まさに今日の事だろ!って思ったけどさすがに今日は夏日でしたね。秋晴れと言うともっとこう、肌寒い空気を吸い込みながら見上げる、色の薄い青空みたいなものを想像していたけれど、最近は温暖化のせいで肌寒いの部分がなかなか来ない。小さい頃は落ち葉を踏みしめながら秋の乾いた空気を吸って吐いて、羊雲を見ながら学校から帰ってきていたものだった。あの時に戻れるのなら、もっと秋晴れを堪能しておけばよかった。
高校の時の話。2年生に進学する前の春休み、私は髪を切った。それまでセミロング程の長さだった髪を一気に肩より少し上のボブにした。新学期、案の定髪型について話題になった。「いいじゃんそれ!」満更でもない。その日は始業式とホームルームで終わり。駅のホームで次の汽車を待っていた。Sちゃんという人がいた。サバサバしてて、物事をはっきり言う。でも優しい人。オシャレで背も高くて、私には到底叶わない人だった。Sちゃんが隣に来た。私の髪を優しく指に絡めた。「髪、切っちゃったんだね」静かに、少し寂しげに言った。「長い方が良かった?」恐る恐る尋ねると、「個人的にはね」と返された。それだけのやり取りだったけれど、心の中がそれはとてもドギマギした。高校をとうに卒業した今でもたまに思い出す。忘れたくても、忘れられない思い出。
「やわらかな光」良いですよね。まず語感がいい。誰も傷つけなさそうな言葉。光の感触がやわらかいなら、温度は絶対に「あたたかい」だと思う。「熱い」なわけが無い。熱いならその感触は「鋭い」だろう。
自論はこれくらいにして、春の日差しはまさに「やわらかな光」だと思う(最近は夏が前のめりになって春でさえも陽の光は柔らかくないですが、今回は一般的な春の話)。ぽかぽか陽気と称されるのも当然で、適度にあたたかい陽の光が木々の間をくぐり、木漏れ日になって私たちに差し込んでくる。これ以上の贅沢があろうか。冬の間に積もった雪が解け、日向が暖かくなったと感じ、外に出て太陽から降り注がれるやわらかな光に目を細めて、私はようやく春が来たと感じる。
人の視線が怖い時がある。1人で行動する時。良くも悪くも目立つ時。大勢の鋭い視線が一気にこちらを刺してくるような、気持ちの悪い感覚。思春期に入ったあたりから今の今まで目を向けられることがあまり好きではない。中学の時、合唱コンクールの指揮をした。精一杯練習して、迎えた本番。1番盛り上がるところで大失敗した。突き刺さる視線。振り向かなくても観客がどんな顔をしているかが分かって辛かった。A組のみんな、あの時は本当に申し訳ありませんでした。
秋になってきたなぁと感じることが多々ある。朝晩の冷え、空気の乾燥。何より、空が夏よりも高くなった気がする。実際空の青さに到達する具体的な距離などは無いのだが、おそらく雲の位置とか、そういうもので夏よりも高く見えるのだろう。入道雲も見かけなくなり、手の届きそうだと思っていた空は季節が変わると共にいつの間にか高く高く、どれだけ手を伸ばしても、背伸びをしても届かないものになっていた。秋の空は好きだ。夏特有のまとわりつく湿った空気から頬を撫でるからっ風に変わり、それを感じながら空を見上げる。夏から少し青の薄くなった、高く、高い空を見上げ、そうしてようやく秋が来たと思うのだ。