綾木

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2024 5/4(土) 短編小説 約3690文字

私はベッドから下りて、開けたカーテンをタッセルで留めた。
空を見上げると、大袈裟な感想を抱くほどの良い天気が現れて、私はパジャマのまま、朝の新鮮な空気を吸いにベランダに出る。肺いっぱいに綺麗な空気を入れて、息を吐く。暫くその動作を繰り返す。
特に理由もなく、いいお天気だなあ――と呟いてみた。いや、理由もなく、とは言ったが、憂鬱な朝もこうしてポジティブなことを呟くと、心做しか心も晴れる気がする。
先月までは三月なこともあって、寒かったけれど今では時がいきなり加速したかのように朝も夜も暖かくなった。今年も春が来て、綺麗な桜が咲くのだなあと思うと同時に、今日は気分が落ち込む。胸の苦しみを忘れるために、また私は、大きく息を吸った。

陽射しを浴びながら、うーんと背伸びをしてみる。それから何気なく左手を見る。正確には、そこに嵌めたリングを意識する。
ルビーのように綺麗な紅の石が目立つ銀のリングは、親友が私の誕生日プレゼントにくれたものだ。
私はリングに軽く口付けをして、それからまた背伸びをした。目も覚めたことだし、そろそろ朝ごはんを食べることにしよう。
私は部屋に戻り、キッチンへと向かった。


朝食を食べて、着替えをして、家を出る頃にはもう9時前になっていた。
私が住んでいるのは、こぢんまりとしたアパートだ。一人暮らしをするには少し大きいけれど、このくらいの広さがちょうどいい。部屋は二部屋あるし、お風呂とトイレは別だし、おまけにベランダまでついているのだから文句はない。

黒色のスニーカーを履いて、重たい玄関の扉を開ける。数時間前よりもさらに太陽が照っていた。気温は20度だ。
アパートの階段を下りると、マネージャーが車に乗り込もうとしているのが見えた。
ポケットに何か四角いものを閉まっているように見えたから、きっと私を待つ間に煙草でも吸っていたのだろう。
「あ、おはよ、美奈子ちゃん」
私に気付いたマネージャーが手を挙げる。私も「おはようございます」と挨拶を返した。
「よく寝れた?」
「はい、充分に」
私は助手席に乗り込む。シートベルトを締めたのを確認してから、マネージャーは車を発進させた。
事前に渡されていた台本を鞄から出して、読む。内容は理解していたが、一応最終確認だ。台本と、窓の外の流れゆく景色を交互に見ていると、マネージャーが沈黙を破った。
「今日で1年目、ですね」
私は、思わずマネージャーを睨みつけようかと思った。しかし、悪気はなさそうなので、ぐっと堪えた。
そう。1年だ。今日で、親友が亡くなってから。
「あ、あ、ごめんなさい。言わない方が良かったですか」
黙り込んでいると、マネージャーが気を利かせたのか、慌ててそう言葉にした。
「いえ、大丈夫です。こちらこそすみません」
私は首を振って、台本を閉じた。そして窓の外を見ながら、ふと想う。
私の親友は、1年前の4月5日に死んだ。自殺だったそうだ。
死因は飛び降り自殺だと聞いているが、詳しいことは聞かされていない。彼女は遺書を残していたらしく、その遺書にはこう綴られていたらしい。
〝私はもう生きたくないです〟と一言――。遺書すらも、警察は見せてはくれなかった。親友であり、共に人生を歩んでゆく芸人のコンビだというのに。
その日から、私はずっとこの一年間が曖昧だ。薄っぺら。紙切れみたいに。それなりに、仕事は頑張っているけれど、日常生活は、不透明なほどつまらない。
ただ、彼女の葬式の日だけは強く覚えている。泣き崩れている人がたくさんいて、みんな彼女の死を悲しんでいた。彼女は人を笑わせるのが好きだった。なのに、どうして?
「……泣かせてるじゃん、泣かせんなよ、失格だよ、三玖、」

彼女は、誰からでも愛される人気者だった。
「今日のバラエティーは調子でそうですか」
「…はい、できるとこまで頑張ります」
私はマネージャーに笑顔を向けた。車が止まって、目的地に着いたことを知る。私の顔色は気になるだろうが、マネージャーもプロである。何も触れないでいてくれるのがありがたかった。
”芸人とタレントが意気投合しすぎたせいで収拾がつかなくなりました”とか何とか言うバラエティ番組からオファーが来ていて、今日はその番組の撮影だった。
「よろしくお願いします」出演者達に控え室で挨拶を交わし、スタッフ達と共に打ち合わせをした。その後、昼食をスタッフさんと食べ、午後のためにエネルギーを溜めた。


「では本番、5秒前、4、3……」とスタッフの声がスタジオに響いて、私は大きく息を吸った。
「どうも〜! 司会者の渡辺です! そして今日はスペシャルなゲストがいます!」
司会者がそう言ってカメラが横にパンすると、私の姿が画面に映った。
「どうも、美奈子です」
私は笑顔で挨拶をした。それからも順調に番組は進行していき、何個かのコーナーを経て、5時間に渡る撮影が終了した。笑いも取れたし、概ね上出来だったと思う。スタッフさん達が撤収作業を進める中、私は共演したタレントさんや芸人さんに挨拶をした。
「美奈子さん」
「はい?」
後ろから声をかけられて振り返ると、そこには男性が立っていた。芸人であり、先輩の、譜同さんだった。
「もう1年経つんですね」
「ああ、そうですね」
私は少し間を置いてから答えた。
「まだ若いのに、可哀想ですよね。僕だったら耐えられませんよ」
譜同さんは眉を顰めながら言う。
「可哀想もなにも、あの選択はきっと彼女なりの幸せだったので、私は何も言えませんよ」
私が素っ気なく言うと、譜同さんは小さく「そうか……」と呟いた。そして一度咳払いをしてから口を開いた。
「実は、俺、三玖ちゃんが死ぬ前、三玖ちゃんにご飯誘われたんだ」
譜同さんは少し言いづらそうに、言った。私は「えっ?」と思わず聞き返してしまった。
「うん。それで、その時に”もし私が自殺するって言ったらどうします?”って聞かれたんだ。その時、俺どうにかできた気がして。俺は、お前どうせそんなことする勇気もないくせにって、冗談に捉えて笑っちゃったんだよ。あいつ、表では絶対笑顔って決めてたのかな。悩んでたんなら、もっと早く言えって感じ、。今更言っても、もう無理だけどな」
「そうだったんですね……知りませんでした……」
私は驚きのあまり何も言えずにいると、譜同さんはハハと渇いた笑いを漏らした。
「その時、約束されたんですよ」
「約束?」
私は首を傾げる。
「私が死んだ1年後に、これを渡せって。……渡すのは100年後になると思ってました。、俺、あの子の人生変えれたかもしれんかったのに……」
「……譜同さんは思い悩まないでください。全部あの子が悪いですから。いや、悪くは無いですけど」
勝手に死んで、迷惑かけて。ほんとに、芸人失格だ。
私は恐る恐る手紙を受け取って、一文字一文字を無駄にしないよう、丁寧に丁寧にゆっくりと読み進めていく。
「拝啓 愛する相方、親友、美奈子へ。
この手紙を見たってことは、もう私はこの世にはいません。どうか泣かないで。今日私は、死ぬ決意をしました。これは、遺書じゃなくて手紙です。
奈美子に手紙を直接渡すのは、死をネタバレしてるみたいで恥ずかしくて、譜同さんに頼んでみました。譜同さんなら、しっかりしてるので渡すの忘れないでしょうから。今日は4月5日。元気?奈美子。私は、きっと元気です。天国で幸せです。売れた?立派な芸人になってる?てか、続けてる?私のこと大好きだから、そもそもピン芸人なんかやってないかもね笑。でも、奈美子は私よりもお笑いの方が好きでしょ?奈美子なら絶対、スターになれる。だから、どうか続けて。私は、今日死にます。理由は、人生に疲れたからです。売れないからじゃないです。もっと、私個人の悩みがあるの。そこは、想像におまかせします。奈美子は関係ないから、絶対悩まないで。親友からの、約束。奈美子の前では泣きたくなかった。ずっと、実は辛い気持ちを押し殺してました。だから、最後まで泣かなかったよ。奈美子、ほんとに大好き。
私は、1つ言いたいことがあります。それは、「死ぬ」という選択肢を、簡単に選んでしまったことへの謝罪です。この選択をしてしまったことは本当に申し訳ないと思ってますし、後悔もしてる。でも、幸せの道はこれしかないと思いました。ねえ、奈美子。私ね、きっと生きてちゃいけないんだよ。貴女と会う前の私は、ゴミだった。けど、奈美子と会ってからは違う。2人してなにも無い状態から始まったのに、何故か知らないけどバカみたいなお笑い大好き人間で、あとは器用貧乏みたいな存在で。貴方と生きてるのが楽しかった。でも、ごめんなさい。どうしても、辛い気持ちは変わらなかったの。もう一度言うね、奈美子は関係ないよ。だからどうか、自分を責めないで。今までありがとう。
最後に、ずるいお願いをしてもいい?
これは、二人だけの秘密、そして約束なんだけど。。私、同性愛者なんだ。数十年後天国であったら、結婚して。もちろん、誕生日に渡した指輪、忘れないでね。忘れたら、さあどうなるだろうね、笑
敬具、愛しい美奈子へ。」


私は、言葉が出なかった。譜同さんは、立ち尽くし喋ることも出来ない、苦しいほど息が上がっている私の背中を優しくさする。
「素敵な方ですね」
「……当たり前……、でっす、よ」
私が息をつまらせながら答えると、譜同さんはまた、「素敵です」と言った。
三玖、聞こえてますか。今きてるピン芸人として、ランキング1位ですよ。
あんたがいなくても私出来る子なんですからね!
私も好きだよ。秘密、知ってたよ。そうだと思ってた。いつかしようね。

私は、涙でより輝いてみえる、
嵌めた指輪を、優しく撫でた。

#19 二人だけの秘密

5/4/2024, 12:08:53 AM