも期待しない。
ノートを抱きしめて、教室を飛び出す。耳の奥にクラスメイトの嘲笑だけが、いつまでも残響して消えない。
よく前を見ず闇雲に走っていたせいか、誰かとぶつかってしまった。
「おっと、お嬢さん大丈夫ですかい――って。泣いてるのに、大丈夫なわけねぇな」
私は、はじめて泣いている事に気がついた。無我夢中で、全然気づかなかった。一言謝ろうとすると、その人はそれを制止する。
「よかったらオレに話してくださいよ」
「でも……!」
「大したことないは無しで。あんたが泣いてるのに、そんなわけねぇでしょうが」
見た目は軽そうなのに、その人はどこまでも穏やかな口調だった。
――おばあちゃんみたいな、心の人だ。
お題《心の灯火》
俺の心に月をくれたのは、お前だ。
俺にとっての道標は、今も昔も月(おまえ)だよ。
わたしが?
目線を合わせ、やさしい声音で語りかける夜を纏う青年。
わたしが……。
青年の深い青の瞳が少女を慈しむように見つめる。青年は神代(かみしろ)と呼ばれる、《神の代行者》。
神に代わって、神の意思として――。
「君はもっと泣いていいし、俺を頼っていい」
「……でも。私は狭間の……」
「そんなの関係ない。君であるなら、俺は何者でもかまわない」
これ以上何を望むだろう。
私はこのとき誓った。――あなたをもう、悲しませたりしないって。
お題《開けないLINE》
《時薬》などという言葉があるけれど。
いつまでたっても私はLINEを開けることができない。
「あやかのすすめてくれた本面白かった! またすすめてよ」
あの木漏れ日さす声が忘れられない。
電話で明け方までよく話したよね。
――あなたは私に、やさしすぎた。
誕生日おめでとうのスタンプと、プレゼント楽しみにしててというメッセージ。
――仕事の休み時間。明日は彼の好きなお酒とおつまみ買って。
でももう、LINEは開かない。
今宵も私を照らす月。
あっけなく彼は旅立ってしまった。
――もう、車は見たくない。
お酒も見たくない。
――世の中狂ってるのよ。
私は今日もひとりきり、静かに涙を流す。
お題《不完全な僕》
欠けたものと欠けたものを繋ぎ合わせて、本物になればいい
不完全な僕はもういらない
不完全な僕を燃やして
燃え尽きた僕を嘲笑う
凍てついた月が冷たい眼差しで見下ろす
お題《言葉はいらない、ただ…》
青い月の夜には不思議なことが起きる。
夜風が心地いい。
少女は大きなあくびをし、それから本を閉じる。とある先輩にあたる青年から「読んでおけ。明日、本当に覚えてるか確認する」の一言だけを言い残して、どこかへ消えてしまったが。
「今日暑いな―。せっかくだからあそこへ行っちゃおう」
部屋を抜け出し、夜の森へ繰り出す。ランプなどなくても、瞳に魔法をかけているから問題はない。
森の奥深くへたどり着く――その前に羽織っていた外套をすでに脱ぎ捨てて、泉で水浴びしようと飛び出したのはいい、しかしそこにいたのは例の青年だった。
「――お前」
青年は肌を露出した、薄手の衣一枚の少女を見、ため息をつく。
「なんでため息!?」
「いや、男として見られてないんだなって思って」
黒銀の髪が月灯りで輝くその様は、幻想的で綺麗だ。まだ濡れている髪からしたたる雫に、心が大きく音をたてる。
いつもと変わらない口調。それにむっとして、思わず言い返す。
「ヨルなんてぜーんぜん、男に見えないよ!」
「……」
その瞳が燃えていように、見えたのは気のせい――?
でもそれは気のせいじゃなかった。青い泉に引きずり込まれ、二人一緒にずぶ濡れになってしまう。少女が何かを言おうとするより先に、そのまま唇をふさがれてしまった。
青年から香る月華晶の花に酔ってしまいそうになる。ふわふわして、心地よい浮遊に。
青い月の夜の出来事だった。