今日だけ許して
らんま1/2が再びリバイバルされる。昔の作品を知っている者としては是非、観ておきたいところだ。放映時間に間に合うように、しっかりとお茶やお菓子などを用意し、今か今かとテレビの前で待っていた。
しかし、放映時間になっても、ずっとニュース番組が続いている。おかしいと思い、ネットで日時を確認したが間違ってはいない。待てど暮らせど始まらないので、もう一度、ネットを見てみた。最後までスクロールすると、地方では日時が異なることが書かれている。「今の時代になっても尚、首都圏と地方では放映時間に差があるのか」と思いつつ、Netflixで観た方が早いんじゃない?などという考えも浮かんでくる始末。自分の確認不足が原因なのはわかっているが、昼間から楽しみにお茶やお菓子を用意し、夜中まで起きていたこの気持ちをどうしてくれるのか。「今日だけ許して」とはなかなかいかない。
誰か
助けを求めていたつもりはなかったけれど、いつの間にか救い自体を求めていたのかもしれない。自分一人では抱えきれず、一助となる人を、知らず知らずのうちに、僕は探してしまったのだろう。そして、たった一人、あなただけが僕を支えてくれた。
何度も僕を引き離そうとしていたあなただけど、次第に周りの反発をよそに、僕の話し相手や相談相手になって、いろいろ心配してくれた。僕の周囲は、人がいなくなっていくのに、あなただけは、いつもちゃんとそこにいてくれる。だからどんどん甘えていってしまった。
あなたは「言葉は流れていくものだから、ちゃんと言わないと伝わらないんだよ」と言うけれど、きっと僕は言えないままだろう。あなたにとても感謝していること、あなたと出会えたことで救われたこと、それなのにワガママばかり言ってしまって後悔していることも…
あなたとの関係は、まだもう少し続きそうだけど、そろそろ自分の足で歩き始めます。だから、あと少しだけ、僕の「誰か」でいて下さい。
遠い足音
いつも聞こえてくる足音。ゆっくりしっかりと階段を一段ずつ登ってくる。部屋の前まで来たところでそれは止み、ドアを叩く音へと変わっていく。そして、無理矢理ドアをこじ開け、再び近づいてくる足音は、僕の横で止まり、頭まで被っていた布団を剥ぎ取り、高く拳を上げ、真っ直ぐに僕へと振り下ろす。
なぜあの時、やり返さなかったのか。それはやり返してしまったら自分の人生を棒に振ってしまうとわかっていたから。ただひたすら痛みに耐え、この人は弱いんだと自分に言い聞かせ、時が過ぎるのを待っていた。
僕は親になった経験がない。だからよくはわからないけど、少なくても、親の都合で子どもに手を挙げていい理由はないと、30年経った今でも思うのだ。
秋の訪れ
寝起きの頭で、夜中に書く文章など、ろくな事にならないのはわかってはいるのだが、時間が取れないので仕方がない。
秋の訪れと聞いて真っ先に思い浮かべるのは、キンモクセイだ。僕はキンモクセイの甘い香りが結構、好きで、ハンドクリームや入浴剤など、キンモクセイの香りが付いているものを選んでしまう。自分で言うのもおかしな話だが、僕は意外と美意識が高いのかもしれない。
他にも、ススキやケイトウ、彼岸花などを道端で見かけると秋が来たなと感じる。秋は四季の中で短い季節にはなるが、1番、色鮮やかな季節でもあると思う。
カメラが好きな僕は、よくカメラを持って、散歩やドライブに出かけるのだが、ほんのわずかな「秋」を目一杯、楽しめたらと思う。
涙の理由
歳を重ねると、涙腺が弱くなるというのは本当らしい。ここからは少し下品な話になるので、嫌な方は読み飛ばすことをお勧めする。
15年ほど前、両親と僕でウチの中を片付ける機会があった。特段、理由があったわけでは無いのだが、何となく父が片付け始めたところに、母や僕が加わった形でいろんな物を整理していった。
そんな中、突然「ピッ」という聞き慣れない音が聞こえてきた。驚いた母が「今の音、何?」とビックリしていると、荷物に埋もれた父から「屁だよ!屁の音もわかんねえのか、お前は!」などとすっとぼけた答えが返ってきた。僕は、その音の正体がわかっていたので、突然、放屁した父に対しても、それがわからなかった母に対しても笑いが止まらず、涙が出るくらい笑ってしまった。
それからしばらくして、両親は熟年離婚をすることとなったが、今でも時々、3人で笑い合った日をおもいだす。