#4 愛を注いで
人の心は、よくコップに例えられる。愛を入れる器。大きければ大きいほど、たくさんの愛を、あますことなく受け取ることができる。
そうして愛で満ちた大きなコップを持つ人は、たくさんの愛を、他の人にも注ぐことができるようになるのだ。
でも、僕のコップは小さい。
暗いところから連れ出してくれたあの人が、毎日毎日僕のコップに愛を注いでくれる。たくさん、たくさん、抱えきれないくらいに注がれて、空っぽだった小さなコップは、すぐにいっぱいになってしまった。
「やめて!」
ぎゅうと、心の中のコップを抱え込む。なみなみになったコップはもう愛が入る隙間なんてなくて、注がれるそばから溢れてしまう。せっかく貰ったのに、僕のコップは小さくて、たくさんの愛を受け取れない。溢れてしまうのが悲しくて、怖くて、申し訳なくて、涙が出てしまう。
もういいよ、勿体無いよ。そんなに勢いよく注がれたら、溜まった愛も溢れて無くなっちゃう。
震えてそう身を固くした僕に、たくさんの愛を持ったあの人は、優しく笑った。
「じゃあ、きみのコップの中身を誰かのコップに注いであげて。その分、きみにたくさん愛を注ぐよ」
#3 泣かないで
きみの瞳から、ほろほろと涙がこぼれていく。
すくい上げるように指をすべらせても、留まることなく溢れていく。
透き通るような瞳が涙でぼやけて、白い頬の上を、次から次へと雫が伝って落ちていく。声もあげずに、ただただ静かに泣くきみは壊れそうなほど綺麗だったけれど、自分のことのように心が傷んだ。
泣いているきみより、笑っているきみを見ていたい。傷ついて悲しむきみなんて見たくない。
(――泣かないで)
喉元まで迫り上がった本音を、すんでのところで飲み込んだ。
声もなく泣くきみに寄り添って、ひたすらその涙を拭う。差し出したハンカチが湿って意味をなさなくなっても、泣
き続けるきみのそばに居る。
泣いているきみを見続けるのは辛い。笑っていて欲しい。泣かないで欲しい。それは紛うことのない本音だった。泣かないで、と、言いたくてたまらない。
でも、だけど。
そうやって泣きやんだきみは、いつ泣くというのだろう。
笑ってと言われたきみはきっと、誰もいないところで泣くのだろう。
誰に知られることもなく、独りきりで。
そんなのは、きみが泣くことよりもっと嫌だから。
だからぼくは、泣かないでという本音を、ずっと胸の奥にしまっておく。永遠に、ずっと。
#2 セーター
お気に入りのお店のシュトーレン。
大人気のクリスマスケーキは予約済み。
クリスマスツリー柄のタペストリーもセットして、インテリアにもさり気なく赤と緑を追加した。
当日のご馳走は、デパ地下で予約したローストチキンと、お惣菜と、腕によりをかけたクリームシチュー!
いつもはイベントをスルーする私だけれど、一緒に過ごす人がいるなら話は変わる。
あれをしようこれようしようと準備するのは楽しくて、気付けばもうクリスマスは眼の前。
何ならヘアスタイルだってふわふわウェーブにしてみた。
あとは、クリスマスプレゼントを用意するだけ!
………するだけ、なのだけれど。
スマホに映るお急ぎ便画面を見つめながら、私は重いため息を吐いた。これをタップすれば、注文は完了して、商品は明日には届く。タップさえすれば、簡単に。
「あ〜〜〜」
ぼふん、とクリスマスのために白カバーに変えたソファに倒れ込む。
クリスマスと言えばダサセーターでしょ! なんて、安易に考えた自分は何て浅はかだったんだろう。ローテーブルに投げ出した濃紺の塊は、完成品には程遠い。ころころと、床の上を転がっていく毛糸玉を仇を見るような目で睨みつけた。
濃紺の毛糸に、デカデカとイニシャルを入れるための金色の毛糸。キャラクターを入れるわけでも、クリスマスツリーを入れるわけでもない。とってもシンプルで、でも伝統的なダサさ。今でも大人気な、魔法魔術学校のクリスマスを思い出せるようなセーター。そういうのが大好きな性格だから、喜んでくれるだろう。セーターを編むのは初めてだけど、マフラーを編んだことならある。2ヶ月前から編み始めれば、きっと大丈夫大丈夫!
なんて、お気楽気分だったのは最初だけで。
絵柄のないシンプルなマフラーと違って、セーターはめちゃくちゃ難しかった。単純に編む量は多いし、ぐるっと輪にしなければいけないし、一目一目同じ大きさ、同じ編み数にしないと前と後ろの長さが違ってくるし、何より柄がガタガタになる。ダサセーターのダサはそういうことじゃない。
編んで、ほどいてを繰り返して、どうにか前に進んではいるけれど、これじゃあとてもクリスマスには間に合いそうにも無かった。
シュトーレンも、クリスマスケーキも、ご馳走も、部屋のセッティングも、思いつくものは全て準備した。
喜んでもらいたくて、笑ってもらいたくて、……一緒にいて、楽しいと思ってもらいたくて。
なのに肝心の、クリスマスプレゼントが用意できない。
何を贈ればいいか分からなくて、ちょっとお茶目なものを選んでしまったけれど、本当はじっくり考えた。クリスマスと言えばダサセーターでしょ、まで辿り着くのにどれだけ悩んだことか。
悩んで、悩んで、これだ!と思ったのに。
でも、クリスマスプレゼントが無いなんて、そんなのきっと興醒めだろう。
だったら、と手の中のスマホを覗き込む。画面はさっきと変わらない。あとは注文確定のボタンをタップするだけ。
でも。
「……やだな」
だって、今さら、簡単に手に入るプレゼントなんて、渡したくないよ。
#1 落ちていく
眠りに落ちていく。
布団にもぐりこみ目を閉じて、静かな世界に身を委ねる。その短いひとときで、たわいもないこことを考えるのが好きだ。
上映している映画のこと、今日見た小説のこと、気になる終わり方をした漫画の続きのこと。明日のことは考えない。悩んでいることも考えない。楽しいことだけをぼんやりと考えて、さらりとした肌触りのシーツと柔らかな布団の中で微睡みながら、眠りに落ちていく。勉強に、仕事に、人間関係に追い立てられている忙しさを、その時だけは忘れていられる。ただ残念なことに、体力のない私は大体ベッドに入る頃には疲れ果てていて、夢どころか考える暇もなく意識が闇に沈んでしまうのだけれど。
ああでも、だからこそ、たまに訪れるそのひとときが一等嬉しく思うのかもしれない。
今夜は、そんなひとときを過ごせるだろうか。