2024 5/2(金) 短編小説
ステージに立ったらマイク一本で勝負だ。
相手がこいつだからって俺は一切手加減しない。ラップバトルというのはそういうものだ。いくらこいつを前にしても、俺のその概念を、壊すことはできなかった。
djのジュクジュク、というスクラッチ音をスタートに、ビートが流れ出す。
ビートを聴いたお客さんが次々と沸き出して、その波がライブハウスを揺らしているように感じた。
ふと、体を音に乗せて揺らす彼と目が合った。多分、こいつと俺は今、同じことを思っていると思う。このビート懐かしい。な?そうだろ相棒。ビートが止んで、あたりはしんと静かになった。
8小節4ターンが、短く思えるほど語りたいことがあるけれど、今は一旦その気持ちを置いとかなければならない。俺はひとまずジャンケンをして、先行を選んだ。
「では行きます」司会者の合図で、再びビートのスクラッチが流れる。俺は息を大きく吸った。その時、マイクを持つ右手が酷く震えていた。
「ステージの上にあがりゃプロップス で圧勝俺の圧倒的ステータス 見りゃわかるだろ 俺の方が売れている 今日はフローもあなたに贈る」
俺は1バース目を難なく歌い上げた。こいつは今にも泣き出しそうな顔をしていて、必死に堪えているのがわかった。今は、そんな場合じゃないだろ。
いよいよこいつの番だ。俺はなんだか自分のターンでもないのに緊張してしまう。自分の鼓動がマイクに入らないように祈った。
「今日はフローをあなたに贈る? いつも送っとけ トライアングル お前の横に俺いるってことは それはすなわちレベルが高いってこと これからバトル出てくんなら覚えとけ これアナウンス」
あっという間に、バトルが終わった。
勝者なんて、どっちでもいい、なんてことは無い。ラップを愛しているから、そこは譲れない。俺は勝ちたかった。
それなのに、だ。
観客はあいつに沸いて、あいつが勝利した。
2人でステージを降りて、控え室に戻った。実に、5年振りの再開だった。
「……有名なったな、お互いに」
俺はこいつに話しかけた。なんだか久しぶりで少し恥ずかしくて、目は合わせなかった。
「だな。でも俺は最初からなれると思ってたよ。日本は狭いからな」
「あはは、バカにしすぎやそれ」
昔から変わらない声と、彼の冗談。変わったのはスキルだけかと、俺は少し安心する。
「俺とのバトル、どうやった?俺は悟に負けて悔しいわ」
「昔なら、ガチでやり合っただろうけどな」
「あははっそれ、今日本気出さんで俺負けたんかよ」
俺はこいつを土俵に引きずり出そうかと思った。勿論冗談だけど。
沈黙が流れて、間を埋めるように俺は麦茶を1口飲んだ。悟も真似するかのように水を飲む。
俺は、こいつにずっと言いたかったことを言わなければと思った。
「ビートのこと」
ふと、脈絡もなく俺は口にしていた。一瞬言い直そうかと思ったが、この1文だけで通じるくらいの親友だったから、きっと大丈夫。
「ああ、懐かしいね。俺が泣いて、お前がメンヘラなったの覚えてる」
「いやあれは俺悪くないやろ」
そう、あれは俺のせいじゃない。俺のせいではない。もう会わないだなんて言う悟が悪かった。
あれは5年前のこと。15歳で、俺らが当時高校1年生の時の話だ。
4月、クラスでひとりぼっちだった俺に話しかけてくれた悟とは、共通の趣味があった。それはラップで、俺らはラップを通して仲良くなった。俺はラップが好きだった。それはあいつも同じくらい好きだったと思う。
ラップを語れる相手なんて身近にそんな居なかった。だからだと思う。
俺らは軽い気持ちで2人きりの、ヒップホップチームを組んだりして、よく公園でバトルをしたものだった。
でも、悲劇は突然訪れた。
高1の夏、彼は突然ラップを辞めた。
俺はそれがショックで、しばらく学校を休んだし、飯も食わなかった。それくらい悟は俺にとって大きな存在だったし、彼のいない生活なんて考えられなかった。
そのくらい仲が良かったから、俺は彼に理由を尋ねた。
「ねえ、なんで辞めるの」
重い雰囲気。その質問に彼は目を逸らした。しかし、悟はきちんと説明してくれた。良い奴だから。親の仕事の関係で引っ越しをしなくちゃいけなくなったこと、親のラーメン屋を継がなくてはならなくて、ラップの時間を取れず、もうできないこと。俺と離れるのが嫌で言えなくて、ずっと不安だったこと。
その時のことは今でもはっきりと覚えている。でも仕方なくて、そんなの呪うことさえできないものだと思って泣くしかなかった。
悟が引っ越す1日前、俺達は約束をした。最後に1回だけ、ラップバトルをしよう。と。
スクラッチの音が流れる。ジュクジュク。
――お前の才能には負けるよ こんなにも愛されてるのに 俺はお前がいないと心から笑えないんだ ──彼は最後にそう、歌った。
その日は全くうまく言葉が出なかった。野次が耳にガンガン響いた。まるで、死刑宣告を受けたみたいに感じた。ラップバトルが終わったあと、僕はさらに辛い気持ちになっていた。もう彼とは、二度と一緒に語り合えないし、バトルもできないのかと。
「ねえ、辞めないでよ、ほんとにもう、会えないの?ラーメン食べたいよ、毎月会わせて」
「それはお前が金欠なるわ。会ったら色々辛くなるから会えない。親を恨んでしまいそう。だから会わないで。いい?もう俺、ラップはやらないから」
その時、彼の目頭に涙が浮かんでるのが見えた。俺は知っている。ほんとは、彼もまだラップを続けたいということ。その気持ちを押し殺して、明日彼は遠くの県へ引っ越す。好きなことも出来ないなんて。いや、悟はラーメンが嫌いかって言われたら絶対好きって答えるだろうけど。
俺は耐えられなくなって、やだ、と思わずメンヘラみたいに泣きじゃくった。
8月25日、僕の前から彼が消えた。
「後あれ、メンヘラじゃなくてラップに対する熱い気持ちだからな。勘違いしないで。いやあ、それにしてもびっくりだよ。まだ続けてくれてたんだね、ラーメンはどうしたんだよ」
「まあ、去年潰れたんだ。だから突然暇になってさ。また始めてみた。やっぱ諦めきれないもんだな、子供の頃からの夢ってのは。」
「えっ、まさか、」
俺が言いたいことが伝わったのだろう。
「そうだぞ。たった1年でここまで上り詰めたんだ。オマケにお前より100倍上手いラーメンも作れる」
「えっ、やめてよ。5年やってるのに今日の試合負けた俺がくそみたいじゃん」
「はは!まあでも俺は嬉しいよ」
悟が、俺の肩を叩いた。
「また会えてさ」
「おう」
俺も、と、彼の肩を軽く叩く。
この再会を祝して乾杯したいと思ったから、今夜は飲むことにした。
「悟、続けてくれてありがとう。対戦できて良かった。しかも引っ越す時にやったバトルのビートと、今日のビート、同じだったね」
「本当にな。俺も驚いてるわ」
お互いに顔を見合わせて笑った。
悟と久しぶりに話して分かったけれど、俺にとってこいつは相棒でも親友でもないんだなと思った。もっと概念的で、言葉で簡単に表現できない何かだと思う。やっぱりそれは、俺の人生に欠かせないものだし、俺の一部だと感じた。
「なあ、飲んだあと、公園寄って昔みたいにスマホのゴミ音響でラップバトルしようや」
「あははっ、それが世間で言うエモいってやつ?」
「さあ、しらね。容赦しねえからな?また俺が勝つ」
「いいよ、俺に優しくすんな。なんかうぜえから。ボコボコにしてもっと2人でスキル磨いてこう。ほら、お前の憧れのラッパーみたいにさ。俺らもラップ界の四天王と呼ばれるくらいに」
「だな、もっともっとやっていこうぜ!」
「おーっ!!!」
2人は勢いよく熱いハイタッチをした。手と手のパチン!という音がまるで、2人だけのスクラッチのようだった。
#18 優しくしないで
5/3/2024, 9:32:30 AM