むすめは夜泣きがひどかった
赤ちゃんのころは毎日
寝てから1時間もしないで泣き出し
抱っこしても
部屋を歩きまわっても泣き続け
外の空気にふれたら落ち着くかな
と、窓を開けてみたが
静かな住宅街に泣き声が響き
慌てて閉めたものだ
そんな夜泣きは3才まで続く
そのくらいになると
ただ泣くだけの赤ちゃんと違い
夜泣きもバージョンアップされる
まず、泣きながら部屋から出てきて
声をかけてもひたすら泣き続け
居間の真ん中でひとしきり泣いたあと
おもむろにパジャマのズボンを脱いで
なぜか寝室にもどると
押し入れをあけてそこに座ろうと
泣きながら足をかける
そしてわたしが
急いでトイレに連れてって
座らせるまでがセットである
泣きながらトイレに30分滞在し
ようやく話ができるようになるのだった
真夜中の恒例行事であった
何年か前
久しぶりにマンガを読んで
大泣きした
涙と鼻水がとまらず
拭いてもかんでもおさまらず
しまいには鼻がつまって
呼吸するのも苦しくなるほどだった
なんで?泣くほど?と
部屋に入ってきた
2番目のむすめが聞いてくるので
わたしは熱く語った
無のものが
宿主をかわりながら
学習し、感情を知っていく系の
成長の物語で
学ぶきっかけの出来事が
辛くせつないのだ、と
むすめは
どれどれ、と1巻をとり
読み終わると
「泣くほどではない」
そう言って去っていった
聞いてきたから教えたのに…
子どもたちが小学生のころ
夏休みの工作という
わたしにとっては恐怖でしかない
イベントがあった
はじまりは上のむすめが
1年生のとき
なにを作ったらよいかわからない
というので
本屋につれていったのだが
そこでみつけた
ビーズで作る動物の本をみて
むすめのなにかスイッチが
押されてしまったようだった
作り始めるも
当然一人ではできないので
わたしがつきっきりで
なんなら途中からわたしが作って
ほぼわたしの作品と化した
できた作品は素晴らしかった
味をしめたむすめは
毎年夏休みになると
フェルトのプチケーキ
クレイ粘土でデコる写真立て
羊毛フェルトの小さな動物たち
などなど
途中から小学生になった
2番目のむすめも参戦し
労力が2倍に
上のむすめが卒業して
ひとり分になったとほっとするも
途中からむすこも小学生に
しかもむすめたちは
同じものを作っていたが
むすこは段ボールや木工の
独自路線へ
労力も作戦会議も2倍になり
それは夏休みが終わるまで
続くのだった
この工作地獄は
14年続いた
終わりをむかえてよかった…
むすめは小学4年になって
バスケを始めた
部活のない日は
いつも外に出て自主練をするのだが
一人でできない練習には
わたしもつきあっていた
そんなある日
学校から帰ってきたむすめは
わたしに
折りたたまれたメモをわたしてきた
''おかあさんへ
今日これから
空で
パス練習しよう"
「………」
わたしは赤ペンで
"空"のところを丸で囲み
やじるしで指して
"ムリ"と書いてむすめに渡した
むすめはアワアワしながら
「外と空、間違っちゃった」
と恥ずかしそうにしていたが
まぁ、空のパス練習
楽しそうだけどね
子どもたちが小学生のころ
「部屋にありがいっぱいいる!」
2番目のむすめが
2階の子ども部屋から叫んだ
確かに、窓の下の床の隙間から
ありが出入りしている
1階ならまだしも
なぜわざわざ2階の子ども部屋に?
上のむすめが
「なんか机のほうにむかってない?」
と、ありの行列の行方を追う
子どもたちは
ありの動きを真剣に見ながら
最後に2番目のむすめの
机の引き出しの中に消えていくのを
突き止めた
なんで引き出し?
と、思いながら開けてみると
そこには
食べてる途中のあめを
そのまま引き出しの中に
つっこんだであろう
ありで真っ黒なモノがあったのだった
子どもたちは
悲鳴をあげて部屋から飛び出していった
わたしはありよりも
なぜ食べかけのあめが
丸はだかで引き出しにしまわれたのか
2番目のむすめの行動に
驚くばかりだった…