ばったり街で会って、久しぶりなんて言葉を交わす。今、かなり忙しい状態であることを話したら、「じゃあ、終わったら、おいしいものでも食べに行く?」なんて軽く言ってくれた。
本当かな、成り行き上の社交辞令かなという気がしたけれど、結構その言葉に助けられた。頭の片隅でそのことを想像しながらやっていると、忙しさもなんとか乗り越えることができた。
次に顔を合わせるとすぐ「終わった? じゃあ何が食べたい?」。ああ、覚えていた。あの約束は有効だった。顔は、少しすましたまま「そうですね…」と言う。心の中は、もう小躍りしたいほどうれしかった。
「ささやかな約束」
あそこにいるなと思いながらも遠くの席からそっと見守る。ああ、話ができるようになりたいなと思う。実際は話したこともなく、こちらの存在さえも気づかれてないかもしれない。
あんまり見つめて怪しまれてはいけないので、心の中で願う。どうか親しくなるチャンスをください。ちょっと勇気を出して、話しかけてみればいいのだけど、なかなか動けない。後ろの席からこっそり願うばかりだ。
そのうち、そんな機会も終わりが近づいてきた。もう会えないかもしれない。その姿を見られただけでも良かったと無理やり思おうとする。
「あの、隣いいですか?」と、声をかけられた。振り向くと、えっ?と思う。いつも前の方にいたはずなのに。「どうぞ」と言いながら、自分の顔が赤くなってくるのが分かった。チャンスなのにドキドキして横なんか見られない。もうこれだけでもいいかもなんて思ってしまうのだ。
「祈りの果て」
いつも、心の中は迷路のよう。すっきりしたい。小さな子どものように、思うままに行動してみたい。隣のあの人は、いつも自由気ままだ。不機嫌な時も、機嫌が良い時もすぐわかる。嫌な感じはしない。忖度なんか何にもない。
自分を大切にってよく言われるけれど、人の顔色を基準に生きてきていたから、どうしていいかわからない。自分が我慢すれば、ここはうまくいくのかもとそんなことばかりやってきた。
それで、幸せかといえば、そうではない。隣のあの人は、嫌われたりしていない。そんな人だと受け入れられている。そうだ。誰かの機嫌をとったって、自分は満たされていない。
いったん、自由気ままにやってみようか。でも、キャラが違う? ただのわがままと、どう違うのだろう。心は複雑に迷う。ただ分かっているのは、このままでは自分を生きていないということだ。自分のまんまでいてみる? 空気が読めない? それでも迷路から脱出するために、試しにやってみよう。
「心の迷路」
陶器を扱う店で、ソーサーに載っているティーカップがずらりと並んでいた。今までソーサー付きのティーカップなんて、買ったことがあっただろうか。
家にある普段使っているのは、実用的なデザインのものだ。厚みがあり割れにくい。ほかに貰いもののティーカップがある。これは、ソーサー付きで高級感はあるけれど、すごく好みかといえばそうでもない。
店の棚に並ぶティーカップは、一つ一つデザインが違って個性的だ。花柄や金の縁取りがついているもの。取手に装飾があったり優雅な雰囲気だ。その中の一つが気になって手に取った。
白い乳白色が美しく、青い花が描かれている。取手やカップの形はシンプルなのだけど、質感は薄く繊細だ。思わず見とれていると「それ、素敵ですよね」と店員さんが話しかけてきた。「今なら少しお得になっています」。見ると赤札がついていた。これはと思った。
レジに持っていくと、「お客様の雰囲気にとても合っています。たくさん使ってくださいね」。たくさん、か。気に入ったものを大切にするあまり使わなかったりするけれど、これはたくさん使おう。何より自分のために気にいったものを買ったということが、うれしかった。
「ティーカップ」
あんなに一緒にいられるよう願っていたのに、この空虚な感じはなんだろう。隣にいるのに、ずっと遠くにいるような気がするのは何故だろう。
会話もどこか虚しく、言葉が行き交う。さりげない仕草も優しげで、なんの問題もなさそうなのに。表向きは穏やかそうに見えるのだろうか。本当の心はいったいどこを向いているのだろう。
一人でいるのは寂しいと思うこともあった。でも、二人でいるのに感じる寂しさは、ずんと心に響く。
「寂しくて」