椿灯夏

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9/3/2022, 11:09:45 AM

お題《些細なことでも》


お気に入りの海色のノートが無惨に引き裂かれている。


――こんなことされるのは慣れてる。

だって“日常”だから。でも――これはおばあちゃんと買い物に行って、お礼にってくれたものだ。花柄の刺繍が丁寧に織り込まれたハンカチ、パッチワークのポーチ、ブックカバー。

おばあちゃんの趣味はハンドメイド。ぜんぶ、心を織り込んで大切に作ってくれたもの。



周囲の誰かに相談?


誰が、助けてくれるの?


私がいくら訴えても、何もしてくれなかったのに。挙句の果てに、私を見るとバツの悪そうな顔をする大人たち。


もう、誰にも期待しない。


ノートを抱きしめて、教室を飛び出す。耳の奥にクラスメイトの嘲笑だけが、いつまでも残響して消えない。


よく前を見ず闇雲に走っていたせいか、誰かとぶつかってしまった。


「おっと、お嬢さん大丈夫ですかい――って。泣いてるのに、大丈夫なわけねぇな」


私は、はじめて泣いている事に気がついた。無我夢中で、全然気づかなかった。一言謝ろうとすると、その人はそれを制止する。


「よかったらオレに話してくださいよ」


「でも……!」


「大したことないは無しで。あんたが泣いてるのに、そんなわけねぇでしょうが」




見た目は軽そうなのに、その人はどこまでも穏やかな口調だった。





――おばあちゃんみたいな、心の人だ。






9/2/2022, 11:12:39 AM

お題《心の灯火》


俺の心に月をくれたのは、お前だ。


俺にとっての道標は、今も昔も月(おまえ)だよ。





わたしが?



目線を合わせ、やさしい声音で語りかける夜を纏う青年。



わたしが……。



青年の深い青の瞳が少女を慈しむように見つめる。青年は神代(かみしろ)と呼ばれる、《神の代行者》。


神に代わって、神の意思として――。



「君はもっと泣いていいし、俺を頼っていい」


「……でも。私は狭間の……」


「そんなの関係ない。君であるなら、俺は何者でもかまわない」





これ以上何を望むだろう。






私はこのとき誓った。――あなたをもう、悲しませたりしないって。




9/1/2022, 11:36:56 AM

お題《開けないLINE》


《時薬》などという言葉があるけれど。


いつまでたっても私はLINEを開けることができない。



「あやかのすすめてくれた本面白かった! またすすめてよ」



あの木漏れ日さす声が忘れられない。


電話で明け方までよく話したよね。
――あなたは私に、やさしすぎた。



誕生日おめでとうのスタンプと、プレゼント楽しみにしててというメッセージ。
――仕事の休み時間。明日は彼の好きなお酒とおつまみ買って。




でももう、LINEは開かない。



今宵も私を照らす月。



あっけなく彼は旅立ってしまった。
――もう、車は見たくない。

お酒も見たくない。






――世の中狂ってるのよ。





私は今日もひとりきり、静かに涙を流す。




8/31/2022, 11:29:40 AM

お題《不完全な僕》


欠けたものと欠けたものを繋ぎ合わせて、本物になればいい



不完全な僕はもういらない


不完全な僕を燃やして




燃え尽きた僕を嘲笑う





凍てついた月が冷たい眼差しで見下ろす





8/29/2022, 11:46:01 AM

お題《言葉はいらない、ただ…》



青い月の夜には不思議なことが起きる。



夜風が心地いい。


少女は大きなあくびをし、それから本を閉じる。とある先輩にあたる青年から「読んでおけ。明日、本当に覚えてるか確認する」の一言だけを言い残して、どこかへ消えてしまったが。



「今日暑いな―。せっかくだからあそこへ行っちゃおう」



部屋を抜け出し、夜の森へ繰り出す。ランプなどなくても、瞳に魔法をかけているから問題はない。


森の奥深くへたどり着く――その前に羽織っていた外套をすでに脱ぎ捨てて、泉で水浴びしようと飛び出したのはいい、しかしそこにいたのは例の青年だった。



「――お前」


青年は肌を露出した、薄手の衣一枚の少女を見、ため息をつく。



「なんでため息!?」

「いや、男として見られてないんだなって思って」


黒銀の髪が月灯りで輝くその様は、幻想的で綺麗だ。まだ濡れている髪からしたたる雫に、心が大きく音をたてる。


いつもと変わらない口調。それにむっとして、思わず言い返す。


「ヨルなんてぜーんぜん、男に見えないよ!」


「……」



その瞳が燃えていように、見えたのは気のせい――?



でもそれは気のせいじゃなかった。青い泉に引きずり込まれ、二人一緒にずぶ濡れになってしまう。少女が何かを言おうとするより先に、そのまま唇をふさがれてしまった。




青年から香る月華晶の花に酔ってしまいそうになる。ふわふわして、心地よい浮遊に。





青い月の夜の出来事だった。




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