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愛と平和


今のご時世、このお題で文章を書こうとするとどうしてもテーマは一つになってしまいそうですが。
前からのウクライナの話もそうですが、これらに関して、どうしても戦争という形でしか国の問題は解決できないのでしょうか。


私も勿論戦争には反対ですが、その理由の1つとして、人を「人」として考えられなくなってしまってはいないか、ということを考えます。

その人らにとって、相手の当事者のみなのか関係者までなのか他の罪無き者までなのか、誰までを標的にしたいのかは知りませんが。
少し言い方が難しいですが、戦争の色々を見ていると、それは人を「人」として見ていないような気がします。
そしてそれを補うとすれば、人を「数」としてしか見ていないような感覚が私の中にはあります。
例えば、攻撃によって何人が死んだとか言う時です。

残酷な話です。
本来、ヒト一人ひとりには、自分自身やあなた自身のようにそれぞれの人生があり、心があり、感情と愛情があるはずなのに。
そんな尊い私たち人間を、1人、2人、〇人という「数」の概念として見てしまうのは、あまりにも残酷で悲しいと感じます。
特にこの戦争という場においては。


人を「人」として見ることができない。

急にテーマがガラリと変わりますが、実は私は、より身近なものでもう一つ、これに該当するのでは、と考えるものがあります。



SNS。
そして、これに関してはもうどうしようもない所もあるが、この「書く習慣」アプリにも同じことが言えてしまうと思います。(他SNSよりもその特徴は極限まで少ないと感じますが)

SNSでやり取りされるlikeに関してです。
送る方は「人」としてのケースが多いので良いのですが、自分たちが受け取る時には、どうしてもlikeを「数」で見てしまう時があると感じます。

そのlike一つ一つは、それぞれ相手方一人ひとりの「良い」「面白い」という気持ちが込められているはずなのに。

受け取る側ではそれを「数」で見てしまう。

自分の中で、たまに何かそんな感じがします。
SNSも書く習慣も、これに関しては付き物というか、もうどうしようもない部分だったりするのでしょうがないですが。

そして、それに対してどうすれば良いのかという所も少しだけ考えたんです。
それで超変だけどまあ効果的…か?と思ったのが、likeをくれたその人の思いに感謝しながらそのlikeの数だけスクワットをする、っていうやつで…(?)
そしたらさ、他人を少しだけでも「人」として捉えられて、その気持ちに感謝しながら更に運動にもなるっていう(以下略)


かなり話がそれましたが、今の不安が募るこのご時世、過去の様に大きな悲劇を招かぬように、また未来の世界が、できるだけ人が「人」として見られるようなより平和な世界になってくれるように祈るばかりです。

3/10/2026, 10:59:28 AM