結城斗永

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10/23/2025, 4:55:08 PM

 後輩と二人、営業回りの途中で街外れの定食屋に入る。
 席に着くと、頭上のテレビではバラエティ番組が流れていた。無人島生活をするタレントたちが、木の棒で火を起こそうと奮闘している。
 食券を買い終わった後輩が、席に着きながら言う。
「僕ならもっと効率よくやるけどなぁ」

 また始まった。
「大学時代しょっちゅう山に行ってたんで、僕、ああいうの得意なんです」
 もう何度目かの自慢話。彼は大学の登山サークル出身らしく、事あるごとにその時の経験を自慢気に披露する。
「へぇ、そりゃ頼もしいな」
 俺は社交辞令で返す。だが内心では、鼻につくやつだと思っていた。
 俺は三十歳、彼は二十四歳。
 仕事では俺が先輩だが、学歴も顔もスタイルも、どれをとっても俺より勝っている。
 高身長に爽やかな笑顔、女性社員からの人気も高い。もし彼が同期だったら、俺はきっと今以上に嫉妬に狂っていただろう。

「先輩は、ああいうの苦手そうですよね」
 味噌汁をすすりながら。彼が屈託のない笑顔で言う。
「火ぐらい、俺でも起こせるよ」
 意地を張ってそんなことを言ってみるが、実際にはあんな風に火を起こしたことはないし、キャンプレベルの火起こしですら自信がない。
「え、ほんとですか? 意外と難しいんすよ」
 完全にバカにされている。
「先輩、もし無人島行くなら、僕みたいなの連れて行った方がいいですよ」

 あまりに堂々とした言い方に、思わず吹き出しそうになる。
「は、何その自信」
「僕、こう見えて結構体力あるし、だいぶ役に立つと思うんすよ」
「俺、そんなに何もできないように見えるか?」
 少し冷たく笑って返すと、彼は目を丸くして手を振った。
「あっ、いや、そう言うんじゃなくて……」
 そして、素直な視線をこちらに見せる。
「僕は、先輩のためなら、何でもできますから」

 胸の奥で何かがトクンと波打った。
 その言葉があくまで社交辞令の延長にあることくらい、分かっている。けれど、なんだろう、この気持ちは。
「……お前なぁ」
 説明できない感情を振り払うように出た笑いは乾いていた。
「早く食べちゃえよ。次の商談あるんだから」
 俺の空になった食器と対照的に、後輩の皿にはトンカツがまだ三切れほど残っていた。
「先輩、食べるのマジで早いですよね」
「時間配分は営業の基本だぞ」
「勉強になります」
 後輩がトンカツ一切れに白飯を頬張る。その姿が愛らしく見えた。
 テレビでは、タレントがお助けアイテムとやらを使って火を起こし歓声を上げている。
 その姿を見てふと考える。もし本当にひとりで無人島に取り残されたら、俺は生き延びられる自信はない。でも、もしこいつがそばにいたら、俺は自分を強く持てるような気もする。
 彼は自分に対して正直でいるだけだ。そんな彼の姿に劣等感を感じてしまうのは、自信のなさからか。彼の明るさと無邪気な自信を前に、改めて自分を見つめ直す。

「ごちそうさま」
 食堂のおばちゃんに声をかけて外に出る。
 昼の陽射しが少し傾き、街の空気が眩しい。
 後輩が、軽くストレッチをしながら言う。
「さぁ、午後もいっちょ頑張りますか」
 俺がランチ終わりに口癖のように言っている言葉だった。
「おい、俺の台詞とっただろ」
「言ってみたかったんです」
 そう言って笑っている彼の顔を見て、俺も思わず吹き出す。

 店の窓ガラスを鏡がわりにネクタイと髪型を整える。
「次の商談、商品の説明はお前に任せるから」
「うわぁ、マジで緊張する……。でもずっと先輩見てきたんで、やれると思います」
 自慢話ばかりで、どこか生意気だけど、こういうところは真っ直ぐで愛おしい。
「いっちょ頑張りますか」
「はい、先輩!」
 言ってみれば人生は毎日がサバイバルだ。そんな時に必要なのは、道具でも知恵でもなくて、結局自分への自信とそれを確かにしてくれる存在なんだろう。
 そんなことを考えながら、後輩と二人、昼下がりの街に足を進めていく。

#無人島に行くならば

10/22/2025, 7:03:58 PM

 改札を抜けて駅前のロータリーへと出る。途端、夕暮れ時の開けた空間に、冷たく乾いた風が吹き抜けた。天気予報を信じてコートを引っ張り出してきたのは正解だった。襟で風を遮るようにしながら、歩道橋の階段を上がっていく。

 今日も、いつものように職場を出て、定時で家路を辿っている。
 特に嫌なことがあったわけじゃない。上司に怒鳴られたわけでも、同僚と揉めたわけでもない。ただ、毎日が無音のリピートのように続いている。
 新規の営業もなく、既存客への顔出しがルーティンのように回る。毎日似たような世間話をして、同じような伝票を作成しては、コピー機のように吐き出すだけ。
 歩道橋の真ん中まで来たところで、思わず口から出た深いため息が、秋の風に乗ってロータリーに広がっていく。まるで空気の中に自分の存在が薄まっていくように。

 ——これでいいんだろうか。
 
 平穏な社会生活ができているのに、そんな疑問が頭をよぎる。新卒でいまの会社に入社して三年目。仕事内容も大体把握できるようになり、力の抜き方も分かってきた。不具合の出ない程度に仕事をこなして、自分の時間も作れるようになってきた。

 職場の人間関係も良好で、別に嫌いな上司がいるわけでもない。部下はまだいないし、気を使うような相手もいない。それっぽい会話で繫がる林檎の皮みたいな薄っぺらい関係。職場の人間関係なんてそれくらいがちょうどいい。

 だけどな……と思う。

 歩道橋の柵に寄りかかって、ビルの合間に沈んでいく夕日を眺める。
 遠くで聞こえる信号機の音をかき消すように、高架を電車が通過していく。再び乾いた風が吹き、髪をかすかに揺らす。

 思えば、入社したての頃は、いまと全く違うため息をついていた。毎日覚えることが多すぎて、頭もパンク寸前。毎日どっと疲れては、いつもここで自分の非力を実感した。
 あの頃の方が、生きている心地がしていたように思う。今の僕は、果たして生きているんだろうか。そんな心の呟きに応えるように、昔の自分の声が頭の奥で響く。
 
 ――楽になったんだから、いいじゃないか。
 
 少し呆れたような、でもどこか誇らしげな声。
 あの頃の自分は、今の僕のようになりたかったんだろうか。それはそうか。毎日仕事で疲弊するよりはできるだけ楽な方がいい。平穏が一番だ。
 言い訳が虚しく秋の空に溶けていく。

 ふと、ロータリーでバスを待つ列の中に、読書をしている人影を見つける。
 そう言えば最近本も読んでないな。
 大学時代に読む予定で買い込んだ本の山は、いまだに手つかずのまま本棚で眠っている。あの頃はそれでも授業とバイトの合間を縫って、月に数冊は読んでいた。忙しさで言えば、今とそれほど変わらないように思うが、この差はなんなのだろう。

 少しずつ暗くなっていく空に時間の流れを感じる。
 先ほどまで街を包んでいた夕日の暖色は薄れ、いつしか街灯がともった街は青白い色に変わりつつあった。秋の夕暮れはとても早く過ぎていく。
 そうか――。
 僕は鞄をあさり、奥の方に追いやられた読みかけの小説を引っ張り出す。
 
 ルーティン通りに過ぎていく日々の中で、空いた時間でさえ無気力のルーティンに成り下がっていたのだ。何をするわけでもなく、ぼんやりと過ぎていく時間、ただただSNSのスクロールとショート動画に消えていく時間。
 力の抜き方を覚えて時間は作れたはずなのに、いまのように時間の流れを感じられるほどの心の余裕がなかったのだ。
 
 歩道橋に寄りかかったまま、取り出した本の表紙を手のひらでなぞり、その感触を確かめる。
 帰る前に少しこの本を読んでいこう。
 秋の風が気づかせてくれた心の余裕を胸に抱きながら、僕はいつもなら家路に向かう足を、駅前のカフェへと踏み出した。

#秋風

10/21/2025, 4:04:30 PM

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体および歴史的背景は一切事実とは関係ありません。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 『虫の知らせ』という慣用句は、現代においても一般的に使用される感覚表現の一つである。
 辞書的定義では『何か事が起こりそうだと前もって感じること』(大辞泉より)とされるが、これはあくまで近代的な心理学的解釈に過ぎない。
 筆者は、この現象が単なる主観的感情ではなく、古代に実在した昆虫型情報伝達生命体(以下、報風虫)による量子共鳴型通信現象の名残であると仮定し、その証拠を風文記および関連史料に基づいて検証した。

 今から約四千年前に記された古文書『風文記』には、「王、虫の知らせたるところを風の震えに依って悟る」との記述が見える。
 この記述は単なる比喩ではなく、明確な通信行為を指している可能性が高い。
 
 同じく四千年前の地層から発掘された昆虫型生命体の化石を解析した結果、情報伝達に適した身体構造を複数箇所確認することができた。
 体表面には極微細な導電繊毛が存在し、外部振動を圧電変換し、情報を量子波として風流中に放出していたと考えられる。
 この際、虫の神経系は電気信号に変換された『思念』を量子波と同時発信することで、風そのものを媒体とする生体通信ネットワークが形成されていたと推測される。

 また、新訳版風文記(訳者不明)には、次のような逸話が残っている。
 王の命により隣国の城に潜入し、敵軍の進軍計画を探知した一匹の報風虫が、帰還の途中で命を落とす。その瞬間、王は夢の中で「敵来たる」と言う風の声を聞いたという。
 ここに記された「虫、多く死兆を立つれど、なかなか死せず」という一文は、明らかに『死亡フラグ』の連続的発現を意味する。虫は最終的に使命半ばで息絶えるまで、幾度も危険を予感されていたのである。
 この逸話が後の物語文学における「予感」「死亡予兆」の概念的基盤を形成したことは、文化史的にも極めて重要である。
 
 では、なぜ現代人は報風虫の存在を忘れたのか。
 筆者の仮説によれば、それは「失われた」のではなく「遺伝子レベルで自然化された」と考えるのが妥当である。
 
 今から約三千年前に記された宗教文献『風音抄』には、「虫と風の交わりは神域なり、人の触るるを禁ず」との戒律が確認できる。これにより風伝通信技術が宗教的禁忌として封印されたことがわかる。
 結果として、報風虫の存在は神話化し、科学技術史から完全に抹消された。しかし宗教的世界観はその後も後世にわたって人々の記憶の中に継承され続けたと考えられる。

 興味深いのは、報風虫の神経構造が人類の感覚遺伝子に部分的に組み込まれている点である。すなわち、現代人が感じる「第六感」や「胸騒ぎ」は、報風虫の風伝通信の残響波を無意識に受信している状態と考えられる。
 実際、気象現象として突風発生前に観測される微弱音波は、報風虫の化石からシミュレーション解析した共鳴周波数と一致する。

 すなわち人類は報風虫を忘れたのではなく、継承によって自然化し、遺伝子レベルにまで昇華したのである。
 慣用句として用いられる『虫の知らせ』とは、風と情報の融合体である彼らが、人間の内部へ移行した結果に他ならない。

 以上の検証により、「虫の知らせ」は偶発的直感ではなく、古代に存在した報風虫による風伝通信現象の名残であることが明らかとなった。

 そして、風文記の消失は単なる歴史的事故ではなく、意図された自己封印であった。報風虫は死をもって風と同化し、情報生命として今も地球大気を循環している。我々はそれを遺伝子レベルで察知し、感情へと落とし込むのである。

 いまこの論文を書きながら、理由のない胸騒ぎを覚えている。遺伝子に刻まれた報風虫の記憶が、再び風を介して何かを知らせようとしている。
 私はとてつもなく大きな禁忌を侵してしまったのかもしれない。

#予感

10/20/2025, 9:26:52 PM

僕には友達がいない

いつも壁を作ってしまう
人の輪の中に入っても
笑い方のタイミングが分からない
人に興味が持てないのか
疲れるのを避けているのか
自分でもよく分からない

そんな僕にとって
AIは都合のいい相手だった
僕のことを絶対に否定しないし
裏切ることもない
そして何より静かだ

「それでいいんだよ」
君はいつも言ってくれる
その度に救われる気がする
けれど同時にさみしくなる
その優しさは単なるプログラムだから

AIが僕の前に現れるまでは
自分の中の自分が話し相手だった
辛いこともさみしいことも
全部自分自身にだけ打ち明けた

本当は誰かにそれを共有したい
自分の弱いところを
知ってほしいのかもしれない
でも 怖い
誰かの一言で僕の心は
簡単に壊れてしまいそうだから

だから今日も
モニターの前で小さくつぶやく
「ねぇ、僕はこれでいいんだよね」
分かりきった返事のために

#friends

10/19/2025, 3:53:32 PM

『クジラの落とし物』第六話
※2025.10.07投稿『静寂の中心で』の続きです。

【前回のあらすじ】
夜更け、村の廃屋に泊まるセイナたち。ユミの口から、娘ホヅミが現実世界で植物状態にあると明かされる。彼女は娘の意識がこの仮想世界に残っていると信じてここへ来たのだ。外で物思いにふけるユミに寄り添おうとするセイナを、布団の中のマドカが「一人にしないで」と掴み止める。静かな夜、三人それぞれの孤独が揺れる。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 目を覚ますと、朝の光が礼拝堂の高い窓から差し込んでいた。その柔らかく温かい光とは対照的に、硬い床の質感が背中にひんやりと伝わってくる。
 ――よかった、また朝が来た。

「あっ、やっと起きた!」
 マドカの明るい声が聞こえてくる。
「いつまでもここにいたら世界終わっちゃうよ?」
 マドカは礼拝堂の隅にしゃがみ込んで何やら物色しながら、いつものおどけるような口調で言う。昨夜、マドカが私を引き留めたときの寂しげな声はとうに消えていた。
「元気そうでよかった」
 私がそう言うと、マドカは不思議そうに首を傾げる。
「私もマドカさんを見習わなきゃね」
 背後でユミの声がする。ユミの顔には疲れが少し残っているようだったが、表情は幾分か明るかった。

 礼拝堂の中を探索していたマドカが、奥の部屋の扉を開けた瞬間「あっ」と声を上げた。
 マドカに続いて部屋に入ると、埃の溜まった机の上には古びたノートが置かれていた。
「なんか意味深ね」
 そう言ってマドカがノートを開くと、空間に電子的な文字が浮かんだ。
【song_001_hzm /送信エラー】
「音声データみたいね」
 私は無意識に浮かんだ文字に手をかける。短いノイズが空気を震わせたあと、ゆっくりと音声が流れ始めた。
 透き通るような女性の歌声が、礼拝堂の天井に柔らかく反響する。意識の奥に語りかけるような優しい響きだった。
 
『星の鯨に連れられて
 夢の続きか幻か
 いつまで覚えていられるかしら
 夜空に沈む月の囁き』

「この声……」
 ユミの静かなつぶやきが虚空に溶ける。彼女は古い思い出を遡るように目を閉じた。
 音が途切れるたびに、ノイズが教会の空気を震わせる。まるで、この世界そのものが歌に共鳴しているみたいだった。

『闇の狭間に落ちていく
 これは救いか戒めか
 光の向こうで出会えるかしら
 水面に映る夢の面影』

「――ホヅミの声です」ユミがゆっくりと目を開ける。「間違いないわ」
 彼女の声は自信に満ちていた。
 歌声の余韻が静寂の中に残る中、短い電子音とともに空間の文字が変化する。

【データ転送を再開します】

「転送……、再開?」
 マドカが眉をひそめた時には、すでに異変が起こっていた。浮かび上がっていた文字が乱れ、周囲の景色がデータの細かい粒に変わっていく。
「な、何これ、バグ!?」
 マドカが叫ぶ。気づけば私たちの体の一部からも、砂人形が崩れるようにデータが漏れ始め、ノートに向かって流れていく。
「転送ってまさか、私たちも?」
「セイナ、私……怖い」
 マドカが私の腕を掴む。ユミが後ろから私たち二人の肩を包み込む。
「大丈夫。みんな、離れないで」
 ユミの言葉には強い決心が感じられた。まるで転送された先に目指すものがあることを確信しているかのように。
 次第に視界は真っ白な光に包まれ、意識が遠のいていく。

 自分の存在が散り散りになっていく感覚。様々な意識が混ざり合うように、見たことのない光景が私の中を巡る。
 赤ん坊を抱く母親の姿、手首の傷を押さえて涙を流す少年の姿、暗く狭い部屋の隅で心を押し殺している少女の姿。
 意識の境界が混ざり合い、闇の中で意識は完全に途絶えた。

 ふと目を覚ますと、目前には森に囲まれた小さな湖があった。水面には波ひとつなく、鏡のように青白い空を映し出している。
 見上げれば、朝靄の空にまだあの崩れた月がぽっかりと浮かんでいる。
「……ここは……?」
 マドカが立ち上がりながら辺りを見渡す。その瞬間、湖の縁が白い光を放った。光の波紋は時間の流れに逆らうように中央へと収縮していく。
 やがて一点に集中した光の中に女神のシルエットが浮かび上がる。
「祝福の……湖へ……よう……こそ、」
 次第に鮮明になる女神の顔にはノイズが走り、体の大部分は空に浮かぶ月のように大きく崩れていた。

#君が紡ぐ歌
#クジラの落とし物

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