綾木

Open App
5/4/2024, 3:07:50 PM

2024 5/5(日)

呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。
        ※夏目漱石 [吾輩は猫である]より

生きるのが上手なあの方も、
誰にでもやさしいあの人も、
いっつも無邪気なあの子も、
きっとどこかで悩んでいる。

心の声に耳を澄ますだけじゃだめ。
想像で終わらせないで。
きちんと言葉にしないと。
それが救いとなるならば。

「僕で良かったら、話ききますよ」

#20 耳を澄ますと


5/4/2024, 12:08:53 AM

2024 5/4(土) 短編小説 約3690文字

私はベッドから下りて、開けたカーテンをタッセルで留めた。
空を見上げると、大袈裟な感想を抱くほどの良い天気が現れて、私はパジャマのまま、朝の新鮮な空気を吸いにベランダに出る。肺いっぱいに綺麗な空気を入れて、息を吐く。暫くその動作を繰り返す。
特に理由もなく、いいお天気だなあ――と呟いてみた。いや、理由もなく、とは言ったが、憂鬱な朝もこうしてポジティブなことを呟くと、心做しか心も晴れる気がする。
先月までは三月なこともあって、寒かったけれど今では時がいきなり加速したかのように朝も夜も暖かくなった。今年も春が来て、綺麗な桜が咲くのだなあと思うと同時に、今日は気分が落ち込む。胸の苦しみを忘れるために、また私は、大きく息を吸った。

陽射しを浴びながら、うーんと背伸びをしてみる。それから何気なく左手を見る。正確には、そこに嵌めたリングを意識する。
ルビーのように綺麗な紅の石が目立つ銀のリングは、親友が私の誕生日プレゼントにくれたものだ。
私はリングに軽く口付けをして、それからまた背伸びをした。目も覚めたことだし、そろそろ朝ごはんを食べることにしよう。
私は部屋に戻り、キッチンへと向かった。


朝食を食べて、着替えをして、家を出る頃にはもう9時前になっていた。
私が住んでいるのは、こぢんまりとしたアパートだ。一人暮らしをするには少し大きいけれど、このくらいの広さがちょうどいい。部屋は二部屋あるし、お風呂とトイレは別だし、おまけにベランダまでついているのだから文句はない。

黒色のスニーカーを履いて、重たい玄関の扉を開ける。数時間前よりもさらに太陽が照っていた。気温は20度だ。
アパートの階段を下りると、マネージャーが車に乗り込もうとしているのが見えた。
ポケットに何か四角いものを閉まっているように見えたから、きっと私を待つ間に煙草でも吸っていたのだろう。
「あ、おはよ、美奈子ちゃん」
私に気付いたマネージャーが手を挙げる。私も「おはようございます」と挨拶を返した。
「よく寝れた?」
「はい、充分に」
私は助手席に乗り込む。シートベルトを締めたのを確認してから、マネージャーは車を発進させた。
事前に渡されていた台本を鞄から出して、読む。内容は理解していたが、一応最終確認だ。台本と、窓の外の流れゆく景色を交互に見ていると、マネージャーが沈黙を破った。
「今日で1年目、ですね」
私は、思わずマネージャーを睨みつけようかと思った。しかし、悪気はなさそうなので、ぐっと堪えた。
そう。1年だ。今日で、親友が亡くなってから。
「あ、あ、ごめんなさい。言わない方が良かったですか」
黙り込んでいると、マネージャーが気を利かせたのか、慌ててそう言葉にした。
「いえ、大丈夫です。こちらこそすみません」
私は首を振って、台本を閉じた。そして窓の外を見ながら、ふと想う。
私の親友は、1年前の4月5日に死んだ。自殺だったそうだ。
死因は飛び降り自殺だと聞いているが、詳しいことは聞かされていない。彼女は遺書を残していたらしく、その遺書にはこう綴られていたらしい。
〝私はもう生きたくないです〟と一言――。遺書すらも、警察は見せてはくれなかった。親友であり、共に人生を歩んでゆく芸人のコンビだというのに。
その日から、私はずっとこの一年間が曖昧だ。薄っぺら。紙切れみたいに。それなりに、仕事は頑張っているけれど、日常生活は、不透明なほどつまらない。
ただ、彼女の葬式の日だけは強く覚えている。泣き崩れている人がたくさんいて、みんな彼女の死を悲しんでいた。彼女は人を笑わせるのが好きだった。なのに、どうして?
「……泣かせてるじゃん、泣かせんなよ、失格だよ、三玖、」

彼女は、誰からでも愛される人気者だった。
「今日のバラエティーは調子でそうですか」
「…はい、できるとこまで頑張ります」
私はマネージャーに笑顔を向けた。車が止まって、目的地に着いたことを知る。私の顔色は気になるだろうが、マネージャーもプロである。何も触れないでいてくれるのがありがたかった。
”芸人とタレントが意気投合しすぎたせいで収拾がつかなくなりました”とか何とか言うバラエティ番組からオファーが来ていて、今日はその番組の撮影だった。
「よろしくお願いします」出演者達に控え室で挨拶を交わし、スタッフ達と共に打ち合わせをした。その後、昼食をスタッフさんと食べ、午後のためにエネルギーを溜めた。


「では本番、5秒前、4、3……」とスタッフの声がスタジオに響いて、私は大きく息を吸った。
「どうも〜! 司会者の渡辺です! そして今日はスペシャルなゲストがいます!」
司会者がそう言ってカメラが横にパンすると、私の姿が画面に映った。
「どうも、美奈子です」
私は笑顔で挨拶をした。それからも順調に番組は進行していき、何個かのコーナーを経て、5時間に渡る撮影が終了した。笑いも取れたし、概ね上出来だったと思う。スタッフさん達が撤収作業を進める中、私は共演したタレントさんや芸人さんに挨拶をした。
「美奈子さん」
「はい?」
後ろから声をかけられて振り返ると、そこには男性が立っていた。芸人であり、先輩の、譜同さんだった。
「もう1年経つんですね」
「ああ、そうですね」
私は少し間を置いてから答えた。
「まだ若いのに、可哀想ですよね。僕だったら耐えられませんよ」
譜同さんは眉を顰めながら言う。
「可哀想もなにも、あの選択はきっと彼女なりの幸せだったので、私は何も言えませんよ」
私が素っ気なく言うと、譜同さんは小さく「そうか……」と呟いた。そして一度咳払いをしてから口を開いた。
「実は、俺、三玖ちゃんが死ぬ前、三玖ちゃんにご飯誘われたんだ」
譜同さんは少し言いづらそうに、言った。私は「えっ?」と思わず聞き返してしまった。
「うん。それで、その時に”もし私が自殺するって言ったらどうします?”って聞かれたんだ。その時、俺どうにかできた気がして。俺は、お前どうせそんなことする勇気もないくせにって、冗談に捉えて笑っちゃったんだよ。あいつ、表では絶対笑顔って決めてたのかな。悩んでたんなら、もっと早く言えって感じ、。今更言っても、もう無理だけどな」
「そうだったんですね……知りませんでした……」
私は驚きのあまり何も言えずにいると、譜同さんはハハと渇いた笑いを漏らした。
「その時、約束されたんですよ」
「約束?」
私は首を傾げる。
「私が死んだ1年後に、これを渡せって。……渡すのは100年後になると思ってました。、俺、あの子の人生変えれたかもしれんかったのに……」
「……譜同さんは思い悩まないでください。全部あの子が悪いですから。いや、悪くは無いですけど」
勝手に死んで、迷惑かけて。ほんとに、芸人失格だ。
私は恐る恐る手紙を受け取って、一文字一文字を無駄にしないよう、丁寧に丁寧にゆっくりと読み進めていく。
「拝啓 愛する相方、親友、美奈子へ。
この手紙を見たってことは、もう私はこの世にはいません。どうか泣かないで。今日私は、死ぬ決意をしました。これは、遺書じゃなくて手紙です。
奈美子に手紙を直接渡すのは、死をネタバレしてるみたいで恥ずかしくて、譜同さんに頼んでみました。譜同さんなら、しっかりしてるので渡すの忘れないでしょうから。今日は4月5日。元気?奈美子。私は、きっと元気です。天国で幸せです。売れた?立派な芸人になってる?てか、続けてる?私のこと大好きだから、そもそもピン芸人なんかやってないかもね笑。でも、奈美子は私よりもお笑いの方が好きでしょ?奈美子なら絶対、スターになれる。だから、どうか続けて。私は、今日死にます。理由は、人生に疲れたからです。売れないからじゃないです。もっと、私個人の悩みがあるの。そこは、想像におまかせします。奈美子は関係ないから、絶対悩まないで。親友からの、約束。奈美子の前では泣きたくなかった。ずっと、実は辛い気持ちを押し殺してました。だから、最後まで泣かなかったよ。奈美子、ほんとに大好き。
私は、1つ言いたいことがあります。それは、「死ぬ」という選択肢を、簡単に選んでしまったことへの謝罪です。この選択をしてしまったことは本当に申し訳ないと思ってますし、後悔もしてる。でも、幸せの道はこれしかないと思いました。ねえ、奈美子。私ね、きっと生きてちゃいけないんだよ。貴女と会う前の私は、ゴミだった。けど、奈美子と会ってからは違う。2人してなにも無い状態から始まったのに、何故か知らないけどバカみたいなお笑い大好き人間で、あとは器用貧乏みたいな存在で。貴方と生きてるのが楽しかった。でも、ごめんなさい。どうしても、辛い気持ちは変わらなかったの。もう一度言うね、奈美子は関係ないよ。だからどうか、自分を責めないで。今までありがとう。
最後に、ずるいお願いをしてもいい?
これは、二人だけの秘密、そして約束なんだけど。。私、同性愛者なんだ。数十年後天国であったら、結婚して。もちろん、誕生日に渡した指輪、忘れないでね。忘れたら、さあどうなるだろうね、笑
敬具、愛しい美奈子へ。」


私は、言葉が出なかった。譜同さんは、立ち尽くし喋ることも出来ない、苦しいほど息が上がっている私の背中を優しくさする。
「素敵な方ですね」
「……当たり前……、でっす、よ」
私が息をつまらせながら答えると、譜同さんはまた、「素敵です」と言った。
三玖、聞こえてますか。今きてるピン芸人として、ランキング1位ですよ。
あんたがいなくても私出来る子なんですからね!
私も好きだよ。秘密、知ってたよ。そうだと思ってた。いつかしようね。

私は、涙でより輝いてみえる、
嵌めた指輪を、優しく撫でた。

#19 二人だけの秘密

5/3/2024, 9:32:30 AM

2024 5/2(金) 短編小説

ステージに立ったらマイク一本で勝負だ。
相手がこいつだからって俺は一切手加減しない。ラップバトルというのはそういうものだ。いくらこいつを前にしても、俺のその概念を、壊すことはできなかった。
djのジュクジュク、というスクラッチ音をスタートに、ビートが流れ出す。
ビートを聴いたお客さんが次々と沸き出して、その波がライブハウスを揺らしているように感じた。
ふと、体を音に乗せて揺らす彼と目が合った。多分、こいつと俺は今、同じことを思っていると思う。このビート懐かしい。な?そうだろ相棒。ビートが止んで、あたりはしんと静かになった。
8小節4ターンが、短く思えるほど語りたいことがあるけれど、今は一旦その気持ちを置いとかなければならない。俺はひとまずジャンケンをして、先行を選んだ。
「では行きます」司会者の合図で、再びビートのスクラッチが流れる。俺は息を大きく吸った。その時、マイクを持つ右手が酷く震えていた。
「ステージの上にあがりゃプロップス で圧勝俺の圧倒的ステータス 見りゃわかるだろ 俺の方が売れている 今日はフローもあなたに贈る」
俺は1バース目を難なく歌い上げた。こいつは今にも泣き出しそうな顔をしていて、必死に堪えているのがわかった。今は、そんな場合じゃないだろ。
いよいよこいつの番だ。俺はなんだか自分のターンでもないのに緊張してしまう。自分の鼓動がマイクに入らないように祈った。
「今日はフローをあなたに贈る? いつも送っとけ トライアングル お前の横に俺いるってことは それはすなわちレベルが高いってこと これからバトル出てくんなら覚えとけ これアナウンス」


あっという間に、バトルが終わった。
勝者なんて、どっちでもいい、なんてことは無い。ラップを愛しているから、そこは譲れない。俺は勝ちたかった。
それなのに、だ。
観客はあいつに沸いて、あいつが勝利した。
2人でステージを降りて、控え室に戻った。実に、5年振りの再開だった。
「……有名なったな、お互いに」
俺はこいつに話しかけた。なんだか久しぶりで少し恥ずかしくて、目は合わせなかった。
「だな。でも俺は最初からなれると思ってたよ。日本は狭いからな」
「あはは、バカにしすぎやそれ」
昔から変わらない声と、彼の冗談。変わったのはスキルだけかと、俺は少し安心する。
「俺とのバトル、どうやった?俺は悟に負けて悔しいわ」
「昔なら、ガチでやり合っただろうけどな」
「あははっそれ、今日本気出さんで俺負けたんかよ」
俺はこいつを土俵に引きずり出そうかと思った。勿論冗談だけど。
沈黙が流れて、間を埋めるように俺は麦茶を1口飲んだ。悟も真似するかのように水を飲む。
俺は、こいつにずっと言いたかったことを言わなければと思った。
「ビートのこと」
ふと、脈絡もなく俺は口にしていた。一瞬言い直そうかと思ったが、この1文だけで通じるくらいの親友だったから、きっと大丈夫。
「ああ、懐かしいね。俺が泣いて、お前がメンヘラなったの覚えてる」
「いやあれは俺悪くないやろ」
そう、あれは俺のせいじゃない。俺のせいではない。もう会わないだなんて言う悟が悪かった。
あれは5年前のこと。15歳で、俺らが当時高校1年生の時の話だ。
4月、クラスでひとりぼっちだった俺に話しかけてくれた悟とは、共通の趣味があった。それはラップで、俺らはラップを通して仲良くなった。俺はラップが好きだった。それはあいつも同じくらい好きだったと思う。
ラップを語れる相手なんて身近にそんな居なかった。だからだと思う。
俺らは軽い気持ちで2人きりの、ヒップホップチームを組んだりして、よく公園でバトルをしたものだった。
でも、悲劇は突然訪れた。
高1の夏、彼は突然ラップを辞めた。
俺はそれがショックで、しばらく学校を休んだし、飯も食わなかった。それくらい悟は俺にとって大きな存在だったし、彼のいない生活なんて考えられなかった。
そのくらい仲が良かったから、俺は彼に理由を尋ねた。
「ねえ、なんで辞めるの」
重い雰囲気。その質問に彼は目を逸らした。しかし、悟はきちんと説明してくれた。良い奴だから。親の仕事の関係で引っ越しをしなくちゃいけなくなったこと、親のラーメン屋を継がなくてはならなくて、ラップの時間を取れず、もうできないこと。俺と離れるのが嫌で言えなくて、ずっと不安だったこと。
その時のことは今でもはっきりと覚えている。でも仕方なくて、そんなの呪うことさえできないものだと思って泣くしかなかった。
悟が引っ越す1日前、俺達は約束をした。最後に1回だけ、ラップバトルをしよう。と。
スクラッチの音が流れる。ジュクジュク。
――お前の才能には負けるよ こんなにも愛されてるのに 俺はお前がいないと心から笑えないんだ ──彼は最後にそう、歌った。

その日は全くうまく言葉が出なかった。野次が耳にガンガン響いた。まるで、死刑宣告を受けたみたいに感じた。ラップバトルが終わったあと、僕はさらに辛い気持ちになっていた。もう彼とは、二度と一緒に語り合えないし、バトルもできないのかと。
「ねえ、辞めないでよ、ほんとにもう、会えないの?ラーメン食べたいよ、毎月会わせて」
「それはお前が金欠なるわ。会ったら色々辛くなるから会えない。親を恨んでしまいそう。だから会わないで。いい?もう俺、ラップはやらないから」
その時、彼の目頭に涙が浮かんでるのが見えた。俺は知っている。ほんとは、彼もまだラップを続けたいということ。その気持ちを押し殺して、明日彼は遠くの県へ引っ越す。好きなことも出来ないなんて。いや、悟はラーメンが嫌いかって言われたら絶対好きって答えるだろうけど。
俺は耐えられなくなって、やだ、と思わずメンヘラみたいに泣きじゃくった。
8月25日、僕の前から彼が消えた。



「後あれ、メンヘラじゃなくてラップに対する熱い気持ちだからな。勘違いしないで。いやあ、それにしてもびっくりだよ。まだ続けてくれてたんだね、ラーメンはどうしたんだよ」

「まあ、去年潰れたんだ。だから突然暇になってさ。また始めてみた。やっぱ諦めきれないもんだな、子供の頃からの夢ってのは。」
「えっ、まさか、」
俺が言いたいことが伝わったのだろう。
「そうだぞ。たった1年でここまで上り詰めたんだ。オマケにお前より100倍上手いラーメンも作れる」
「えっ、やめてよ。5年やってるのに今日の試合負けた俺がくそみたいじゃん」
「はは!まあでも俺は嬉しいよ」
悟が、俺の肩を叩いた。
「また会えてさ」
「おう」
俺も、と、彼の肩を軽く叩く。
この再会を祝して乾杯したいと思ったから、今夜は飲むことにした。
「悟、続けてくれてありがとう。対戦できて良かった。しかも引っ越す時にやったバトルのビートと、今日のビート、同じだったね」
「本当にな。俺も驚いてるわ」
お互いに顔を見合わせて笑った。
悟と久しぶりに話して分かったけれど、俺にとってこいつは相棒でも親友でもないんだなと思った。もっと概念的で、言葉で簡単に表現できない何かだと思う。やっぱりそれは、俺の人生に欠かせないものだし、俺の一部だと感じた。
「なあ、飲んだあと、公園寄って昔みたいにスマホのゴミ音響でラップバトルしようや」
「あははっ、それが世間で言うエモいってやつ?」
「さあ、しらね。容赦しねえからな?また俺が勝つ」
「いいよ、俺に優しくすんな。なんかうぜえから。ボコボコにしてもっと2人でスキル磨いてこう。ほら、お前の憧れのラッパーみたいにさ。俺らもラップ界の四天王と呼ばれるくらいに」
「だな、もっともっとやっていこうぜ!」
「おーっ!!!」
2人は勢いよく熱いハイタッチをした。手と手のパチン!という音がまるで、2人だけのスクラッチのようだった。

#18 優しくしないで

5/1/2024, 3:10:28 PM

2024 5/2(木)

いずれ混ざって
黒となる

だからさ、その前に
誰か私を塗り替えてよ

#17 カラフル

4/30/2024, 3:00:46 PM

2024 5/1(水) 短編小説



ここから先楽園です→

無音空間。冷たい鉄の壁。
暗闇の中を30分ほど歩いていると、ふとそう書かれた木製看板に出会った。
看板の横に、きっと「楽園」とやらの入口であろう、駅の改札のような緩いゲートがあった。
見る限りタップする箇所はなく、切符なども必要なさそうで、僕は手ぶらでそのゲートを通り抜けた。
すると、そこには老若男女問わず盛んな人集りが出来ていた。皆揃ってソファに座ったりしてくつろいでいる。

「いらっしゃいませ!紙をお預かり致します」
僕が大勢の人集りを呆然と眺めていると、明るい茶髪をした受付人と思わしき女性が笑顔で話しかけてきた。僕は思わずおどろく。
「っ!あ、すすみません、……紙?ですか?」
「はい。貴方様が右手に握っているものです」
そう言われて、右手を見ると確かに僕は紙を握っていた。でもどうしてだろう、こんなもの、貰った記憶が無い。
僕はおそるおそる紙を女性に渡した。
「ありがとうございます。それでは確認致します。理久さん、15歳、男性、死因は……。はい、条件合格になります。では貴方にぴったりの楽園へお連れ致しましょう」
確認作業が終わったようで、女性は丁寧に紙を僕に返してくれた。
_____って、それより、今、この女性、なんて言った?



女性に手招きをされたので僕は後をついていった。突然、女性は僕の左耳に口を近づけてこう言った。
─ようこそ楽園へ─
耳に響く。
直後、暗転。




美味しい匂いで、目が覚めた。のと同時に、何故か人間に顔を覗かれていた。僕は焦り、慌てて目を逸らす。
それが、彼との出逢いだった。
「あはは!なんで逸らすのさ。でも元気そうで良かった。今日からよろしくね」
僕と年齢はさほど変わらないだろうか。黒髪で、いかにも好青年という風貌の子にそう言われて、僕は取り敢えず、はあ、よろしくお願いします。と返事をした。
「あの、徹さん、聞きたいことが山ほどあって」
好青年の名前は徹といった。
「まず、どこですか?ここ」
「ええ!?君、ここがどこか分からないまま来たの!?」
と、あからさまに驚愕される。
そんなにおどろくことなのか?……というか僕的には僕の不可解な状況を今すぐ整理したいんだけど。
驚いた顔のまま固まる徹さん。
「……聞いてますか?徹さん?」
その言葉を聞いてか聞かずか、徹さんはふうとひとつ、息を吐くとこう言った。
「うーん、これは君を立派な赤子に育てるための儀式みたいなものかな」
……?
意味はさっぱり分からなかった。しかしともかく僕はおかしな立場に置かれたことだけ分かった。僕の身体全体に冷や汗が酷い。そして、周りの様子を確認するために首をきょろきょろさせている状況でやっと気付いたけど、どうやら僕は今彼と食卓を囲んでいるらしい。
まだ会ったばかりの彼と、同じテーブルに座って食事を取る図というのがそもそも不可思議なのではあるけれど。
今までスーパーの弁当くらいしか口にしてこなかった僕にとっては新鮮だった。母の味なんて知るものか。テーブルの上には実に美味そうな料理がずらりと並べてあるし、空腹もそろそろ限界に近かった。
僕がチキンを眺めていると、
徹さんはまた、ふうとひとつ息を吐いた。
……さっきから何なんだ、この人。
そして、徹さんが口を開いたと思うと、
異様な環境の意味を説明してくれた。
徹さんは真面目な声色でこう告げた。
「神様は、君や僕や、ここにいる皆みたいに、自ら死を選んでしまった子供を、ここ、つまりは「楽園」に連れていくんだ。そして、その子供を立派に育てる。それが神様から与えられた僕らの使命なんだよ」
徹さんの話によると、どうやらここは天国でも地獄でもないらしい。
この楽園は、自ら死を選んだ子供しか来ることが出来ない場所なんだそうだ。だから、僕は死んだんだと。その時気づいた。やっとこれまでの経緯を飲み込めたような気がした。
僕は何故か不思議と納得していた。というのも、あの夜、確かに。
どんどん、あの夜の記憶が蘇ってくる。
僕は7階のビルから。深夜3時に。あの受付の女性の言葉を思い出す。死因は__________。
「あはは、そんな暗い顔しないで。立派に育ったら僕らはまた生まれ直せるんだよ」
何も考えられないでいるぼくの脳に、彼の笑い声が針のように刺さった。僕は一言、 そうだねと呟いた。
長ったらしく話してごめんねと付け足して徹さんは料理を摘む箸を動かした。一通り説明を終えたのだろう。
僕もとりあえず目の前の美味しそうな料理に手をつけることにした。心が落ち着くかもしれない。まあ別に、死を悔やんではいないのだけれど。あくまで、まさか、天国でも地獄でもない場所にくるなんて、っていう驚きを落ち着かせるために。


暫く僕は美味しいご馳走を食べて、彼と談笑をする。彼は、学校でいじめを受けていたのだとか、食事中に相応しくない話をした。僕も彼に話す。
家庭環境が悪かったこと、スーパーの弁当しか食べたことがなくて、今感動していること。僕は昔から、辛さや苦しみのない楽園に憧れていた。
「じゃあ、ここの場所は君ピッタリだ」
徹さんは言った。
「……」


なぜだが、はいと言葉が出なかった。

楽園って、こういうものだっけか。
確かに、頬っぺをつねっても痛みはしないし、
美味しいご飯が目の前にあって、すぐそこには温泉が見えている。子供たちも多くて、話せる相手が沢山いる。
でも、僕が思っていた、楽園っていうのは、こんな感じだったっけか。
すっかり夢中になっていた僕はふと、徹さんに問い掛けられた。
「君は、親御さんのことを恨んでいるの?」
─ その瞬間、何故か鮮明に見えた気がしたんだ。……気味の悪い、両親のイメージが。

「別に、興味も何もない」
「そっか、君は、死でも、天国でも、楽園でも、なんでもなくて、両親からの愛が欲しかったんだね」

#17 楽園

Next