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3/11/2026, 10:56:43 AM

平穏な日常


今日、3月11日。
14時46分。

恥ずかしながら、かなり久しぶりにこの時間に黙とうをしました。


過去にはYahoo!検索の10円寄付とかはしていましたが。
そういえば黙とうは今までしたことが無かった。

最後にしたのは小学校の授業途中とかだったような気がします。
いつも平日で忙しかったから?毎年ここら辺の日って学校あったっけ。
4月から大学進学を控えている私は最近ずっと休日なので、今回はしっかりと時間を空けて黙とうができました。


わざわざ文字にするべきでもない様な話題で申し訳ないですが。
この1分間。やはり、嫌に若干長く感じました。


只今の私は18歳。生まれ・育ちは新潟県。
3歳の時に東日本大震災を経験しました。

その頃の私は…あまり覚えていません。
唯一私の中で記憶に引っかかる断片があるとすれば、その時は家にいたような気が…、と覚えはするのですが、親によるとその当時私は保育園にいて急いで迎えに行った、とのことです。(私の地域では被害は重たくなかった…のでしょうか?)

別の何かと記憶違いしているのか。
それくらいに、その当時の状況は覚えていません。


なので他の皆様方よりもあまりリアリティを持って祈れない?という様な感じもしますが。
それでも私にも思う所はあります。

地震に関する資料に触れると、それは凄惨な画を見たりもしますが。
それでもその時の人々が諦めずに、この今も復興に尽力している人々がいて。
多くの人々の悲嘆の上に、多くの人々の努力の積み重ねがあり、この今が作られていて。
あの悲劇から、1から少しずつ積み上げた人がいて、積み上げたものがあって、そして今日の平和が維持されている。

そして、その維持された平和の上で、私も生活させてもらっているのだな、と。


やがて1分間の黙とうを終えて目を開けると、スマホの中、時計の隣にあった、とある名言が目に入りました。(私のスマホでは時計ウィジェットの隣に英語で名言が書かれたウィジェットを置いているのです)

We must accept finite disappointment, but never lose infinite hope.

……誰かは忘れた。日本語の文で見たことがある。


「我々は限りある失望を受け入れなければならない。しかし、限りない希望を捨ててはならない」

調べてみると、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアさんという牧師の方の言葉らしいです。


………

なんか募金したくなってきたな。

3/10/2026, 10:59:28 AM

愛と平和


今のご時世、このお題で文章を書こうとするとどうしてもテーマは一つになってしまいそうですが。
前からのウクライナの話もそうですが、これらに関して、どうしても戦争という形でしか国の問題は解決できないのでしょうか。


私も勿論戦争には反対ですが、その理由の1つとして、人を「人」として考えられなくなってしまってはいないか、ということを考えます。

その人らにとって、相手の当事者のみなのか関係者までなのか他の罪無き者までなのか、誰までを標的にしたいのかは知りませんが。
少し言い方が難しいですが、戦争の色々を見ていると、それは人を「人」として見ていないような気がします。
そしてそれを補うとすれば、人を「数」としてしか見ていないような感覚が私の中にはあります。
例えば、攻撃によって何人が死んだとか言う時です。

残酷な話です。
本来、ヒト一人ひとりには、自分自身やあなた自身のようにそれぞれの人生があり、心があり、感情と愛情があるはずなのに。
そんな尊い私たち人間を、1人、2人、〇人という「数」の概念として見てしまうのは、あまりにも残酷で悲しいと感じます。
特にこの戦争という場においては。


人を「人」として見ることができない。

急にテーマがガラリと変わりますが、実は私は、より身近なものでもう一つ、これに該当するのでは、と考えるものがあります。



SNS。
そして、これに関してはもうどうしようもない所もあるが、この「書く習慣」アプリにも同じことが言えてしまうと思います。(他SNSよりもその特徴は極限まで少ないと感じますが)

SNSでやり取りされるlikeに関してです。
送る方は「人」としてのケースが多いので良いのですが、自分たちが受け取る時には、どうしてもlikeを「数」で見てしまう時があると感じます。

そのlike一つ一つは、それぞれ相手方一人ひとりの「良い」「面白い」という気持ちが込められているはずなのに。

受け取る側ではそれを「数」で見てしまう。

自分の中で、たまに何かそんな感じがします。
SNSも書く習慣も、これに関しては付き物というか、もうどうしようもない部分だったりするのでしょうがないですが。

そして、それに対してどうすれば良いのかという所も少しだけ考えたんです。
それで超変だけどまあ効果的…か?と思ったのが、likeをくれたその人の思いに感謝しながらそのlikeの数だけスクワットをする、っていうやつで…(?)
そしたらさ、他人を少しだけでも「人」として捉えられて、その気持ちに感謝しながら更に運動にもなるっていう(以下略)


かなり話がそれましたが、今の不安が募るこのご時世、過去の様に大きな悲劇を招かぬように、また未来の世界が、できるだけ人が「人」として見られるようなより平和な世界になってくれるように祈るばかりです。

2/28/2026, 9:47:35 PM

遠くの町へ


ゼルダやその他アドベンチャー系のゲーム・アニメが大好きな私がこのお題を見た時は、なんかまた次の冒険とか旅に向けて…みたいなとてもワクワクする感じにも想像してしまいましたが。

一応私もこの春で高校を卒業し大学へ進学するので、一旦は今まで住んでいた場所ともおさらばとなります。

思うと感慨深く感じるものもあります。
今までの私の人生、丸々18年間住んできた所なので。

今まで住んできた所を発ち、そしてまた新たな場所へと進出するーー。
そう思うと、これも始めに述べた冒険の話に近い所があるのかもしれないですね。

…少し考え方が大げさになってしまうかもですが。

それでも、心の中だけでも、人生は面白い(と思う)方が良いと考える人間なので。

大げさでもそう思い、気持ちを高めながら前へ進みたいです。


人生は気分楽しく進んで行こう。

人生は冒険だ。

人生はゼルダみたいなもんだ(?)


そう思いながら、私はこの後の4月から頑張って行くのでしょう。

頑張ります。

2/27/2026, 12:45:06 PM

現実逃避


私自身、「現実逃避」という言葉はあまり好きに思いません。

友達を見るとたまに現実逃避という言葉を口にしたり、時には実際に現実から逃げているような行動をしたりするのを聞きますが。

私自身は、現実逃避という言葉、行動をあまり良く思わない人間です。


だって、いくら逃げたって「現実」は「現実」としてその人の元にあるのだから。
どんなに現実を悲観的に見ようと、それでも最後は絶対に「現実」に向き合わなければいけないのだから。

それを考えると、もし近い未来に嫌な現実があった(あると感じた?)としても、逃げずに早いうちから行動した方が絶対に成功しやすいだろうという考えを私はします。

私自身その考えで、嫌に感じるイベントを翌日に控えた時や、進路(色んな意味での進路)が難局だった時であっても、一時的に現実から逃げるという選択肢は1ミリも持たず、それで今までの人生をある程度は成功させてきながら、もうすぐ18歳を迎える今この頃まで乗り越えてきました。
(あまりにも酷が過ぎる状態にはなったことも無いのでその点は言及できないですが)

なので、私は「現実逃避」という言葉を良くは思わない。

どうしてもその言葉を好きには思えません……でした。


ところが、最近になって、ほんの少しだけ考えが変わったところもあります。

大学入試に推薦で勝利を収めた私は、好きだったゲームをまたやり始めるようになり。(ちなみに私はゼルダが大好き)
また過去の私は音楽やエンタメには本当に縁が浅く何も知らない人間でしたが、最近はアニメの葬送のフリーレンをたまに観るようになりました。シーズン1から。

なんか、やっぱ、凄いよね。
ゼルダもフリーレンも、なんか、やっぱりなんか良い。
私の語彙で表現するのが難しいが、なんかめちゃくちゃ良いんです。
ストーリーも勿論とても良くて毎回痺れるのですが、ゼルダもフリーレンも作中の舞台や世界観自体がとても好みです。
良い感じなファンタジー?なのが本当に好きです。(恐らく「良い感じなファンタジー」が自分の思う最適な表現)


そしてそのようなコンテンツで楽しんでいると、たまにふとこう感じます。

今私が楽しんでいるのは、間違いなく「現実」ではないと。

勿論のことです。あのような世界観は言ってしまえば仮想的なもので、今の現実の世界には(一般的には)存在しません。


なので、今の「現実」とは別のものを、私は楽しんでいる。

これって、ある種「現実逃避」とも言えるのでは?、と。

現実逃避?なのでしょうか?
言い訳するつもりは全くないですが、「現実から逃げてる」訳じゃなく「嫌でもない現実から少し抜けだしてそっちの世界にお邪魔させて頂く」と言うこともできるでしょうか?

そう考えると、あまり良く分からなくなってきます。


そしてこのようなことを考えながらこのお題に沿って文章を書くと、ほんの少しだけ考えが整理された気分になりました。
なので少し文面を改めることにします。

---
「現実のみと向き合い続けるべし」とは言わない。
「現実」以外のもので楽しむのも、1つの良い事。

但し、「今・この先の現実が嫌だから」というのを背景に、現実に背を向いて一時の楽を求めたり現実を先延ばしにするのは、やはり良いとは思わない。
---

こうかな。
これでほんの少しだけ自分の考えがまとまった上、ほんの少しだけ自分に都合の良い考えにもなった気がします。

2/26/2026, 9:47:27 AM

物憂げな空


私の住んでいる地域では、今日はかなり快晴でした。
普通に見るならば、とても物憂げと言えない程度に気持ちの良い気候でした。

しかし、物憂げ、と言う程ではないですが、自分の中に少しの不安がよぎり、心を満たしきれない部分があります。


思えば、私の推薦入試の時もこんな空だったかもしれないと思います。

11月下旬。当日の朝、戦地へ歩いて行った時。
恐ろしいほど気候が良く、歩いていて気持ちが良かったことを覚えています。

いつもなら「めちゃくちゃ天気良いな」と言って気分よく過ごすのですが、当時はその空をあまり十分に楽しめない自分がいました。

まあそりゃそうです。これから受験に行くんだから。
少しは気分が良くなりますが、流石に心の焦りを完全には無くせません。

それでも、ある種の皮肉かのように、空はとても良く晴れてくれるのです。
易しくもあり、同時に自分の焦りを目の当たりにさせるかのようにも。
その日の空は晴れてくれました。


と、それに似た雰囲気の心のざわつきを今日感じていました。

推薦入試に合格した今の私でも、この日は少し心が落ち着きません。
私の友達の多くが、国公立大学の二次試験に出かけています。

彼らにとって私を悪くは思っていないのは十分に分かりますが。
LINEか何かで応援しても、恐らく当事者にとってはかえって迷惑になりそうだ。
そう思った私は、自分から応援の言葉を掛けるのは止め、ただただ黙って友の武運を祈るのみです。


空を見る。
今日の空は、私が勝負したあの日よりも晴れていたと思います。
恐らく今日は雲も見ていません。

しかしそれでも、十分に気持ちを良くできません。
心の中には薄暗い雲が掛かっている様に思います。

友達の方では、それでも、少しだけでも晴れてくれることを信じて。

………

こちらでは明日は曇りらしいです。
それでも大丈夫。
今日は快晴だったし、友達も多分そうでしょう。

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